2009年もあと僅か、皆さんには年の瀬をいかがお過ごしでしょうか。
掲示板に、ときの忘れもののご意見番の一人廣瀬さんから<今年の出来事、開催展等の「ときの忘れもの」ベストテン(10で足りなければ20でも30でも)を御披露していただければ>と書き込まれてしまいました。できることなら触れて欲しくなかった・・・・
昨年は調子にのって「2008年の10大ニュース」など書いたのですが、今年は思い出したくないほど、厳しい一年でした。
そもそも、今年の前半、私はほとんど営業にも企画展にも関与せず(スタッフに丸投げ)、ある企画の実現に向けて奔走しておりました。昔からカネになるかどうかに関係なく、情熱をこめられる仕事(作品)があるかどうかで、画商としてのモチベーションが左右される傾向があり、それがあれば逆境も苦にならない。
例えば昨年の池田20世紀美術館での小野隆生先生の回顧展がそれでした。あの展覧会はもちろん池田20世紀美術館の主催ですから、直接には私たちの収益には何ら関係ありません。しかし私は精力のほとんどを同展に注ぎ込みました、だから苦しくても頑張ることができました。
ところが半年以上も全力を挙げて取り組んだ某企画は見事に空中分解してしまいました。いまだその痛手から立ち直れておりません。
心は空ろでも月末は必ず来る、加えてこの不況、辛い辛い一年でありました。

昨秋のリーマン・ショックが引き金になった景気の落ち込みは、私たち零細画廊を直撃しました。
1974年に美術業界に入って以来、いくつも荒波を経験してきましたが、この1年ほど厳しく、混迷のときはありませんでした。予納システムとかで納めた税金が戻ってくるほどの売上げ激減でした。
業界全体の空気が冷え切ってしまい、モノが動かない、「不安」が先にたち、今ほど優れた美術品が安い時代はなく、間違いなくお買い得なのに誰も買おうとしない、結果ますます価格の下落が続く・・・。
画商の仕事というのは一般には「美術品を売る」ことだと考えられていますが、実は違います。画商の画商たる所以は「買う」ことにあります。買うことで誰も目をつけなかった未知の美に「価格」という価値を与え、買うことによって捨てられてしまったかも知れない作品を次の世代に手渡しするお手伝いをするのです。
画商が買わなくなったらおしまいです。今の業界はそういう危機的状況にあります。

少し前のことですが、某オークションに教科書に出てくるような大作家の(数年前の海外オークションでこの作家の代表作のヴィンテージ・プリントが数千万円で落札された)、良く知られている写真作品が出品されました。
私は業者の交換会にも、公開のオークションにも一度も出たことはないのですが(熱くなって買いまくるに違いないので、もし出たら離婚すると社長に脅かされています)、こりゃあ安く買えればいいコレクションになるわと、密かに写真担当の三浦を派遣しました。ただでさえ心臓に持病を持つ三浦は、いったいいくらまで競ったらいいのかとドキドキはらはらだったようですが、結果は拍子抜けの3万円でわが社が落札しました。
たった3万円ですよ・・・・
いったい他の写真画廊さんたちは何をしてるんだ。プロが買わない(買おうとしない)作家・作品を一般の客が買うはずがないじゃないですか。こんな値段を通用させることは、自分で自分の首を絞めるようなものではないか・・・と、私が怒ったところでどうしようもないのですが。

2009年を振り返るとき、先ずお詫びせねばならないのは、ときの忘れもののエディション企画である磯崎新連刊画文集「百二十の見えない都市」第二期12都市分の刊行が遅れに遅れていることです。
すでに第二期に収録される版画作品(銅版、シルクスクリーン)36点はほぼ完成しているのですが、肝心の磯崎新先生の書き下ろし原稿がいまだ完成していないのです。
予約購読されているパトロンの皆様には心よりお詫び申し上げる次第です。

画廊での企画展については、コチラの記録をご覧いただきたいのですが、2009年1月~12月の一年間に開催した企画展は13本でした。中身は惨憺たるもので、売上げゼロの展覧会が4本、売れても数点というのが大半でした。それでも13本のうち6本を占めた写真展では、マン・レイ展銀塩写真の魅力展五味彬写真展など、写真担当の三浦の健闘で充実した展示となり、新しい顧客も開拓できました。
企画展においてもホームページの存在は欠くべからざるものとなっています。8点中、7点が売れた「ドメニコ・ベッリ展」では6点までがネットを見てのお客様でした。

初めて海外アートフェアに出展
私自身は語学も駄目だし、いまさらこの歳で海外に出稼ぎに行くなんて夢にも思いませんでした。買うなら日本で、売るなら海外へ、というのが現実となり、11月にチューリッヒ(スイス)とテグ(韓国)のアートフェアに相次いで出展しました。
結果は、ビギナーズラックでしょうが、予想外の反応(売上げ)を得て今後への手ごたえを感じました。私たちの作家~小野隆生安藤忠雄磯崎新細江英公五味彬~が海外の市場でも十分に戦える、という実感は何よりの励みとなりました。
課題は「経費」です。そこそこの売上げがあったところで、ブース代、旅費、滞在費、作品輸送費などの経費を差し引くと赤字です。
いま世界には400のアートフェアがあり、間違いなく美術市場の大きな部分を占めています。今後も今回の経験を踏まえてヨーロッパ、アジアなどのアートフェアに参戦するつもりです。
お客様がボランティアとして参加してくださったことにも厚く御礼申し上げます。

中津万象園・丸亀美術館で「磯崎新版画展・宮脇愛子展
昨年は、池田20世紀美術館での「描かれた影の記憶 小野隆生展 イタリアでの活動 30年」に企画協力しましたが、今年は中津万象園・丸亀美術館での磯崎新・宮脇愛子の二人展に企画協力し、カタログも編集させていただきました。
磯崎新先生、宮脇愛子先生の作品をエディションし始めてから既に30数年経ちます。
建築家と彫刻家としてお二人のコラボレーションはいくつもあるのですが、二人展は今回が初めてでした。丸亀にある広大な和風庭園、そこに附属する小さな美術館での展示(4月~6月)はたいへん美しく、植田実先生をナビゲーターに企画した「香川の建築とうどんを楽しむツアー」も好評でした。会場風景はコチラをご覧ください。

東京・大阪のアートフェアに出展
昨年に続き、8月に大阪の、11月に東京のアートフェアに出展しました。
大阪は3回目でしたが苦戦でした。来年もし出られるなら方向を大きく転換したいと思います。
東京は出品作家の年齢が45歳以下という条件が出されたので、矢口佳那根岸文子永井桃子井村一巴井桁裕子秋葉シスイの若い女性たち6人衆の出展となりました。上述のチューリッヒとテグの間という極めてタイトなスケジュールでしたが、こちらもボランティアのお客様や出品作家に助けられて何とか乗り切りました。昨年よりン十歳も若返ったおかげでしょうか、今までにない反応を得ることができました。

「VOCA展2009」に根岸文子さんが出品
女子美を卒業後、「あなたは日本にいたら駄目になる」という母親の言葉に背中を押されスペインに渡った根岸文子さんが、ときの忘れもので初めて個展を開いたのは1999年9月でした。
マドリッドの版画工房で助手をつとめながら、「自分独自の風景画」を目指して油彩や版画を制作し続ける姿勢に私たちは共感を覚え、個展やグループ展で紹介してきましたが、おかげさまで今年度のVOCA展(3月 上野の森美術館)に選ばれ、同時にときの忘れもので個展も開催しました。
女子美の広告にも登場するなど、根岸さんにとって稔り多い一年だったでしょう。

狭くて条件の悪い画廊空間を一変させる出品作家のご協力にあらためて御礼申し上げます。
石原輝雄(マン・レイ展)、飯沢耕太郎(銀塩写真の魅力~Gelatin Silver YES!)、小泉晋弥(4 Winds 2009展)、金子隆一・五味彬(五味彬写真展)、吉増剛造(ジョナス・メカス新作写真展)、細江英公(細江英公写真展 新版・鎌鼬)の諸先生にはギャラリートークの講師を務めていただきました。寺小屋のような雰囲気の中で私たちも多くを学び、また画廊と顧客、作家とを結ぶ親密な回路を作れたのではないかと密かに自負しています。
何より、買うことで作家の創作活動と、私たちを支えてくれたお客様に感謝申し上げます。

潰れた企画に放心状態の亭主をけなげに支えてくれるスタッフたちの努力がありました。
初めての海外アートフェア出展のおかげで、新たな出会いがいくつもありました。
もうだめかと思うたびに、廣瀬さん、原茂さんはじめ多くの方たちの掲示板の書き込みや、お客様の一言で幾度救われたことでしょう。「コレクターの声」は私たちの大切な財産です。
思わぬ方向から新たなお客様が現れて嬉しい売上げがいくつもありました。
26日の営業最終日、いまだお目にかかったことのない信州のMさん(ネットの顧客で野田哲也のコレクター)から美味しい干し柿が届きました。忘年会のワインにぴったりの味でした。
今年一年、皆さんほんとうにありがとうございました。
お正月休み中もこのブログは、三浦はじめスタッフが交代で毎日更新します。
明日の美術界(+ときの忘れもの)を担う若い作家たちからの新春メッセージもお届けできると思います。
どうぞ、皆さん良いお年を!