山口由美のエッセイ
<ナミビア「室内の砂丘」を旅する>第1回
赤い砂丘から「室内の砂丘」へ
「室内の砂丘」を見た人は、まずそれを絵画と疑う。次いで、写真であったとしても虚構の空間に違いないと思い、ついに現実の空間であると知っても、砂丘だけは、人の作為に違いない、と言う。
なぜ虚構に見えるのか。
その理由の少なくともひとつは、作品の舞台となったナミビアの砂漠、それ自体にあるのではないかと私は思う。
私が初めてナミビアに行ったのは、1990年代初め、独立してまもない頃だった。その時、南アフリカのダーバンで旅行業界の展示会に参加していた私は、会場で衝撃的な砂漠の写真を見たのである。
この世のものとは思えない、言葉を失う程に美しい、赤い砂丘の写真だった。私は、見えない力に導かれるようにして、その場で、帰国のフライトを遅らせ、ナミビアの首都、ウィントフック行きのチケットを手配した。写真が飾られていたブースには、スワコプムントという大西洋岸の町で旅行会社を運営する、サンタクロースを思わせる風貌の男がいて、ガイドとして案内すると言う。日本人のジャーナリストが来るなんてまたとないことだからと、彼もまた興奮していた。
そうして行ったのが、ナミブ砂漠の心臓部にある赤い砂丘、ソーサスフレイである。日本では、いまだにほとんど知られていないが、いまはいいホテルも増えて、欧米では一部の知的好奇心の強い人たちの間で、ハネムーンの行き先として人気がある。だが、当時は、キャンプしか泊まるところはなかった。
砂丘は、あきらかに目の前に存在しているのに、絵画を見ているような不思議な感覚があった。虚構の風景に見えるのは、南半球特有の強い光のせいなのか、乾いた空気のせいなのか。理由はわからないけれど、その圧倒的な存在感に私は立ちすくんだ。
この体験がなかったなら、私は尾形一郎にナミビアのことを語ることはなかっただろう。彼が南アフリカの書店で「室内の砂丘」の舞台となる土地の写真に出会うのは、その後のことである。
やがて、尾形優と一郎は、さらなるリサーチをしてナミビアに出かけるようになる。そして、私が衝撃を受けた赤い砂丘、ソーサスフレイよりもっと凄いもの、「室内の砂丘」の舞台と邂逅するのである。
赤い砂丘に連なる非現実的な風景の砂漠が、人の欲望と出会った場所、それが「室内の砂丘」の世界だった。(続く)
■山口由美(やまぐち ゆみ)
1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。旅をテーマにノンフィクションやエッセイなどを執筆。曾祖父は、箱根富士屋ホテルの創業者・山口仙之助。
著書に、『帝国ホテル・ライト館の謎』(集英社新書)、『長崎グラバー邸 父子二代』(集英社新書)、『増補版 箱根富士屋ホテル物語』(千早書房)、『旅する理由』(同)、『消えた宿泊名簿―ホテルが語る戦争の記憶―』(新潮社)等がある。
*画廊亭主敬白
本日から4回連続で、山口由美のエッセイ<ナミビア「室内の砂丘」を旅する>を掲載します。
山口由美さんのお名前は存じ上げてはいましたが、初めてお目にかかったのはつい先日の5月30日、銀座・ギャラリーせいほうでの尾形さんのオープニングです。
尾形さんと一緒にナミビアの砂漠を旅したと聞いて、その場で原稿を依頼した次第です。
海外へ行かれる直前のお忙しい時間の合間を縫って原稿を書いてくださった山口さんに感謝いたします。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年5月30日[月]―6月11日[土]「ナミビア:室内の砂丘 尾形一郎 尾形優写真展」を銀座と青山の二会場で同時開催しています。
営業時間と休廊日が異なりますので、ご注意ください。
20年に亘って大型カメラを携え、世界の辺境に残された建築物を撮りつづけている尾形一郎と尾形優。 昨年好評を博したシリーズ〈ウルトラ・バロック〉に引き続き、今回は、アフリカ・ナミビアの砂漠に残された100年前の家々の痕跡を撮影したシリーズ〈室内の砂丘〉を発表します。
銀座・ギャラリーせいほうでは大作7点、南青山・ときの忘れものでは20点組の初のポートフォリオを出品します。

作家と作品については、「尾形一郎 尾形優のエッセイ」をぜひお読みください。
また植田実さんのエッセイ「尾形邸”タイルの家”を訪ねて」第1回、第2回、第3回もお読みください。
会期中、尾形さんのサイン入り写真集や、雑誌を特別頒布しています。
銀座:ギャラリーせいほう
東京都中央区銀座8-10-7 電話03-3573-2468
11:00-18:00 日曜・祭日休廊
青山:ときの忘れもの
東京都港区南青山3-3-3 青山Cube101 電話03-3470-2631
12:00-19:00 会期中無休
<ナミビア「室内の砂丘」を旅する>第1回
赤い砂丘から「室内の砂丘」へ
「室内の砂丘」を見た人は、まずそれを絵画と疑う。次いで、写真であったとしても虚構の空間に違いないと思い、ついに現実の空間であると知っても、砂丘だけは、人の作為に違いない、と言う。
なぜ虚構に見えるのか。
その理由の少なくともひとつは、作品の舞台となったナミビアの砂漠、それ自体にあるのではないかと私は思う。
私が初めてナミビアに行ったのは、1990年代初め、独立してまもない頃だった。その時、南アフリカのダーバンで旅行業界の展示会に参加していた私は、会場で衝撃的な砂漠の写真を見たのである。
この世のものとは思えない、言葉を失う程に美しい、赤い砂丘の写真だった。私は、見えない力に導かれるようにして、その場で、帰国のフライトを遅らせ、ナミビアの首都、ウィントフック行きのチケットを手配した。写真が飾られていたブースには、スワコプムントという大西洋岸の町で旅行会社を運営する、サンタクロースを思わせる風貌の男がいて、ガイドとして案内すると言う。日本人のジャーナリストが来るなんてまたとないことだからと、彼もまた興奮していた。
そうして行ったのが、ナミブ砂漠の心臓部にある赤い砂丘、ソーサスフレイである。日本では、いまだにほとんど知られていないが、いまはいいホテルも増えて、欧米では一部の知的好奇心の強い人たちの間で、ハネムーンの行き先として人気がある。だが、当時は、キャンプしか泊まるところはなかった。
砂丘は、あきらかに目の前に存在しているのに、絵画を見ているような不思議な感覚があった。虚構の風景に見えるのは、南半球特有の強い光のせいなのか、乾いた空気のせいなのか。理由はわからないけれど、その圧倒的な存在感に私は立ちすくんだ。
この体験がなかったなら、私は尾形一郎にナミビアのことを語ることはなかっただろう。彼が南アフリカの書店で「室内の砂丘」の舞台となる土地の写真に出会うのは、その後のことである。
やがて、尾形優と一郎は、さらなるリサーチをしてナミビアに出かけるようになる。そして、私が衝撃を受けた赤い砂丘、ソーサスフレイよりもっと凄いもの、「室内の砂丘」の舞台と邂逅するのである。
赤い砂丘に連なる非現実的な風景の砂漠が、人の欲望と出会った場所、それが「室内の砂丘」の世界だった。(続く)
■山口由美(やまぐち ゆみ)
1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。旅をテーマにノンフィクションやエッセイなどを執筆。曾祖父は、箱根富士屋ホテルの創業者・山口仙之助。
著書に、『帝国ホテル・ライト館の謎』(集英社新書)、『長崎グラバー邸 父子二代』(集英社新書)、『増補版 箱根富士屋ホテル物語』(千早書房)、『旅する理由』(同)、『消えた宿泊名簿―ホテルが語る戦争の記憶―』(新潮社)等がある。
*画廊亭主敬白
本日から4回連続で、山口由美のエッセイ<ナミビア「室内の砂丘」を旅する>を掲載します。
山口由美さんのお名前は存じ上げてはいましたが、初めてお目にかかったのはつい先日の5月30日、銀座・ギャラリーせいほうでの尾形さんのオープニングです。
尾形さんと一緒にナミビアの砂漠を旅したと聞いて、その場で原稿を依頼した次第です。
海外へ行かれる直前のお忙しい時間の合間を縫って原稿を書いてくださった山口さんに感謝いたします。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年5月30日[月]―6月11日[土]「ナミビア:室内の砂丘 尾形一郎 尾形優写真展」を銀座と青山の二会場で同時開催しています。
営業時間と休廊日が異なりますので、ご注意ください。
20年に亘って大型カメラを携え、世界の辺境に残された建築物を撮りつづけている尾形一郎と尾形優。 昨年好評を博したシリーズ〈ウルトラ・バロック〉に引き続き、今回は、アフリカ・ナミビアの砂漠に残された100年前の家々の痕跡を撮影したシリーズ〈室内の砂丘〉を発表します。
銀座・ギャラリーせいほうでは大作7点、南青山・ときの忘れものでは20点組の初のポートフォリオを出品します。

作家と作品については、「尾形一郎 尾形優のエッセイ」をぜひお読みください。
また植田実さんのエッセイ「尾形邸”タイルの家”を訪ねて」第1回、第2回、第3回もお読みください。
会期中、尾形さんのサイン入り写真集や、雑誌を特別頒布しています。
銀座:ギャラリーせいほう
東京都中央区銀座8-10-7 電話03-3573-2468
11:00-18:00 日曜・祭日休廊
青山:ときの忘れもの
東京都港区南青山3-3-3 青山Cube101 電話03-3470-2631
12:00-19:00 会期中無休
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