《イメージと記号 1960年代の美術を読みなおす》展レビュー

土渕信彦


 去る12月10日(日)、神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で開催されている《イメージと記号 1960年代の美術を読みなおす》展を拝見してきました(図1)。以下にレビューします。
なお、会場の写真はすべて許可を得て撮影したものです。

図1
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 展覧会の開催趣旨と展示内容について、チラシには以下のように記されています(図2)。

 「読売アンデパンダン展(1949-1963)が幕を閉じ、反芸術の喧騒が過ぎさった1960年代後半。新たに登場したのが、記号や幾何学を取り入れた理知的な美術の動向で(…)〈見る〉ことによって成りたつ美術の制度を問いかけ、作品のオリジナリティ(真性)を見直そうとするものでした。社会に氾濫するイメージを知性とユーモアで表現へと昇華した作品は、同時代の視覚文化を色濃く映しだしています。本展では当館コレクションを中心に(…)60年代の作品に焦点をあて、独創的な表現を振り返ります。」

図2
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 2階会場入口前の左側回廊の壁面には、タイトルと関連年表が掲示され(図3)、手前のケースには、1960年代に東京画廊で開催された、岡崎和郎展、宮脇愛子展、関根伸夫展のカタログが展示されています(斎藤義重旧蔵)。杉浦康平によるデザインの、正方形の判型が印象的です(図4)。

図3
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図4
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 会場に入り、正面から右側の展示室は、「1.内省する身体、記号としての身体」のコーナーです。正面の壁面を飾るのは、高松次郎≪世界の壁≫(1967年)、左側の小品は同≪フックと壁の影≫(1969年頃)です(図5)。前者は「影」の集大成ともいえる作品で、第9回日本国債美術展(1967年)での神奈川県立近代美術館賞の受賞作。後者は斎藤義重旧蔵で、同様の作品が何点か確認されているそうです。右手の壁面には高松の≪影≫、≪無題≫、≪影(影の集積)≫、≪影(不在の凾)≫の4点のドローイング(図6)。いずれも1965-66年に描かれたもので、「影」をめぐる作家の思考の一端に触れられるようです。

図5
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図6
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 そのまま右側展示室に順路を進むと、井上長三郎の≪標的≫(1967年)、杉全直の≪コラージュNo.1≫~≪コラージュNo.4≫(1967年)4点、左側壁面には横尾忠則のシルクスクリーン≪風景 No.10 ヴォーグの女≫(1969年)が展示されています(図7,8)。「イメージと記号」というテーマを念頭に改めて拝見すると、それぞれが、戦争画の系譜、美術文化協会の創立作家、暗黒舞踏・天井桟敷・状況劇場のポスターなどといった先入観から解き放たれ、新鮮に見えてくるようです。

図7
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図8
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 さらに、加納光於のメタルプリント≪PENINSULAR 半島状の!No.25≫(1967年)が続きます(図9)。同じ版の色違いが3点並べられており、これも「イメージと記号」という切り口に沿っているようです。左に展示された加納の併用技法の≪How to Flyの偏角に沿って No.XY≫ [「No.XY」は展示リストに拠りましたが、「No.XV」かもしれません](1974年)は、手前の若林奮≪ハエの模型・飛び方≫(1969年)への繋がりから選ばれたのでしょうか(図10)。

図9
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図10
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 若林奮の作品や資料は展示点数が多く、≪S/P 後から来るC≫(1967年)や、いずれも1967年の≪小品(CANNIBAL)≫、≪CANNIBALⅠ≫、≪CANNIBALⅡ≫のほか、1960年代の年賀状10点、エッチング≪W50000≫、タイトル不詳の銅版・銅針金作品、1963年の「刊 63 彫刻展 2」カタログなど。後述の内科画廊関連資料とともに、この展覧会のひとつの柱をなしています(図11~13)。

図11
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図12
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図13
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 内科画廊関連資料では、「画廊マニフェスト」(1963年)や「三木富雄個展」案内状(1963年)、「内科コレクション展」チラシと封筒(1963年)、『美術ジャーナル』誌通巻62号(1967年9月)の「NAIQUA TIMES No.2」が展示されています(図14)。「画廊マニフェスト」では、貸画廊を「一個の試験管」に喩え、「試験管が試験管としての機能をもつのは実験室に於てであり、しかも明確な意図をもった実験者の手によってである」と述べて、「実験的意欲にもえた多くの作家」の利用を希望しています。1960年代中頃の美術動向を語るうえで欠くことのできない内科画廊の活動が、こうした高い志に裏付けられていたことを示す、歴史的な資料と思われます。この文面をマニフェストの実物で読むことができるのは、滅多にない機会でしょう。壁面右側には、上記個展の展示作品ではありませんが、三木富雄≪耳≫(1966年)が展示されています(図15)。三木の≪耳≫の作品は大部分が同じ型から鋳造されたと確認されているそうで、「記号とイメージ」の好例といえるかもしれません。

図14
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図15
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 左側には内科画廊のオーナーで東京慈恵会医科大学のインターン生だった宮田國男から若林に宛てた、個展開催を打診する手紙や、つるい養生邑病院開設記念「養生邑美術館展」案内状などが展示されています(図16,17)。内科画廊(ないし宮田)と若林との関わりを示す貴重な資料と思われます。宮田旧蔵の若林奮≪マニキュア・テキスト(部分) 桜のはなびら≫(1963年頃)は、若林から宮田に贈られた特別な作品のようです(図18)。

図16
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図17
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図18
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 入り口まで戻り、左側展示室は「2.私的な愉しみ:マルチプル・オブジェ」と「3.トポロジーと環境芸術:形から光へ」のコーナーです。左側の展示ケースには堀内正和≪D氏の骨ぬきサイコロ≫(1964年)と≪エヴァからもらった大きなリンゴ≫(1966年)、その右手に岡崎和郎の東京画廊カタログ用記録写真(1966年)とマルチプルセット≪GIVEAWAY PACK 2≫(1968/1977年)、さらに奥には戸村浩の≪MOVE FORM COLORS BOX≫(1964/2008年)、≪連続変異 歩むCube≫(1968年)、≪連続変異 かさね四つ目≫(1968年)などが展示されています(図19~22)。理科系志望の高校生だった頃に愛読していた雑誌『数学セミナー』(日本評論社)には戸村のエッセイが連載されており、てっきりトポロジーが専門の数学者だと思っていましたが、その後、瀧口修造を知り、その小話「三夢三話」の「Ⅲ」に戸村浩夫妻が登場してきて、「造形作家だったのだ!」と、吃驚したのを思い出します。

図19
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図20
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図21
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図22
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 手前の展示空間には岡崎和郎のオブジェ≪Vサイン≫(1969年)、≪人形の頭部≫(1967年)、≪りんご≫(1966/1989年)、≪コーヒーカップ≫(1965年)、≪電球≫(1963年)、≪Green Bulb≫(1964年)、≪Hear Something…≫(1966/1994年)が並べられています(図23~25)。

図23
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図24
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図25
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 中央の展示ケースの内には堀内正和の≪prière de plier≫(1965年。1970年頃、岡崎和郎・球子による印刷)や≪目喰手絵≫(『美術手帖』1973年3月号付録)が、奥には印象的な立体≪ウィンクするMiMiちゃん≫(1967年)が展示されています(図26~28)。〈prière de plier〉は、フランス語で「折り畳んでください」という意味の言葉の遊びですが、マルセル・デュシャンによる装幀の「1947年のシュルレアリスム」展カタログ特装版表紙の、フォーム・ラバーで女性の胸を再現した〈prière de toucher〉(触ってください)を想起させます。

図26
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図27
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図28
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 堀内の立体は、会場を出て左側回廊の空間にも≪鷹≫(1948年)と≪作品(曲と直)≫(1953年)が展示されています(図29,30)。解説パネルによると「堀内は1950年代前半からマケット(模型)制作こそ自身の制作だと位置づけ、素材に置き換える作業を他者に委ねる姿勢を徹底して」おり、≪鷹≫は型抜きのセメントによる作品、また≪作品(曲と直)≫は石膏による模型として制作された抽象作品だそうです。確かに「記号とイメージ」を先取りする仕事であるように思われます。堀内に対する深い敬意の籠った言葉を、岡崎和郎から生前何度か聞いたことがありますが、実際、その先駆性はこうした年若い世代とのグループ展で一層際立ってくるようです。堀内正和の展示は、若林奮や内科画廊資料と並ぶ、展覧会の柱と言えるでしょう。

図29
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図30
図30

 会場に戻り、≪ウィンクするMiMiちゃん≫の奥には、飯田善國≪HITO≫(1963年)が置かれ、後方の壁面には飯田≪KOSMOS-WEISS(KLEIN)≫(1965年)が、その左側に飯田と西脇順三郎の共作(西脇の英詩に飯田が絵をつけた)の詩画集『クロマトポイエマ』(1972年)からシルクスクリーン11点が展示されています。左奥の壁面には西脇順三郎の油彩≪九月≫(1966年)も拝見することができます(図31,32)。

図31
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図32
図32

 手前の空間には、宮脇愛子の立体≪作品1968#37-(72)C.D.≫(1968年)、≪作品≫(1960年代後半)や、湯原和夫の立体≪無題No.4-66≫(1966年)、≪作品No.5-68≫(1968年)が展示されています(図33~36)。

図33
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図34
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図35
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図36
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 左側の壁面には川村直子のアクリル≪’69-A≫≪’69-B≫(図37)が展示され、その手前には山口勝弘の蛍光管を用いた立体≪光のオブジェY≫(1970年)が置かれています(図38)。「Y」は作家の姓の頭文字に由来するものでしょうか。テクノロジーを導入した、当時、最先端の作品ですが、蛍光管がLEDに取って代わられた現在では、蛍光管や安定器は入手困難と思われ、作品の維持・展示はなかなか難しいことでしょう。

図37
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図38
図38

 左側の壁面には1968年にロンドンの現代芸術研究所で開催された「蛍光菊」展のポスターと出品リスト(デザインは杉浦康平)が展示され(図39)、手前の台上には同展の関連資料が並べられています(図40)。同展はヨーロッパ初の日本現代芸術展だそうで、企画したのはヤシャ・ライハート。針生一郎、中原佑介、東野芳明も作品選定にかかわっていたそうです。本展の展示作家では岡崎、高松、堀内、三木、宮脇、山口、湯原らの作品も展示されていたようです。彫刻の分野にはミニチュアの部門もあったそうで、瀧口修造も関わった前年5月の「ちいさな、ちいさな展覧会」(銀座松屋)あたりも、関りがあるかもしれません。「蛍光菊」展の関連作品や資料類は、この展覧会の第三の柱といえるでしょう。

図39
図39

図40
図40

 以上のとおり、本展は作品点数60点余り(資料も含め70~80点)と、大きな展覧会ではありませんが、60年代初頭の反芸術から60年代末のもの派に至る間に見受けられるある種の動向を、「イメージと記号」と総括して浮き彫りにしており、なかなか意義深い展示と思われます。初詣の人波も予想されますが、是非ご覧になるようお勧めします(2月12日まで)。図録も新書本ほどのサイズにコンパクトにまとめられており、好感が持てます(図41)。

図41
図41

(つちぶち のぶひこ)

土渕信彦 Nobuhiko TSUCHIBUCHI
1954年生まれ。高校時代に瀧口修造を知り、著作を読み始める。サラリーマン生活の傍ら、初出文献やデカルコマニーなどを収集。その後、早期退職し慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了(美学・美術史学)。瀧口修造研究会会報「橄欖」共同編集人。ときの忘れものの「瀧口修造展Ⅰ~Ⅳ」を監修。また自らのコレクションにより「瀧口修造の光跡」展を5回開催中。富山県立近代美術館、渋谷区立松濤美術館、世田谷美術館、市立小樽文学館・美術館などの瀧口展に協力、図録にも寄稿。主な論考に「彼岸のオブジェ―瀧口修造の絵画思考と対物質の精神の余白に」(「太陽」、1993年4月)、「『瀧口修造の詩的実験』の構造と解釈」(「洪水」、2010年7月~2011年7月)、「瀧口修造―生涯と作品」(フランスのシュルレアリスム研究誌「メリュジーヌ」、2016年)など。

●「イメージと記号 1960年代の美術を読みなおす」
Images and Symbols: Rereading the Art in the 1960s
20231220182056_00001
会期:2023年12月9日(土曜)– 2024年2月12日(月曜)
会場:神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
休館日:月曜(1月8日、2月12日を除く)
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2023-images-and-signs


●本日のお勧め作品は宮脇愛子です。
宮脇愛子『GOLDEN EGG(A)』宮脇愛子「Golden Egg(A)
1982年 ブロンズ H4.5×21×12cm 限定 50部
本体に刻サイン、共箱(箱にペンサイン)
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください

●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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