太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」第21回
なぜそんなに未来派が好きなんですか、と聞かれたら
太田岳人
2023年度も私は、いくつかの大学から「イタリア語」および「歴史学」の講師として声をかけていただいているが、つい先日終わった後者の枠の講義では、イタリアの政治的事件や社会状況の解説とともに、美術や文化の話題も大いに盛り込んで、未来派のエピソードもたびたび話した。そのおかげか、毎回の授業で課していたコメントシートには「先生はなぜそんなに未来派が好きなんですか」という、なかなかに根本的な質問を書いてきた人もいた。こうしたコメントに直接リプライすることはなかったが、かく言う自分も前々回と前回の記事では、「なぜそんなに未来派が好きなんですか」と若い方に聞いてきたところなので、今回は「自分がそう聞かれたら」という回答の一部にあたる内容を、もう少し書き記しておきたい。
大学に入った時点では、むしろ一般的なイタリア近現代史を専攻しようと考えていたところに、若桑みどりに最初の軌道修正を受ける――この話は本連載の最初に書いた。ただ実際に、若桑先生が未来派について話すのを聞いたのは、1年生の後期で受けた一般教養としての西洋美術史講義においてである。この講義では、前期はルネサンス、後期は近現代の時代を対象に、個々の時代や流派のキーパーソンとその作品が自在に論じられたが、先生は前近代の大家であったから、当然ながら取り上げられたのは、一般的な近代美術史でもおなじみの、ボッチョーニやバッラといった運動初期の人々である。
この時点で私は、キャロライン・ティズダルとアンジェロ・ボッツォーラの『未来派』(松田嘉子訳、PARCO出版、1992年)のような、未来派についての本を自分でも読みだしている。しかし実をいうと、未来派の表現のあり方への興味という点では、同じ授業で紹介されたフォトモンタージュ、あるいはシュルレアリスムやメキシコの壁画運動といったものへのそれと、そこまでは変わらないものであった。第一の理由としては、いわゆる「モダン・アート」の要素の一つであり、未来派においても重要な「抽象の追求」について、当初はあまり理解できていなかったことがある。「未来派的抽象」は、何らかの物理的運動や「精神の状態」、またそれらの変容の表象として、作品の表題でも示されることが基本的なので【図1/図2】、さらに「無対象」を志向した種の作品ほど縁遠いものとは感じなかったものの【注1】、美術に触れた経験が薄かった自分には、馴染むのに時間がかかった。第二の理由は、若桑先生がイコノロジーによる読解の名手であったことである。彼女はその方法論で、近現代作品もまた「読む」ことができると常に言っていて、とりわけ「読む」ためのキーとなる具象的イメージが散りばめられている種の美術については、見事な独自の解釈を披露していた【注2】。そうしたものが非常に新鮮で面白すぎて、未来派以外の方に色々目移りしていたような気がする。


それでも、卒論の作成から修士・博士と進むにつれ、徐々に未来派へと私が舵を切っていくことになったのは、若桑先生の次に大学に赴任した上村清雄の介在のおかげである。ルネサンスの彫刻史を専門としつつ、学芸員として20世紀イタリア彫刻の展覧会にもたびたび携わってきていた上村先生も、2017年に亡くなられているが、長きにわたり様々な導きの糸を受けた。
若桑先生の授業では認識していなかった、1920年代以降の未来派の動態や、彼らの具体的な作品の数々についてさらに深く学ぶきっかけの一つは、卒論を書くタイミングで上村先生から貸していただき、今も私の手元にある、当時最新の展覧会カタログ『未来派 1909-1944』である。ローマのエスポジツィオーニ宮殿で2001年に開催されたこの展覧会は、美術、彫刻、演劇、グラフィックなど他分野に渡る作品の収録数の多さと、1944年までという対象時期の広さで際立ち、2009年前後に相次いで開催される未来派100周年以前の回顧展としては最大のものの一つであった。さらに同時期、上村先生と一緒に目を通した中でも記憶に残るのは、1997年に小都市セルヴェッツァで行われた「天意が遣わした男」展のカタログである。こちらの展覧会は、1929年にローマの教皇庁とファシズム政権がラテラーノ協約を結んだ時に、前者がムッソリーニを賛美したフレーズをタイトルにしていることからも分かるように、造形芸術、風刺漫画、メダル、ポスター、フォトモンタージュなど、様々な分野で生産されたムッソリーニのイメージを取り扱ったものである。私たちはこの両方のカタログから、一般的な「モダニズム」についての理論では両立されないとされがちな、抽象的表現を多分に含む「前衛性」と政治的「プロパガンダ性」の双方を含んだ、初期未来派以降の芸術家たちの作品の多様さを再認識した【注3】。
当時の私が図像を見て、思わず笑ってしまいつつも最も惹かれたのは、ペルージャ出身のジェラルド・ドットーリ(1884-1977)の絵画《未来派マリオ・カルリの航空肖像(ムッソリーニの一イタリア人)》【図3/注4】のような作品であった。ドットーリは、未来派に自分を導いた友人であり、1910年代末にいち早くファシストの「黒シャツ隊」となった詩人カルリ(1888-1935)の姿を、画面の左上側に向けて飛び立つ飛行機、空に浮かび上がるムッソリーニの頭部と組み合わせて描き出している。作品の副題「ムッソリーニの一イタリア人Un italiano di Mussolini」は、カルリの小説の代表作であり、架空の飛行士=ファシストの冒険を描いた『ムッソリーニのイタリア人L’italiano di Mussolini』を踏まえたものである【注5】。

本連載の第2回において私は、ドットーリがマリネッティ夫妻とその娘たちを描いた《マリネッティ一家》を未来派の「聖家族」像として取り上げたが、こちらのカルリの肖像画もまた、単なる「一イタリア人」を捉えたものではない。ここではカルリは未来派の芸術家であると同時に黒シャツを着た忠実なファシストであり、その彼が飛行機(モダン)とムッソリーニ(ファシズム政権)とともにあることで、これらの要素が「三位一体」の関係であることを強調しているのである。この奇妙な図像群で構成されている作品は、一般的な「近代美術史」の枠には納めがたいが、こうしたものがむしろ私の方向性を刺激したのである【注6】。
【掲載図版】
図1:バッラ(1871-1958)《悲観主義と楽観主義の膨張 Espansione di pessimismo e ottimismo》、1923年(キャンバスに油彩、44×63cm、個人蔵)
※ Enrico Crispolti (a cura di), Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001より。
図2:ムナーリ(1907-1998)《宇宙的感性Sensualità cosmica》、1933-34年(キャンバスに油彩、68×33cm、個人蔵)
※ Enrico Crispolti (a cura di), Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001より。
図3:ドットーリ(1884-1977)《マリオ・カルリの航空肖像(ムッソリーニの一イタリア人)Ritratto aereo di Mario Carli(Un italiano di Mussolini)》、1931年(キャンバスに油彩、159×129.5cm、ジェノヴァ近代美術館ウォルフソン・コレクション)
※ Giorgio Di Genova (a cura di), 《L’uomo della provvidenza》, iconografia del duce 1923-1945, Bologna: Bora, 1997より。
【注】
注1:たとえばカンディンスキーやマレーヴィチの作品について、現在ではそのように思うことはない。しかし少なくとも、完全無対象を標榜する種の視覚芸術作品や現代のコンセンプチュアル・アートには、単に造形の「上手」「下手」を超えた「どうしようもないハズレ」――私としては穏当な表現で叙述したつもりである――というカテゴリーが、厳然と存在しているのではないかとも考えている。
注2:シュルレアリスムの画家たちを扱うその手並みについては、若桑みどり(編)『エルンスト』(「現代世界美術全集」第23巻・新装版、講談社、1997年)、あるいは「若桑みどりがマグリットを教えましょう」(『芸術新潮』1998年5月号)で今も確認することができる。
注3:Enrico Crispolti (a cura di), Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001; Giorgio Di Genova (a cura di), 《L’uomo della provvidenza》, iconografia del duce 1923-1945, Bologna: Bora, 1997.
注4:余談だが、収蔵先のジェノヴァ近代美術館の公式サイトの作品紹介では、悲しいかな反転した図像が使われてしまっている(画面下部の署名を見よ)。先日アーティゾン美術館で開催されている「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」展に行った際、私は解説パネルにあった未来派に関する年譜記述に誤りを見つけ、困ったものだと思ったものの、当のイタリアでこうしたもっと酷い紹介があったりするのであまり文句は言えない。
注5:この小説はアジア・太平洋戦争中に翻訳されている。マリオ・カルリ『ムッソリーニの伊太利人』(岩崎純孝訳、今日の問題社、1943年)。
注6:さらにドットーリについての伝記的事項を知りたい方は、拙稿「ファシズム期の未来派における空間と表象――ジェラルド・ドットーリを中心に」(『千葉大学大学院人文社会科学研究科・研究プロジェクト報告書第259集』、2013年)を参照されたい(ただしweb版は本文のみ)。さらに生地ペルージャでは、芸術家のコレクションとアーカイヴも近年整備中である。
(おおた たけと)
・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2023年8月12日の予定です。
■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学・東京工業大学で非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com
●夏季休廊のお知らせ
画廊は明日8月13日[日] ~21日[月]までお休みさせていただきます。
8月22日[火] より平常通り営業いたします。
◆「幻想の建築 ピラネージ展」は本日最終日です
会期:2023年8月4日(金)~8月12日(土)*日曜・月曜・祝日休廊
18世紀イタリアの建築家・版画家ジャン=バティスタ・ピラネージ(1720-1778)の《牢獄》シリーズ全16点(1761年ピラネージの原作、1961年Bracons-Duplessisによる復刻)を展示します。
本展については建築史家の戸田穣先生に第1回「ピラネージ『牢獄』1961年版」について、第2回「ピラネージの青春時代、そしてその原版の行方」についてご寄稿いただきました。
出品作品の詳細、価格については7月27日ブログをお読みください。
●ときの忘れものが販売しているジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」が今年度の『ボローニャ復元映画祭(Il Cinema Ritrovato)』で「ベストボックスセット賞」を受賞しました。
映像フォーマット:Blu-Ray、リージョンフリー/DVD PAL、リージョンフリー
各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格:
Blu-Ray版:18,000円(税込)
DVD版:15,000円(税込)
商品の詳細は3月4日ブログをご参照ください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
なぜそんなに未来派が好きなんですか、と聞かれたら
太田岳人
2023年度も私は、いくつかの大学から「イタリア語」および「歴史学」の講師として声をかけていただいているが、つい先日終わった後者の枠の講義では、イタリアの政治的事件や社会状況の解説とともに、美術や文化の話題も大いに盛り込んで、未来派のエピソードもたびたび話した。そのおかげか、毎回の授業で課していたコメントシートには「先生はなぜそんなに未来派が好きなんですか」という、なかなかに根本的な質問を書いてきた人もいた。こうしたコメントに直接リプライすることはなかったが、かく言う自分も前々回と前回の記事では、「なぜそんなに未来派が好きなんですか」と若い方に聞いてきたところなので、今回は「自分がそう聞かれたら」という回答の一部にあたる内容を、もう少し書き記しておきたい。
大学に入った時点では、むしろ一般的なイタリア近現代史を専攻しようと考えていたところに、若桑みどりに最初の軌道修正を受ける――この話は本連載の最初に書いた。ただ実際に、若桑先生が未来派について話すのを聞いたのは、1年生の後期で受けた一般教養としての西洋美術史講義においてである。この講義では、前期はルネサンス、後期は近現代の時代を対象に、個々の時代や流派のキーパーソンとその作品が自在に論じられたが、先生は前近代の大家であったから、当然ながら取り上げられたのは、一般的な近代美術史でもおなじみの、ボッチョーニやバッラといった運動初期の人々である。
この時点で私は、キャロライン・ティズダルとアンジェロ・ボッツォーラの『未来派』(松田嘉子訳、PARCO出版、1992年)のような、未来派についての本を自分でも読みだしている。しかし実をいうと、未来派の表現のあり方への興味という点では、同じ授業で紹介されたフォトモンタージュ、あるいはシュルレアリスムやメキシコの壁画運動といったものへのそれと、そこまでは変わらないものであった。第一の理由としては、いわゆる「モダン・アート」の要素の一つであり、未来派においても重要な「抽象の追求」について、当初はあまり理解できていなかったことがある。「未来派的抽象」は、何らかの物理的運動や「精神の状態」、またそれらの変容の表象として、作品の表題でも示されることが基本的なので【図1/図2】、さらに「無対象」を志向した種の作品ほど縁遠いものとは感じなかったものの【注1】、美術に触れた経験が薄かった自分には、馴染むのに時間がかかった。第二の理由は、若桑先生がイコノロジーによる読解の名手であったことである。彼女はその方法論で、近現代作品もまた「読む」ことができると常に言っていて、とりわけ「読む」ためのキーとなる具象的イメージが散りばめられている種の美術については、見事な独自の解釈を披露していた【注2】。そうしたものが非常に新鮮で面白すぎて、未来派以外の方に色々目移りしていたような気がする。


それでも、卒論の作成から修士・博士と進むにつれ、徐々に未来派へと私が舵を切っていくことになったのは、若桑先生の次に大学に赴任した上村清雄の介在のおかげである。ルネサンスの彫刻史を専門としつつ、学芸員として20世紀イタリア彫刻の展覧会にもたびたび携わってきていた上村先生も、2017年に亡くなられているが、長きにわたり様々な導きの糸を受けた。
若桑先生の授業では認識していなかった、1920年代以降の未来派の動態や、彼らの具体的な作品の数々についてさらに深く学ぶきっかけの一つは、卒論を書くタイミングで上村先生から貸していただき、今も私の手元にある、当時最新の展覧会カタログ『未来派 1909-1944』である。ローマのエスポジツィオーニ宮殿で2001年に開催されたこの展覧会は、美術、彫刻、演劇、グラフィックなど他分野に渡る作品の収録数の多さと、1944年までという対象時期の広さで際立ち、2009年前後に相次いで開催される未来派100周年以前の回顧展としては最大のものの一つであった。さらに同時期、上村先生と一緒に目を通した中でも記憶に残るのは、1997年に小都市セルヴェッツァで行われた「天意が遣わした男」展のカタログである。こちらの展覧会は、1929年にローマの教皇庁とファシズム政権がラテラーノ協約を結んだ時に、前者がムッソリーニを賛美したフレーズをタイトルにしていることからも分かるように、造形芸術、風刺漫画、メダル、ポスター、フォトモンタージュなど、様々な分野で生産されたムッソリーニのイメージを取り扱ったものである。私たちはこの両方のカタログから、一般的な「モダニズム」についての理論では両立されないとされがちな、抽象的表現を多分に含む「前衛性」と政治的「プロパガンダ性」の双方を含んだ、初期未来派以降の芸術家たちの作品の多様さを再認識した【注3】。
当時の私が図像を見て、思わず笑ってしまいつつも最も惹かれたのは、ペルージャ出身のジェラルド・ドットーリ(1884-1977)の絵画《未来派マリオ・カルリの航空肖像(ムッソリーニの一イタリア人)》【図3/注4】のような作品であった。ドットーリは、未来派に自分を導いた友人であり、1910年代末にいち早くファシストの「黒シャツ隊」となった詩人カルリ(1888-1935)の姿を、画面の左上側に向けて飛び立つ飛行機、空に浮かび上がるムッソリーニの頭部と組み合わせて描き出している。作品の副題「ムッソリーニの一イタリア人Un italiano di Mussolini」は、カルリの小説の代表作であり、架空の飛行士=ファシストの冒険を描いた『ムッソリーニのイタリア人L’italiano di Mussolini』を踏まえたものである【注5】。

本連載の第2回において私は、ドットーリがマリネッティ夫妻とその娘たちを描いた《マリネッティ一家》を未来派の「聖家族」像として取り上げたが、こちらのカルリの肖像画もまた、単なる「一イタリア人」を捉えたものではない。ここではカルリは未来派の芸術家であると同時に黒シャツを着た忠実なファシストであり、その彼が飛行機(モダン)とムッソリーニ(ファシズム政権)とともにあることで、これらの要素が「三位一体」の関係であることを強調しているのである。この奇妙な図像群で構成されている作品は、一般的な「近代美術史」の枠には納めがたいが、こうしたものがむしろ私の方向性を刺激したのである【注6】。
【掲載図版】
図1:バッラ(1871-1958)《悲観主義と楽観主義の膨張 Espansione di pessimismo e ottimismo》、1923年(キャンバスに油彩、44×63cm、個人蔵)
※ Enrico Crispolti (a cura di), Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001より。
図2:ムナーリ(1907-1998)《宇宙的感性Sensualità cosmica》、1933-34年(キャンバスに油彩、68×33cm、個人蔵)
※ Enrico Crispolti (a cura di), Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001より。
図3:ドットーリ(1884-1977)《マリオ・カルリの航空肖像(ムッソリーニの一イタリア人)Ritratto aereo di Mario Carli(Un italiano di Mussolini)》、1931年(キャンバスに油彩、159×129.5cm、ジェノヴァ近代美術館ウォルフソン・コレクション)
※ Giorgio Di Genova (a cura di), 《L’uomo della provvidenza》, iconografia del duce 1923-1945, Bologna: Bora, 1997より。
【注】
注1:たとえばカンディンスキーやマレーヴィチの作品について、現在ではそのように思うことはない。しかし少なくとも、完全無対象を標榜する種の視覚芸術作品や現代のコンセンプチュアル・アートには、単に造形の「上手」「下手」を超えた「どうしようもないハズレ」――私としては穏当な表現で叙述したつもりである――というカテゴリーが、厳然と存在しているのではないかとも考えている。
注2:シュルレアリスムの画家たちを扱うその手並みについては、若桑みどり(編)『エルンスト』(「現代世界美術全集」第23巻・新装版、講談社、1997年)、あるいは「若桑みどりがマグリットを教えましょう」(『芸術新潮』1998年5月号)で今も確認することができる。
注3:Enrico Crispolti (a cura di), Futurismo 1909-1944, Milano: Mazzotta, 2001; Giorgio Di Genova (a cura di), 《L’uomo della provvidenza》, iconografia del duce 1923-1945, Bologna: Bora, 1997.
注4:余談だが、収蔵先のジェノヴァ近代美術館の公式サイトの作品紹介では、悲しいかな反転した図像が使われてしまっている(画面下部の署名を見よ)。先日アーティゾン美術館で開催されている「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」展に行った際、私は解説パネルにあった未来派に関する年譜記述に誤りを見つけ、困ったものだと思ったものの、当のイタリアでこうしたもっと酷い紹介があったりするのであまり文句は言えない。
注5:この小説はアジア・太平洋戦争中に翻訳されている。マリオ・カルリ『ムッソリーニの伊太利人』(岩崎純孝訳、今日の問題社、1943年)。
注6:さらにドットーリについての伝記的事項を知りたい方は、拙稿「ファシズム期の未来派における空間と表象――ジェラルド・ドットーリを中心に」(『千葉大学大学院人文社会科学研究科・研究プロジェクト報告書第259集』、2013年)を参照されたい(ただしweb版は本文のみ)。さらに生地ペルージャでは、芸術家のコレクションとアーカイヴも近年整備中である。
(おおた たけと)
・太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は隔月・偶数月の12日に掲載します。次回は2023年8月12日の予定です。
■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・東京医科歯科大学・東京工業大学で非常勤講師の予定。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com
●夏季休廊のお知らせ
画廊は明日8月13日[日] ~21日[月]までお休みさせていただきます。
8月22日[火] より平常通り営業いたします。
◆「幻想の建築 ピラネージ展」は本日最終日です
会期:2023年8月4日(金)~8月12日(土)*日曜・月曜・祝日休廊
18世紀イタリアの建築家・版画家ジャン=バティスタ・ピラネージ(1720-1778)の《牢獄》シリーズ全16点(1761年ピラネージの原作、1961年Bracons-Duplessisによる復刻)を展示します。本展については建築史家の戸田穣先生に第1回「ピラネージ『牢獄』1961年版」について、第2回「ピラネージの青春時代、そしてその原版の行方」についてご寄稿いただきました。
出品作品の詳細、価格については7月27日ブログをお読みください。
●ときの忘れものが販売しているジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」が今年度の『ボローニャ復元映画祭(Il Cinema Ritrovato)』で「ベストボックスセット賞」を受賞しました。
映像フォーマット:Blu-Ray、リージョンフリー/DVD PAL、リージョンフリー各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格:
Blu-Ray版:18,000円(税込)
DVD版:15,000円(税込)
商品の詳細は3月4日ブログをご参照ください。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●ときの忘れものは2017年に青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。阿部勤が設計した個人住宅だった空間で企画展の開催、版画のエディション、美術書の編集等を行なっています(WEBマガジン コラージ2017年12月号18~24頁の特集参照)。
JR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊
コメント