ジム・ダインに関する覚書

森下泰輔


1章.ジム・ダインのニューヨーク1960

まず、ジム・ダイン(1935~)はポップ・アート草創期を駆け抜けた、いまだ現役のアーティストであるということだ。その長期にわたる活動は、ジャスパー・ジョーンズ(1930~)と並ぶ。

ダインの最初の正式な美術の学習はシンシナティ芸術アカデミーの夜間コースで、だった。1954年当時、ダインはポール・J・サックス『現代版画と素描』を読み、エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー、エミール・ノルデ、マックス・ベックマン(写真1)に衝撃を受けた。そして、当時一緒に住んでいた母方の祖父母の地下室で木版画の制作を始めた。(註:Jim Dine『版画家のドキュメント』2013年、ゲルハルト・シュタイドル刊 p7より)。ダインの興味がドローイングと版画にかかわっており表現主義に感銘を受けたのが原点だ。その後、ボストン美術館付属の美術学校で6ヵ月間学び、1957年に美術学士号を取得してオハイオ大学を修了した。

1.ベックマン
写真1:
マックス・ベックマン 
《舞台裏 Der Jahrmarktより》
ドライポイント/ウォーヴ紙
鉛筆でサイン
エディション200
38×50 cm / 21×31 cm(シート/イメージ・サイズ)
1921年
プリント:Franz Hanfstaengl
刊行:Marees Gesellschaft
カタログ・レゾネ Hofmaier 193


ニューヨークに挑戦する勇気が出てきたと彼はいう。ダインが移住する2年前、1956年ニューヨーク。抽象表現主義者たちの運動は失速しつつあった。1955年には、ロバート・ラウシェンバーグの《Bed》が発表された。絵画と彫刻の混合作品で、自身の枕とパッチワークキルトの上に絵を描き、塗料をぶちまけて、それを木のフレームの上にのせて引き延ばしたものだ。その少し前には、ジャスパー・ジョーンズがキャンバスいっぱいに星条旗を描く作品を作りはじめていた。それは国旗というアイコンを描く際に、絵画としてではなく、オブジェそのものとして描いたレディメイド・イメージそのものだった。ネオ・ダダイズムの台頭である。

同時期、イースト・ビレッジに存在した新たな各美術ギャラリー・シーンは5年に満たない短命さだったが、多くの成果を生み出した。伝説に残る57丁目のグリーン・ギャラリーはNYポップ・アート誕生に手を貸しただけでなく、パフォーマンス(ハプニング)・アートを生み出すのにも貢献した。クレス・オルデンバーグ(写真2)と最初の妻パティ(パティ・ムーチャ)やルーカス・サマラス、キャロリー・シュニーマンなどとともにパフォーマンス(ハプニング 行為芸術)がニューヨーク・シーンを震撼させていた。

2
写真2:
CLAES OLDENBURG, 《TWO CHEESEBURGERS, WITH EVERYTHING (DUAL HAMBURGERS)》 1962, BURLAP, PLASTER AND ENAMEL PAINT. THE MUSEUM OF MODERN ART, NEW YORK, PHILIP JOHNSON FUND, 1962. DIGITAL IMAGE cTHE MUSEUM OF MODERN ART, NEW YORK /SCALA, FLORENCE / AMANAIMAGES


1958年にダインはそんな嵐の只中にあるニューヨークに移り、ローズ・スクールで教鞭をとった。同年、クレス・オルデンバーグとマーカス・ラトリフとともにグリニッジ・ヴィレッジのジャドソン教会にジャドソン・ギャラリーを設立し、アラン・カプローとボブ・ホイットマンとも出会う。彼らは一緒に行為芸術を創始、ハプニングの先駆者となった。ダインの最初の展覧会はルーベン・ギャラリーで行われ、そこで彼は精緻に構成されたハプニング《カー・クラッシュ》(1960年)も上演した。(註:カー・クラッシュはアンディ・ウォーホルもモチーフにしており、当時のアートが自動車事故という物質文明の悲劇の抽出に積極的だったことがわかる)。
白塗りをした作家自身やクィアの人々が奇妙な動きを行い、ダインは絵具をぶちまけ、言葉を書きまくる。彼はこの作品を「傍で遠吠えする動物のうなり声と白いヴィーナスが発する音と言葉の不協和音」と表現している。もう一つの重要な初期作品は、ジャドソン・ギャラリーに設置されたラウシェンバーグをしのぐアッサンブラージュ、拾得物や街路の瓦礫を組み込んだ環境芸術である《The House》(1960年《微笑む労働者》のハプニングを含む)である。


ジム・ダイン 《カー・クラッシュ》 ルーベン・ギャラリー
Photo of Jim Dine, Car Crash, 1960, Reuben Gallery, New York. Photo taken by Fred McDarrah.



ジム・ダイン 《The House》 での《微笑む労働者》 ジャドソン・ギャラリー(1960年)。

2章.11 Pop Artists 1965

ダインは自分の作品に道具やローブなどの日用品(個人所有物を含む)を用い続け、それが彼をポップ・アートと結びつけていた。1962年にパサディナ美術館で開催された影響力のある展覧会「New Painting of Common Objects」に選ばれる。ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホル、ロバート・ダウド、フィリップ・ヘファートン、ジョー・グッド、エド・ルシェ、ウェイン・ティーボーの作品とともに、ウォルター・ホップスがキュレーションを務めた歴史的に重要な展示に出品したのだ。この展覧会は歴史的にアメリカ合衆国で最初のポップ・アートの動向を決定づけた最初期の展覧会のひとつと考えられている。(写真3)

3.'Job_-1'_by_Jim_Dine,_1962,_Honolulu_Museum_of_Art
写真3:
ジム・ダイン 《ジョブ #1》 1962年 キャンバスにミクスト・メディア ホノルル美術館蔵 


英国とNYのポップ・アート全盛期のニューヨークで1965年に出版された版画集《11人のポップ・アーティスト》(全3巻)。アメリカとイギリスの美術家たち11人が、この作品集のために各1点ずつの版画作品を制作している。50年以上も前に制作されたとは思えないようなユニークな作品群はポップ・アートなるものの斬新さを今日に伝える。ここにジム・ダインもコラージュをシルクスクリーン作品にした《Awl 錐》(写真4)を提供している(《11人のポップ・アーティスト1》)。

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写真4: 
ジム・ダイン 《Awl》- from the portfolio 11 Pop Artists, Volume 1
1965年
Screenprint, ed 200
56.50×48.00cm
Signed & dated 65 in pencil
[エディション作家] the portfolio 11 Pop Artists, Volume 1
アンディ・ウォーホル 、ジョン・ウェスレイ 、ロイ・リキテンスタイン 、アラン・ダーカンジェロ 、ジム・ダイン、アレン・ジョーンズ、ジェラルド・レイング、ピーター・フィリップス、メル・ラモス トム・ウェッセルマン、ジェームズ・ローゼンクイスト


すでに当時の「スィンギン’ロンドン」の雰囲気を漂わせたファッション雑誌からのモノクロのコラージュ中央に錐に貫かれたたばこのマルボロがカラーで乗っている。本作制作の後にジム・ダインがロンドンに移住したのには、ダインにとって当時のロンドンの急進的状況が自作のアートにとって必要なものだと映ったのだろう。コラージュした印刷物の調子がまったくのデ・クニーング流の抽象になっていることが今日絵画を再考するときにいまだ有効性を持っているだろう。ブリティッシュとアメリカン、両者のポップ・アートを記録した伝説のポートフォリオといえよう。《Awl》では、ポップのいちアプローチである、雑誌などのマス媒体から選んだ画像を用いている。だが、その構成にはネオダダといわれるようにダダイズムの解放的な構図が入ってくる。さて、英国とNYのポップ・アーティストの版画集《11人のポップ・アーティスト》刊行の1965年、ダインがのちにロンドン移住のきっかけをつくった展示にも触れておこう。

ロンドンのロバート・フレイザー・ギャラリーが「絵画と素描展 / ジム・ダイン 」(1965年6月)を開催する(写真5)。《Awl》同様に女性の各部をファッション雑誌よりコラージュした構成だが、この女性性の表出は往時のロンドン・ポップ、アレン・ジョーンズやフレンチ・ポップのマルシャル・レイスらとも共通するイメージだ。1966年末には、ダインの作品を展示した後、フレイザー・ギャラリーは「わいせつな」資料の公の展示を禁止する時代遅れの浮浪者法に基づいて召喚状を受け取った。当時ギャラリーが発表した声明が示したように、ダインの素描21点は「人体のさまざまな部分を描いたものであり」、展覧会のカタログのコピーとともに警察に押収された。その後裁判所は、没収された美術品ではなく展覧会がわいせつであるとの判決を下し、フレイザーは罰金を課された。

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写真5:
ジム・ダイン
《ロバート・フレイザー・ギャラリー「絵画と素描展」》
1965年
リトグラフ サイン入り
80.6×51.4cm
エディション100
この作品は、限定100部からアーティストによって手書きで署名され、番号が付けられている。 紙に署名と番号が付けられた特別なリトグラフ。 (サインのないポスター版もあり)


ここで当時のニューヨーク、ロンドン・ポップに影響を及ぼした英国の画商、ロバート・フレイザー(写真6)により詳しく言及してみたい。銀行家の父親(テート・ギャラリーの管財人でもあった裕福な投資家)を持つ家庭に生まれたロバート、名門イートン校出身、父親の出資でロンドンに1962年ロバート・フレイザー・ギャラリーを設立。当時のモダン一辺倒の画廊に対して、若いフレイザーは新しい前衛芸術を求めていた。そもそもポップ・アートはロンドンがニューヨークに先行していた。現代美術に造詣が深くコレクターでもある元ビートルズ、ポール・マッカートニーは彼を「60年代のロンドン・シーンで最も影響力のある人物の一人」と評している。ロバートのロンドンのアパートとギャラリーは、ビートルズ(註:サージェント・ペッパーズのジャケットをブレイクに、ホワイトアルバムをハミルトンに託したのもフレイザーの仕事だった)やローリング・ストーンズのメンバー、写真家のマイケル・クーパー、デザイナーのクリストファー・ギブス、ケネス・アンガー、マリアンヌ・フェイスフル、アニタ・パレンバーグ、ジョンとヨーコ、フランシス・ベーコン、そして多くの裕福なコレクター、社交界の名士、トレンドセッターたちなど、トップ・ポップスター、アーティスト、作家、その他の有名人が集うサロンの中心となった。

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写真6:
ロバート・フレイザー肖像 1967年頃 ロンドン


ギャラリーでは、ピーター・ブレイク、クライヴ・バーカー、ブリジット・ライリー、ジャン・ハワース、リチャード・ハミルトン、ギルバート&ジョージ、ブライアン・クラーク、エドゥアルド・パオロッツィ、アンディ・ウォーホル、ハロルド・コーエン、エド・ルシャなどの展示を行った。ジム・ダインは、ポップ・アート運動の中心的な芸術家として、その作品がロバート・フレイザーのギャラリーで繰り返し展示された。フレイザーは、ダインの作品に興味を持ち、彼の作品を積極的に取り扱い、プロモーションを行った。ロバート・ フレイザー・ ギャラリーは英国の現代美術シーンに多大な影響を及ぼしたが、1969年には役割を終えた。ロバートは残念にも1986年にエイズで死去。49歳だった。
フレイザーの死後かなり経って、PACE ギャラリーは「グルービー・ボブ」へのオマージュを企画した。現在アートと音楽の世界における彼の影響がより十分に評価されるようになった。総括すると、ジム・ダインのロンドン時代とロバート・フレイザーの関係は、ダインの作品の展示やプロモーションを通じて、アーティストとギャラリストの間での協力関係や相互の支援関係があったと見られる。

3章.ロンドンのジム・ダインと《Vegitables》

ともあれ1967年、ダインは美術商ロバート・フレイザー(1937~1986)の支援するロンドンに移り、そこで4年かけて自分のアートを発展させた。この時期、ダインはロンドンでの創作活動や展示に取り組み、ヨーロッパの美術界での影響力を拡大した。1960年代後半のロンドンは、芸術や文化の活性化が著しく、若いアーティストたちが新たな表現方法や芸術運動を探求する場となっていた。ダインもこの流れの中で、自身の作風をさらに発展させることを試みた。この時期のダインの作品は、前衛的で実験的なアプローチを採用しており、彼のポップ・アート的な要素と、シンボリズムや表現主義的な要素が融合している。また、彼は彫刻や版画など、さまざまなメディアでの制作にも取り組んだ。ロンドンでのダインの活動は、彼の芸術的視野を広げ、国際的なアートシーンとの交流を深める機会となった。彼は他のロンドンのギャラリーや美術館での展示も行い、新たなファンや支持者を獲得した。また、アーティストや文化人との交流を通じて、彼の作品に新たな影響やアイデアを取り入れることもあった。

今回ときの忘れものが新規購入した《Vegitables》(写真7、8)は、8枚つづりのポートフォリオ版のうち2点だが、1969年エディションというのは、ちょうどロンドン時代の作品となる。彼はこの作品で、日常の対象やモチーフを取り上げ、その象徴性や美しさを探求した。《野菜(Vegetables)》シリーズには、さまざまな野菜が描かれており、それぞれが鮮やかな色彩や独特の形状で表現されている。ダインはこれらの野菜をリアルな姿で描きながらも、芸術的な解釈や表現を加え、新たな視点や感覚を観る者に提供した。このシリーズのエディション作品は、リトグラフやコラージュなど様々な技法を用いて制作されている。ダインは版画技法を巧みに使いこなし、色彩や質感を生かした作品を創り出した。彼の版画作品は、その繊細なタッチや豊かな表現力を評論家に称賛されている。《野菜(Vegetables)》シリーズは、ダインが日常の対象を通じて人々の感性を刺激し、新たな視覚的体験を提供するという彼のアプローチを象徴する作品となっている。これらの作品は、ダインの芸術的探求と詩作と創造力を示す重要な作品の一つだ。

7ジム・ダイン (1)
写真7:
ジム・ダイン
《Vegetables I》
1969年
リトグラフ、コラージュ
Sheet size: 45.0×40.2cm
(Ed.96)AP
サインあり


8.ジム・ダイン Vegetables VIII
写真8:
ジム・ダイン
《Vegetables VIII》
1969年
リトグラフ、コラージュ
Sheet size: 45.0×40.7cm
(Ed.96)AP
サインあり


「ジム・ダイン: ロンドン」 (1970 マイケル・ブラックウッド・プロダクションズ製作)(写真9)というロンドン時代の記録映画では、「色からではなく言葉から作品を作ること」(ジム・ダイン)は全く同じことだと述べており、視覚的効果よりも詩情に重きをおいた制作態度であることがわかる。ダインはギリシア時代の芸術についても「詩」が重要であった、とも語っている。もちろん彼の初期の作品《ハート》や《バスローブ》などでは色彩やストロークにNY派の影響を感じさせる。だが、視覚言語と純粋詩のかかわりもたぶんにある。彼の詩と絵画の両方が作品に本能的に反映されている。アーティストは、2つの媒体が相互に排他的であるとは感じておらず、むしろ、それらがお互いを高める能力を持っていると感じている。ダインの芸術はこの重なり合う領域に存在する。NY時代エディションの《Tools》(写真10)シリーズでは自分が日常的に使用する「もの」としての道具を配列して作品としたが、同じようなアプローチをした朋友クレス・オルデンバーグと比すれば物質的あるいは物神的なオルデンバーグよりも、私的詩的内面的世界観としての道具や対象とのソフトな交流を感じさせる。

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写真9:
ドキュメンタリー映画「ジム・ダイン: ロンドン」 (1970) マイケル・ブラックウッド・プロダクションズ製作


10_修正
写真10:
ジム・ダイン 《ツール・ボックスNo.1》 1966
紙にスクリーンプリント、コラージュ サインあり 47×60㎝ Tate蔵


1967年にロンドンに拠点を移してからNY型の少し暗くて重いテーマは、より陽気でポジティブな雰囲気を帯びる作品となる。《Vegitables》はそのような背景から現れた。いつも食べている野菜を日々の生活の投影としてコラージュしている。60年代ロンドンはロック・ミュージックをはじめとしてLGBTQの解放、フェミニズム運動の勃興、ラディカルなファッション産業の出現、サイケデリック運動などNYとはまた違った変革期の只中であった。「マクロビオティクス(現在のヴィーガンとベジタリアンの原型)」の爆発的流行で菜食主義者が尊ばれたことも関係しているだろう。ポップ・アートの優位性として作品が制作された同時代性に著しく覚醒していることがあって、図像よりその時代が解釈できる点がある。ともすれば素早く走り去る時代を凝固させたようで興味深い。

いわゆるロンドン・ポップ・アートを確定したものは、リチャード・ハミルトン(1922~2011)のコラージュ作《一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか?》1956(写真11)であるとされる。作中のボディビルダーの男Irvin "Zabo" Koszewskiが持つキャンディにPOPの文字がある。60年代に勃興するNYポップ・アートによって、「ポップ・アート」というジャンルはますます美術史上のものとなっていったわけだ。ロバート・フレイザーはロンドンで、ウォーホル、リキテンスタインなどを仲介した新進画商で、ジム・ダインは、1967年に活動拠点そのものをフレイザーの招きによってロンドンに移したのだ。美術史に対し他のアーティストよりも覚醒していたダインは、ロンドン・ポップの文脈上に美術史としてのポップ・アートを見ていたのだろう。ポップ・アートの「ポップ」には、「ポピュラー」に由来する言葉と「ぽんとはじける」という言葉の、ふたつの重なった意味がある。1950年代のイギリスで誕生し60年代のアメリカで華やかに花開いたポップ・アートは、大量消費社会からまさに「ぽんとはじける」ように登場して一躍人気になった。雑誌、漫画、報道写真、商業広告や商品そのもののイメージなどを取りこんで、「お堅い」芸術の世界をより身近なものへと変えたのである。

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写真11:
リチャード・ハミルトン(Richard Hamilton、1922-2011)
《一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか?》
(Just what is it that makes today's homes so different, so appealing?)1956 コラージュ


4章.第60回ヴェネツィア・ビエンナーレのジム・ダイン

先だって第60回ヴェネツィア・ビエンナーレを取材で訪れたが、関連企画でジム・ダイン展がロッカ・コンタリーニ・コルフ宮殿で開催されていた。「Jim Dine - Dog on the Forge(鍛冶場の犬)」。ヴェネツィアのために特別に制作された20点の彫刻、7点の絵画、5点の素描の大規模な展覧会である。(ジム・ダインのショーは、2024年4月20日に一般公開され、2024年7月21日まで開催)。

キュレーターのゲルハルト・シュタイドルは、ダインのアメリカとヨーロッパの間の絶え間ない旅と、視覚的、文化的、言語的ハイブリッド化の概念に対する彼の生涯の献身からインスピレーションを得た。 「私の人生はずっと、動き続けてきました。じっと座っているのが難しいと感じます。それは多動性の性質だと思います。私はスタジオからスタジオへ、国から国へ行くのがいつも楽しかったのです。私にとって、旅行は(鮮やかな)赤を使うようなものです。絵を描くのはまた別のことだ。」と語る(ジム・ダイン)。

西欧美術史の知識と言語と自己の絶え間ない探求。アカデミア橋からほど近い運河沿いの 14 世紀の宮殿に設置された作品群では、煌びやかなヴェネツィア文化の文脈に沿うように古代と現代が融合し、ジム ・ダインの個人的な歴史と視点に光を当てている。Tools、ハート、自画像、ヴィーナス、ピノキオといった彼の今までの表現を回顧的に再解釈したショーだ(写真12、13、14)。自画像を脱構築したかのような作や部分に詩の書かれた大型絵画群は、まるであの抽象表現主義の時代に回帰するかのように、分厚い油絵の具の積層によってクーニングの暴力性とアンフォルメル時代のフランス絵画の様相も含有しながら絶叫し続けているようだった。ブロンズの大型彫刻もその重量感は過ぎ去りしモダンエイジに対するオマージュかつリベンジのような雰囲気であり、ダインの興味、すなわち詩でありギリシア以来の西欧美術史であり、あのダダイズムであり、日用品へと向かったポップ・アートでもあり、いずれの文脈からもある種の達成を遂げていることからも、ダインの制作意図はぶれておらず、一貫した抽象表現主義へのリスペクトを含むことから、彼をしてネオダダとポップを結ぶ作家であることを再認識させるのに充分だった。

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写真12:
第60回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画「Jim Dine - Dog on the Forge(鍛冶場の犬)」 2024 ロッカ・コンタリーニ・コルフ宮殿、ヴェネツィア 撮影:筆者


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写真13:
ジム・ダイン 《叫び、詩》 2023年、銅管付き塗装ポリマー樹脂にアクリル、ジム・ダインの音声録音、花瓶の詩を読む。200×200×100 cm、第60回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画「Jim Dine - Dog on the Forge(鍛冶場の犬)」 2024 ロッカ・コンタリーニ・コルフ宮殿、ヴェネツィア 撮影:筆者


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写真14:
ジム・ダイン ハートの近作。キャンバスに油彩、ミクスト・メディア。第60回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画「Jim Dine - Dog on the Forge(鍛冶場の犬)」より 2024 ロッカ・コンタリーニ・コルフ宮殿、ヴェネツィア 撮影:筆者


ここで、ダインは近作のピノキオ・シリーズ(木彫に彩色)を5点出品していた(写真15)。こうしたダインの動向はポール・マッカーシーの作品と同時期に展開されている。後続にも影響を及ぼしたとも考えられよう(写真16)。ウィーン・アクショニズム(ボディ・アートやパフォーマンスなど過激な身体芸術運動)に影響を受け78歳の今も勢力的に活動する現代アーティスト”ポール・マッカーシー”、絵具、ケチャップ、マヨネーズ、体液を頭や体になすりつけ、性、排泄物、暴力などのタブーに挑んだ過激なパフォーマンスや映像作品で有名になり、漫画やディズニーキャラクター、ハリウッド映画、スーパーマーケットなどアメリカの消費文化のイメージや言語を流用しグロテスクな世界を表現している。
ダインの直球でシリアスなアプローチに比し皮肉でちゃかしながらもダインの持つ重厚な存在感という意味では継続性を持つ。ダインからの影響をマッカーシーは作品化しダインがそれを再び同じモチーフとするという大文字の美術間のキャッチボールが優れてアメリカ的現象である。

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写真15:
ピノキオ連作 木彫に彩色 第60回ヴェネツィア・ビエンナーレ関連企画「Jim Dine - Dog on the Forge(鍛冶場の犬)」より 2024 ロッカ・コンタリーニ・コルフ宮殿、ヴェネツィア 撮影:筆者


ダインがピノキオを自分の芸術で表現したのは1990年代になってからであり、最初は二連画であった。次のピノキオは 1997年のヴェネツィア・ ビエンナーレとシカゴのリチャード・グレイ・ギャラリーでの展覧会で展示された。高さ 9メートルの2つの記念碑的なブロンズ像:スウェーデンのボロースにある《ウォーキング・トゥ・ボロース》(2008 写真17) と韓国の釜山にある釜山ピノキオ(2013)。ほか、シンシナティ美術館の12フィートのブロンズなど近年ダインのピノキオのキャラクターに対する自己同一性は、少年の人形を作る才能のある人形職人でもある心優しいおもちゃ屋の主人、木彫り師であるゼペットに移っている。芸術に生命を吹き込むことに生涯をかけたダインがゼペット爺に自らの人生を重ね合わせているかのようでもある。

16.マッカシー ピノキオ
写真16:
ポール・マッカーシー
《Pinocchio Pipenose Household Dilemma》
1994年 パフォーマンス、映像 Courtesy of Air de Paris


17.Pinnochio_boras
写真17:
ジム・ダイン《ウォーキング・トゥ・ボロース》(2008) パブリック・アート スウェーデンのボロース


森下泰輔(Taisuke MORISHITA 現代美術家・美術評論家)
新聞記者時代に「アンディ・ウォーホル展 1983~1984」カタログに寄稿。1993年、草間彌生に招かれて以来、ほぼ連続してヴェネチア・ビエンナーレを分析、新聞・雑誌に批評を提供している。「カルトQ」(フジテレビ、ポップアートの回優勝1992)。ギャラリー・ステーション美術評論公募最優秀賞(「リチャード・エステスと写真以降」2001)。現代美術家としては、 多彩なメディアを使って表現。80年代には国際ビデオアート展「インフェルメンタル」に選抜され、作品はドイツのメディアアート美術館ZKMに収蔵。90年代以降ハイパー資本主義、グローバリゼーション等をテーマにバーコードを用いた作品を多く制作。2010年、平城遷都1300年祭公式招待展示「時空 Between time and space」(平城宮跡)参加。2022年のホイットニービエンナーレに作品が掲載された資料が展示された。ろくでなし子とのコラボレーション展2023。Art Lab Group 運営委員。

*画廊亭主敬白
ジム・ダインの《Vegetables》を1975年ころ、初めて買ってくださったのは秋田の船木仁先生でした。私たちの最初のパトロンともいうべき方でした。
そのときはモノが張り付けてあるコラージュでしたが、今回版画の連作が入ってきたのでポップアートに詳しい森下泰輔さんにエッセイをお願いしたところ、大論文が届き仰天しました。
ジム・ダイン、ポップアート、それらを支えたアメリカ、イギリスの画商たちについてこれほど詳細に論述してくださったことに深い感謝をささげます。
それに応えて、急遽
5月15日(水)に「一日だけの特集展示/ジム・ダイン、関根伸夫、菅井汲」を開催します。
魔法陣21200
この日限定の特別価格にてのご案内です。
ジム・ダイン (2)
ジム・ダイン Jim DINE
《Vegetables I》
1969年
リトグラフ、コラージュ
Sheet size: 45.0x40.2cm
Ed.96  AP
サインあり

ジム・ダイン (10)
ジム・ダイン Jim DINE
《Vegetables VIII》
1969年
リトグラフ、コラージュ
Sheet size: 45.0x40.7cm
Ed. 96 AP
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。

取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログに掲載しました。

ジョナス・メカスの映像作品27点を収録した8枚組のボックスセット「JONAS MEKAS : DIARIES, NOTES & SKETCHES VOL. 1-8 (Blu-Ray版/DVD版)」を販売しています。
映像フォーマット:Blu-Ray、リージョンフリー/DVD PAL、リージョンフリー
各作品の撮影形式:16mmフィルム、ビデオ
制作年:1963~2014年
合計再生時間:1,262分
価格:
Blu-Ray→18,000円(税込)
DVD →15,000円(税込)

※2023年8月現在の価格となります。
商品の詳細については、2023年3月4日ブログをご参照ください。


photo (2)ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。