社長は「ART NAGOYA 2011」の準備に加えて、決算の始末に連日てんてこ舞い。
昨日も会計事務所の方と頭を抱えておりました。
スタッフたちは月末に納品予定の編集仕事のために、社是(?)に反してこれまた休日出勤、残業と獅子奮迅の働きをしています。
なかで亭主ひとり、気の抜けたビールのようなだらしない格好で惰眠を貪っております。
さて、今月のWEB展は「福田勝治展」です。
ときの忘れもののコレクションから、福田勝治の名作を紹介しています。
福田勝治 Katsuji FUKUDA
「光りの貝殻(ヌード)」
1949年
ゼラチンシルバープリント
33.3×40.2cm
作家自筆サインあり
「光りの貝殻」は、福田勝治の数多いヌード作品の中でも白眉と言える作品で、1994年に山口県立美術館で開催された「写真家/福田勝治展」のカタログの表紙にも使われています。
漆黒の中にモデルの顔に一条の光が差し、体の稜線が光でなだらかなカーブを描く。まさに光の彫刻です。
「真の表現をこころみようとする写真家は、裸体を一つの大理石の石塊として考えなくてはならない。そこで写真は『鑿』のかわりに『カメラ』でそれを表現し、自己の思うままの裸像を築き、穿ち、創らなければならない。」(福田勝治『色と光の芸術』より、1951年)

山口県立美術館に収められているこの作品のサイズは、40.5x31.9cmと縦長の作品ですが、ときの忘れもの所蔵作品は、上下が大胆にトリミングされていて、33.3x40.2cmと横長の作品になっています。
裏には「月光に照らされて 女の曲線 うねり波うつ」と作家によって書かれていて、あるいは、トリミング後のこの作品のタイトルとしたかったのかもしれません。
福田勝治の生きた時代は、まだ写真のプリントの市場がなかったといってもよく、売り買いもほとんどなかった。
作家自筆のサインの入ったプリント、特にこの「光りの貝殻」のようなミュージアムピースは、たいへん貴重です。
福田勝治
「Still Life 静物」
1952年
ゼラチンシルバープリント
40.5×32.0cm
裏面に遺族のサインあり
次に「イタリア紀行」シリーズをご紹介します。
まだ海外渡航が珍しかった1955(昭和30)年福田勝治は某コンテストの賞品でヨーロッパ旅行を獲得します。自ら望んで各国を巡るのではなくイタリアだけの滞在を希望しました。
イタリアとその文化に強い憧憬を抱いていたからでしょう。
「私はパリやロンドンにも行かずにイタリアだけに滞在して、今に残るイタリアの伝統文化の数々を、そしてその風光明媚な太陽の国の風物をワイドアングルのキャノンレンズでとらえ、私のイタリア紀行を制作した。それはフランスの詩人ジャン・コクトオの言葉ではないが、〈美の海水浴〉に出かけて、すっかり日焼けして帰国した。」『ソノラマ写真選書19 頌歌』(朝日ソノラマ、1979年刊)
福田勝治
「オスティア」〈イタリア紀行〉より
1955年
ゼラチンシルバープリント
24.5×19.0cm
裏面に遺族のサインあり
福田勝治
「ローマ空港の近く」〈イタリア紀行〉より
1955年
ゼラチンシルバープリント
14.0×21.0cm
裏面に遺族のサインあり
◆1994年に開催された山口県立美術館の回顧展図録の在庫が若干あります。
ご希望の方は、メールにてお申し込みください。

『写真家/福田勝治展 孤高のモダニスト』図録
会期:1994.10.7-1994.11.27
発行:山口県立美術館
編集:榎本徹、河野通孝
270p ; 30cm
頒布価格:2,800円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●孤高を貫いたその生涯と作品については「飯沢耕太郎のエッセイ」をお読みください。
■福田勝治1899年山口県生まれ。1921年東京で高千穂製作所に勤務しながらヴェス単で写真を撮り始める。関東大震災後、大阪に移る。1926年「第1回日本写真美術展」でイルフォード・ダイヤモンド賞を受賞。翌年、堺市で写真館を開業するもうまく行かず、生活が困窮する中でもバウハウスの影響を受けた構成的な静物写真の作品制作を続ける。1936年『アサヒカメラ』に連載された「カメラ診断」が好評となり、それをまとめた『女の写し方』をはじめとして多くの指南書を出版、広告写真でも活躍する。戦後、女性美を追求したヌード作品を発表し、日本写真界をリードする存在となる。そのなかの「光りの貝殻(1949)」は福田の代表作となる。
リアリズム写真運動が写真界を席巻する中でも、自分のスタイルを崩すことなく、孤高をつらぬく。1955年キャノン・コンテストで推薦を受けてイタリア旅行に招待される。翌年、「イタリア写真展」を開催し大好評を得た。この後、「京都」「銀座」「隅田川」などのシリーズを発表。1950年代末より実験的なカラー写真の制作を始め、1970年には日本橋高島屋で「花の裸婦・福田勝治写真展」が開催された。1991年逝去。享年92。横浜美術館、川崎市市民ミュージアム、東京都写真美術館、山口県立美術館に作品が所蔵。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年7月26日[火]―7月30日[土]「クレー、カンディンスキーと恩地孝四郎展」を開催しています。
19世紀末から20世紀はじめにかけて巻き起こった新しい美術運動の中から生まれたクレー、カンディンスキーの版画作品と、それらの影響を受けながら日本で独自の抽象作品を制作した恩地孝四郎の作品、あわせて20点を出品します。
◆ときの忘れものは、2011年8月5日[金](プレス、招待客のみ)、6日[土]、7日[日]にウェスティンナゴヤキャッスル9Fで開催される「ART NAGOYA 2011」に出展します。
ときの忘れもののブースは908号室です。
◆ときの忘れものは、2011年8月8日[月]―8月15日[月]まで夏季休廊となります。夏休みをとるのは数年ぶりですので、営業日に関してどうぞお間違いのないようお願いいたします。
◆今月のWEB展は福田勝治展です。
昨日も会計事務所の方と頭を抱えておりました。
スタッフたちは月末に納品予定の編集仕事のために、社是(?)に反してこれまた休日出勤、残業と獅子奮迅の働きをしています。
なかで亭主ひとり、気の抜けたビールのようなだらしない格好で惰眠を貪っております。
さて、今月のWEB展は「福田勝治展」です。
ときの忘れもののコレクションから、福田勝治の名作を紹介しています。
福田勝治 Katsuji FUKUDA「光りの貝殻(ヌード)」
1949年
ゼラチンシルバープリント
33.3×40.2cm
作家自筆サインあり
「光りの貝殻」は、福田勝治の数多いヌード作品の中でも白眉と言える作品で、1994年に山口県立美術館で開催された「写真家/福田勝治展」のカタログの表紙にも使われています。
漆黒の中にモデルの顔に一条の光が差し、体の稜線が光でなだらかなカーブを描く。まさに光の彫刻です。
「真の表現をこころみようとする写真家は、裸体を一つの大理石の石塊として考えなくてはならない。そこで写真は『鑿』のかわりに『カメラ』でそれを表現し、自己の思うままの裸像を築き、穿ち、創らなければならない。」(福田勝治『色と光の芸術』より、1951年)

山口県立美術館に収められているこの作品のサイズは、40.5x31.9cmと縦長の作品ですが、ときの忘れもの所蔵作品は、上下が大胆にトリミングされていて、33.3x40.2cmと横長の作品になっています。
裏には「月光に照らされて 女の曲線 うねり波うつ」と作家によって書かれていて、あるいは、トリミング後のこの作品のタイトルとしたかったのかもしれません。
福田勝治の生きた時代は、まだ写真のプリントの市場がなかったといってもよく、売り買いもほとんどなかった。
作家自筆のサインの入ったプリント、特にこの「光りの貝殻」のようなミュージアムピースは、たいへん貴重です。
福田勝治「Still Life 静物」
1952年
ゼラチンシルバープリント
40.5×32.0cm
裏面に遺族のサインあり
次に「イタリア紀行」シリーズをご紹介します。
まだ海外渡航が珍しかった1955(昭和30)年福田勝治は某コンテストの賞品でヨーロッパ旅行を獲得します。自ら望んで各国を巡るのではなくイタリアだけの滞在を希望しました。
イタリアとその文化に強い憧憬を抱いていたからでしょう。
「私はパリやロンドンにも行かずにイタリアだけに滞在して、今に残るイタリアの伝統文化の数々を、そしてその風光明媚な太陽の国の風物をワイドアングルのキャノンレンズでとらえ、私のイタリア紀行を制作した。それはフランスの詩人ジャン・コクトオの言葉ではないが、〈美の海水浴〉に出かけて、すっかり日焼けして帰国した。」『ソノラマ写真選書19 頌歌』(朝日ソノラマ、1979年刊)
福田勝治「オスティア」〈イタリア紀行〉より
1955年
ゼラチンシルバープリント
24.5×19.0cm
裏面に遺族のサインあり
福田勝治「ローマ空港の近く」〈イタリア紀行〉より
1955年
ゼラチンシルバープリント
14.0×21.0cm
裏面に遺族のサインあり
◆1994年に開催された山口県立美術館の回顧展図録の在庫が若干あります。
ご希望の方は、メールにてお申し込みください。

『写真家/福田勝治展 孤高のモダニスト』図録
会期:1994.10.7-1994.11.27
発行:山口県立美術館
編集:榎本徹、河野通孝
270p ; 30cm
頒布価格:2,800円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
●孤高を貫いたその生涯と作品については「飯沢耕太郎のエッセイ」をお読みください。
■福田勝治1899年山口県生まれ。1921年東京で高千穂製作所に勤務しながらヴェス単で写真を撮り始める。関東大震災後、大阪に移る。1926年「第1回日本写真美術展」でイルフォード・ダイヤモンド賞を受賞。翌年、堺市で写真館を開業するもうまく行かず、生活が困窮する中でもバウハウスの影響を受けた構成的な静物写真の作品制作を続ける。1936年『アサヒカメラ』に連載された「カメラ診断」が好評となり、それをまとめた『女の写し方』をはじめとして多くの指南書を出版、広告写真でも活躍する。戦後、女性美を追求したヌード作品を発表し、日本写真界をリードする存在となる。そのなかの「光りの貝殻(1949)」は福田の代表作となる。
リアリズム写真運動が写真界を席巻する中でも、自分のスタイルを崩すことなく、孤高をつらぬく。1955年キャノン・コンテストで推薦を受けてイタリア旅行に招待される。翌年、「イタリア写真展」を開催し大好評を得た。この後、「京都」「銀座」「隅田川」などのシリーズを発表。1950年代末より実験的なカラー写真の制作を始め、1970年には日本橋高島屋で「花の裸婦・福田勝治写真展」が開催された。1991年逝去。享年92。横浜美術館、川崎市市民ミュージアム、東京都写真美術館、山口県立美術館に作品が所蔵。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2011年7月26日[火]―7月30日[土]「クレー、カンディンスキーと恩地孝四郎展」を開催しています。
19世紀末から20世紀はじめにかけて巻き起こった新しい美術運動の中から生まれたクレー、カンディンスキーの版画作品と、それらの影響を受けながら日本で独自の抽象作品を制作した恩地孝四郎の作品、あわせて20点を出品します。◆ときの忘れものは、2011年8月5日[金](プレス、招待客のみ)、6日[土]、7日[日]にウェスティンナゴヤキャッスル9Fで開催される「ART NAGOYA 2011」に出展します。
ときの忘れもののブースは908号室です。
◆ときの忘れものは、2011年8月8日[月]―8月15日[月]まで夏季休廊となります。夏休みをとるのは数年ぶりですので、営業日に関してどうぞお間違いのないようお願いいたします。
◆今月のWEB展は福田勝治展です。
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