中川美香のエッセイ「瑛九を追って」第1回
瑛九を追いかけて㊤ 「かくれんぼ」
宮崎日日新聞文化部次長・中川美香
出身地の都城市は鹿児島県に隣接しており、宮崎県出身と言っても県庁所在地の宮崎市になじみがないまま大人になった。そのためか、宮崎市出身の画家瑛九のことはほとんど知らなかった。
宮崎日日新聞社に入社し、報道部にいたころ、展覧会などの取材で「郷土画家瑛九」という枕ことばを何度か使った気はするけれど、鮮明な記憶はない。2005年から文化部に移り、担当の一つが美術になってしばらくたったころからだ。なぜか妙に、「瑛九」が気になりだしたのは。
地元、宮崎県立美術館所蔵の瑛九作品は油彩、フォト・デッサンなど約千点。全国でもダントツに多く、年間を通してさまざまな角度からコレクション展を開催している。しかし、その熱意に比較して、市井の人々の話題に上ることは少ないように感じた。美術館の中だけで完結しているというか、「美術館の中に生きている」というべきか、そんな印象を抱くようになった。
□ ■ □ ■ □
ただ、この人はどうして「瑛九」なんて変わった名前を用いたんだろうとか、縁の太い眼鏡の奥にある瞳は大まじめに何を見詰めていたのだろうかと、徐々に頭の中にクエスチョンマークが増えてきた。後世の評価より、この人自身が何を見て、何を感じ、どんな道を歩いてきたのだろうかという興味にとらわれ始めた。
そのうち没後年(2010年)、生誕100年(2011年)という節目の年が視野に入ってきた。今なら企画が通る! まだ漠然としていた瑛九像だったけれど、何とか企画書を仕上げて上司に仰ぐと、幸せなことに「宮崎日日新聞創刊周年企画」として展開できることになった。終わった今考えても、それは本当に幸せなことだった。取材班は全国各地に何度も足を延ばせたのだから。
□ ■ □ ■ □
ただし、簡単な道ではなかった。疑問に浮かんだことを次々と取材して全体像を描き、伝えるべき本質をその中から見抜いて書く。記事、特に連載企画などはこういうプロセスで書き進めていくのだが、瑛九の場合、それが困難だった。それは、彼に魅了された学芸員、研究者たちも口をそろえるところだ。
油彩、フォト・デッサン、エッチング、リトグラフ…。表現の舞台を一カ所に決めて安住しようとはせず、次々と新たな光に向かって駆けだす瑛九。評論、俳句、静坐、エスペラント語…とさまざまな活動にも熱を上げた。実生活も宮崎を飛び出し、東京、大阪、福井…と各地で風を起こした。当時の画壇を痛烈に批判しデモクラート美術協会という新しい団体をつくった。と思えば、解散して1人、キャンバスにただただ向き合う日々。短い48年の生涯を目いっぱい使い、動き回っているのでなかなか全体像がつかめないのだ。
連載にゴーサインを出してくれた当時の部長は、後に1面コラムでこう書いている。「多面体の入れ子のようだ。(中略)理解が進んだと思ったらまた謎が深まる不思議な存在」(2010年10月22日付け「くろしお」)。本当にこの通り。取材中、瑛九がひょっこり目の前に現れたと思うくらい間近に迫れることがあったかと思うと、すぐさま舌を出して逃げてしまう…。瑛九と草むらでかくれんぼをしているような感覚も抱いた。
ただ、この直感だけは信じた。美術館に飾られているまばゆいばかりの点描が、こう言った気がしていたのだ。「外へ外へ」。どんどん出ていこう、どんどん追いかけようと思った。駆け足で次の場所に移動してしまう、その背中を見失わないように。(なかがわ みか)
■中川美香 Mika NAKAGAWA(なかがわ・みか)
宮崎県都城市生まれ。都城西高、神戸市外国語大学卒。1993年、宮崎日日新聞社(宮崎市)に入社し、報道部、日南支社、文化部に勤務。2005年から在籍する文化部では美術、音楽、芸能、読書、医療、子育てなどさまざまな担当を受け持つ。これまでに「土呂久からアジアへ(鉱害告発30年)」(3部作)、「埋もれたSOS~都城わが子殺害の衝撃」などを連載。美術関連では「美巡る 宮日美展60年を迎えて」、「総選挙・問われる現代像 宮崎・表現者からの視点」などの連載に携わった。「瑛九 光の冒険」ではデスク兼ライター。
著書に「ハローベイビーズ! 双子育児で見えたもの」(宮崎日日新聞社発行、問い合わせ=宮日文化情報センター☎0985~27~4737)。自身の双子出産を機に、周産期医療の現場や現代の育児事情などを取材し100回以上続けた連載を単行本化した。現在、日本多胎支援協会「虐待防止のための連携型多胎支援事業」推進委員なども務める。
*画廊亭主敬白
「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」にはお蔭様でたくさんいらしていただいています。
浅野智子さんの連載エッセイ「瑛九の型紙考」に続き、本日から3回連続で、宮崎日日新聞の文化部デスクの中川美香さんの「瑛九の追っかけの記」を掲載します。
宮崎日日新聞は瑛九の故郷宮崎で精力的な瑛九キャンペーンを繰り広げています。
瑛九
「フォトデッサン型紙16」
切り抜き・印画紙
30.4x25.3cm
"Q Ei"と鉛筆サインあり
瑛九
「フォトデッサン型紙17」
1937年
切り抜き・印画紙
30.2x25.2cm
"Q Ei/37"と鉛筆サインあり
瑛九
「フォトデッサン型紙18」
切り抜き・印画紙
21.2x26.5cm
瑛九
「フォトデッサン型紙19」
切り抜き・印画紙
25.2x30.3cm
"Q Ei"とペンサインあり
瑛九
「フォトデッサン型紙20」
切り抜き・印画紙
30.2x25.2cm
"Q Ei"とペンサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」を開催しています。

「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」
会期=2011年9月9日[金]―9月17日[土]
12時~19時 会期中無休
全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター(限定200部、番号入り)を製作しました。
瑛九展ポスター(表)
限定200部
デザイン:DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
価格:1,500円(税込)
+梱包送料:1,000円
瑛九展ポスター(裏)
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆「生誕100年記念瑛九展」が埼玉県立近代美術館と、うらわ美術館の2会場で同時開催されています。
会期=9月10日(土)~11月6日(日)
瑛九を追いかけて㊤ 「かくれんぼ」
宮崎日日新聞文化部次長・中川美香
出身地の都城市は鹿児島県に隣接しており、宮崎県出身と言っても県庁所在地の宮崎市になじみがないまま大人になった。そのためか、宮崎市出身の画家瑛九のことはほとんど知らなかった。
宮崎日日新聞社に入社し、報道部にいたころ、展覧会などの取材で「郷土画家瑛九」という枕ことばを何度か使った気はするけれど、鮮明な記憶はない。2005年から文化部に移り、担当の一つが美術になってしばらくたったころからだ。なぜか妙に、「瑛九」が気になりだしたのは。
地元、宮崎県立美術館所蔵の瑛九作品は油彩、フォト・デッサンなど約千点。全国でもダントツに多く、年間を通してさまざまな角度からコレクション展を開催している。しかし、その熱意に比較して、市井の人々の話題に上ることは少ないように感じた。美術館の中だけで完結しているというか、「美術館の中に生きている」というべきか、そんな印象を抱くようになった。
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ただ、この人はどうして「瑛九」なんて変わった名前を用いたんだろうとか、縁の太い眼鏡の奥にある瞳は大まじめに何を見詰めていたのだろうかと、徐々に頭の中にクエスチョンマークが増えてきた。後世の評価より、この人自身が何を見て、何を感じ、どんな道を歩いてきたのだろうかという興味にとらわれ始めた。
そのうち没後年(2010年)、生誕100年(2011年)という節目の年が視野に入ってきた。今なら企画が通る! まだ漠然としていた瑛九像だったけれど、何とか企画書を仕上げて上司に仰ぐと、幸せなことに「宮崎日日新聞創刊周年企画」として展開できることになった。終わった今考えても、それは本当に幸せなことだった。取材班は全国各地に何度も足を延ばせたのだから。
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ただし、簡単な道ではなかった。疑問に浮かんだことを次々と取材して全体像を描き、伝えるべき本質をその中から見抜いて書く。記事、特に連載企画などはこういうプロセスで書き進めていくのだが、瑛九の場合、それが困難だった。それは、彼に魅了された学芸員、研究者たちも口をそろえるところだ。
油彩、フォト・デッサン、エッチング、リトグラフ…。表現の舞台を一カ所に決めて安住しようとはせず、次々と新たな光に向かって駆けだす瑛九。評論、俳句、静坐、エスペラント語…とさまざまな活動にも熱を上げた。実生活も宮崎を飛び出し、東京、大阪、福井…と各地で風を起こした。当時の画壇を痛烈に批判しデモクラート美術協会という新しい団体をつくった。と思えば、解散して1人、キャンバスにただただ向き合う日々。短い48年の生涯を目いっぱい使い、動き回っているのでなかなか全体像がつかめないのだ。
連載にゴーサインを出してくれた当時の部長は、後に1面コラムでこう書いている。「多面体の入れ子のようだ。(中略)理解が進んだと思ったらまた謎が深まる不思議な存在」(2010年10月22日付け「くろしお」)。本当にこの通り。取材中、瑛九がひょっこり目の前に現れたと思うくらい間近に迫れることがあったかと思うと、すぐさま舌を出して逃げてしまう…。瑛九と草むらでかくれんぼをしているような感覚も抱いた。
ただ、この直感だけは信じた。美術館に飾られているまばゆいばかりの点描が、こう言った気がしていたのだ。「外へ外へ」。どんどん出ていこう、どんどん追いかけようと思った。駆け足で次の場所に移動してしまう、その背中を見失わないように。(なかがわ みか)
■中川美香 Mika NAKAGAWA(なかがわ・みか)
宮崎県都城市生まれ。都城西高、神戸市外国語大学卒。1993年、宮崎日日新聞社(宮崎市)に入社し、報道部、日南支社、文化部に勤務。2005年から在籍する文化部では美術、音楽、芸能、読書、医療、子育てなどさまざまな担当を受け持つ。これまでに「土呂久からアジアへ(鉱害告発30年)」(3部作)、「埋もれたSOS~都城わが子殺害の衝撃」などを連載。美術関連では「美巡る 宮日美展60年を迎えて」、「総選挙・問われる現代像 宮崎・表現者からの視点」などの連載に携わった。「瑛九 光の冒険」ではデスク兼ライター。
著書に「ハローベイビーズ! 双子育児で見えたもの」(宮崎日日新聞社発行、問い合わせ=宮日文化情報センター☎0985~27~4737)。自身の双子出産を機に、周産期医療の現場や現代の育児事情などを取材し100回以上続けた連載を単行本化した。現在、日本多胎支援協会「虐待防止のための連携型多胎支援事業」推進委員なども務める。
*画廊亭主敬白
「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」にはお蔭様でたくさんいらしていただいています。
浅野智子さんの連載エッセイ「瑛九の型紙考」に続き、本日から3回連続で、宮崎日日新聞の文化部デスクの中川美香さんの「瑛九の追っかけの記」を掲載します。
宮崎日日新聞は瑛九の故郷宮崎で精力的な瑛九キャンペーンを繰り広げています。
瑛九「フォトデッサン型紙16」
切り抜き・印画紙
30.4x25.3cm
"Q Ei"と鉛筆サインあり
瑛九「フォトデッサン型紙17」
1937年
切り抜き・印画紙
30.2x25.2cm
"Q Ei/37"と鉛筆サインあり
瑛九「フォトデッサン型紙18」
切り抜き・印画紙
21.2x26.5cm
瑛九「フォトデッサン型紙19」
切り抜き・印画紙
25.2x30.3cm
"Q Ei"とペンサインあり
瑛九「フォトデッサン型紙20」
切り抜き・印画紙
30.2x25.2cm
"Q Ei"とペンサインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」を開催しています。

「第21回瑛九展 46の光のかけら/フォトデッサン型紙」
会期=2011年9月9日[金]―9月17日[土]
12時~19時 会期中無休
全46点の型紙の裏表両面を掲載した大判のポスター(限定200部、番号入り)を製作しました。
瑛九展ポスター(表)限定200部
デザイン:DIX-HOUSE
サイズ:84.1x59.4cm(A1)
限定200部(番号入り)
価格:1,500円(税込)
+梱包送料:1,000円
瑛九展ポスター(裏)こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆「生誕100年記念瑛九展」が埼玉県立近代美術館と、うらわ美術館の2会場で同時開催されています。
会期=9月10日(土)~11月6日(日)
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