昨日は休日でしたが画廊はオープン(会期中無休)。
早々に入ってこられたのは岡山県の奈義町現代美術館の学芸員・岸本先生でした。
磯崎新設計による同館が展示替えもないのに年々来館者が増えているという話題は先日お伝えしましたが、開館以来その先頭に立って奮闘しているのが岸本先生です。
岸本先生とは奈義町の話などゆっくりしたかったのですが、亭主は「田中文男さんを偲ぶ会」に出席のため早退しました(この件はまた後日ご報告します)。

今回の「マン・レイと宮脇愛子展」にはおかげさまでいろいろな方がお見えになります。
先週末には、マン・レイ・イストとして夙に有名な石原輝雄さんが京都から上京(下向というのかしら)されました。昨年の「マン・レイ展」のギャラリー・トークではその該博な知識、コレクターとしての執念に感銘を受けた方も多いでしょう。
石原さんのブログをお読みいただきたいのですが、石原さんはいまや日本が世界に誇るマン・レイ探求の第一人者。<探求>と言って、<研究>と言わないのは、石原さんが実物こそ全てと確信しているコレクター魂の持ち主だからです。

一緒にいらしたのは石原さんの友人で10月1日のレセプションにも出席された、これも名うての瀧口修造のコレクター土渕信彦さん。

不思議なもので、石原さん、土渕さんがいるところにひょっこり来廊されたのが次回企画「S氏コレクション展 駒井哲郎Part Ⅱ」の所蔵者Sさんでした。もちろんお互い初対面。
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左から、石原輝雄さん、土渕信彦さん、Sさん、亭主

類は友を呼ぶというか、マン・レイ、瀧口修造、駒井哲郎のそれぞれ大コレクターの揃い踏みと相成りました。
偶然とはいえ、豪華なメンバーですね。


瀧口修造さんからの手紙
瀧口修造「マン・レイ様」
1973年

瀧口修造
瀧口修造「MAN AS NO RAY AS YES」
1976年


 瀧口先生は、デュシャンの親友であったからばかりではなく、マン・レイに対して、深い関心と共感をもっていられたようでした。
私は、六〇年代の初め、パリにしばらく住んで、マン・レイのアトリエに入りびたりといった感じで親しくしていたため、先生は、その後のマン・レイの消息を私からきくことを、楽しみにしておられた様子でした。ちょうどまだマン・レイが元気でまだ散歩などに出られたころ、私が、マン・レイ夫妻の写真をたくさんとってきて先生にさしあげますと、先生は、もうその次に、私が伺ったときには、アルバムにきれいに貼って見せて下さるほどでした。
 一九七六年十一月十九日、マン・レイ逝去の悲しい知らせが入ったときのことです。
「あなたにマン・レイへのお悔みをおくります」という添え書きとともに、次のような先生独特の「アナグラム」でできたマン・レイへのオマージュを贈っていただいたのです。これはあとから綾子夫人から伺ったのですが、大岡信氏が中国から持ち帰られたという特別な紙に、先生が毛筆を揮われた由・・・・

 宮脇愛子『はじめもなく終りもない―ある彫刻家の軌跡』(1991年、岩波書店)より抜粋

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◆ときの忘れものは、9月28日(火)~10月16日(土)「マン・レイと宮脇愛子展」を開催しています(会期中無休)。
案内状 編集版_600
10月16日(土)17時からの巌谷國士さんのギャラリー・トークは既に定員に達しました。
トーク終了後の18時から巌谷さん、宮脇愛子さんを囲みクロージングパーティを開催します。こちらは予約無しで参加できますので、18時過ぎにご来場ください。