

ふと日常に疲れたとき、再訪したい美術館がある。
近くに温泉があり、お蕎麦のおいしいお店があればいうことはない。
信州須坂にある小さな美術館もそのひとつだ。
1970年代から80年代にかけて私はあるコレクターのために創作版画の蒐集に没頭していた。山本鼎、織田一磨、恩地孝四郎をはじめ、いまや全く忘れ去られた無名の版画家たちの作品や版画雑誌を手当たり次第に集め、そのコレクターに納めた。
10年間に七千点を集めたのだが、おそらく創作版画のコレクションとしては世界でも有数のものだろう。
明治末から始まる創作版画運動のうねりは、ちょうど各地に興った民芸運動のように、全国各地に波及した。
その水脈は地方の文化を支えた人々のネットワークでもある。彼らは積極的に版画雑誌を刊行し、それらを交換したり頒布することによって、版画をつくる喜び、複数だからこそ共有できる版画の美を堪能したに違いない。
東京で出された「方寸」や「詩と版画」「月映」「版藝術」などは有名だが、それら以外に膨大な数の版画雑誌が各地で刊行された。いずれも少部数の手作り雑誌である。
神戸版画の家の「HANGA」、北海道の「さとぽろ」、静岡の「ゆうかり」、信州の「檪」、京都の「黄楊」、大分の「九州版画」、青森の「陸奥駒」など各地で刊行された版画雑誌からは当時の創作版画にかけた人々の熱気がひしひしと伝わってくる。
上にあげた信州須坂の「檪」の主宰者は、小林朝治(1898~1939)という医者だった。はじめ金沢医大に学び、愛媛の病院に勤務したが、帰郷し開業する。故郷須坂で仲間と信濃創作版画協会を結成し各地の版画家たちと交流、作品を集めた。創作版画運動を底辺で支えた人だったが、最後は自殺という悲劇的なものだった。
その遺族から寄贈された作品をもとに開館したのが、須坂版画美術館・平塚運一版画美術館である。
創作版画の原点をみるような、思いっきり辺鄙なところにある。
予算も地方自治体の状況を反映して極端に少ない。数年前瑛九の銅版画を購入していただいたが、学芸員の出張旅費も年に一度くらいしか出ないという有様で、気の毒なくらいだった。
それでも企画に工夫をこらし、頑張っている。なにせジョナス・メカス展を開いたくらいだ。このときも輸送費がないと、学芸員自ら運転して作品を借りにきた。
この美術館がめでたく開館15周年を迎えて記念展「棟方志功と平塚運一 木版画の生命力」を開催している(10月31日まで)。
ぜひお近くの方も、遠方の方もいらしてください。お薦めです。
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