実験映画の開拓者として、またそれらの収集保存につとめるフィルム・アーカイヴスの館長として世界中から尊敬されるジョナス・メカスさんの評価が確立したのは1972年に発表された「リトアニアへの旅の追憶」という映像作品によってでしょう。
前回2009年の新作個展の折には私たちの画廊でも上映会を催しました。
今回の個展で展示している「this side of paradise」の撮影時期と同じ頃の作品です。
このアメリカ・インディペンデント映画の不朽の名作は、メカスさんが27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして懐かしい故郷の風景を映し出しています。
詩人ならではのみずみずしい言葉とバックに流れるピアノの調べにのって、一瞬一瞬のきらめくような映像が観る人たちを魅了します。
あのピアノを弾いていたのが誰だかご存知ですか。
ヴィートウタス・ランズベルギス、そう旧ソ連のくびきから離れてバルト三国が独立を果たしたとき、無血に近い状況で、祖国リトアニアの独立運動を率いたのが、もともとはピアニスト、音楽大学の教師だったランズベルギスさんです。
初代大統領となったランズベルギスさんが、極東の貧乏画廊のために寄稿してくれたエッセイがあります。
もちろん友人メカスさんのためです。
『版画掌誌第5号』(2005年刊)より再録させていただきましょう。
「メカス マチューナス フルクサス」
ヴィートウタス・ランズベルギス
ふたりのリトアニア人が海を越え遠い異国に渡った後、世界を、美術の世界を動かした。ふたりはコンセプチュアル・アーティストを名乗りはしなかったが、この呼称はもとより自称に馴染まない。ニーチェの言うように、世界は新たな騒音を創りだす者ではなく、新たな着想を得る者によって動かされる。そして世界は音もなく、だれに聞かれることもなく、自転する。
ヨーナス・メカスとユルギス・マチューナスの両名はアメリカ人となった。国土が再びソ連による占領の憂き目に遇った1944年、大挙して祖国を離れた同胞と運命を共にしたのである。
ヨーナスがアメリカに渡ってもヨーナスでありつづけたのに対し、ユルギスはジョージになりかわった(ただしリトアニアに宛てた手紙にはユルギスと署名する)。ヨーナスが理解し、受け容れる道を選んだのに対し、ユルギスは自ら討って出て、理解しようとしない者等を説き伏せ、靡かせようとした。
内向性と外向性╶─╴ふたりはあの巨大な都会ニューヨークで見事に互いを補いあった。折しも20世紀後半、あらゆる人種、あらゆる国の優れた才能がこの街に押し寄せた時期である。ニューヨークはふたりに翼を授けた。いや授けたのは羽ばたくのに必要な空間にすぎなかったかもしれない。
ヨーナスはリトアニアにともすれば心から溢れそうになるほど深い想いを寄せ、稀な美を湛え、郷愁を誘う詩をものした。ヨーナスはまた叛逆の精神も滾らせ、ハリウッドに対抗するアメリカの新しい映画を創りだした。ユルギスは自らのことで頭を一杯にし、リトアニアから持ち越したその思いを果たし状にように、日下にあるものはなにもかも見尽くしたと思いなすアメリカに突きつけた。
果たし合いは今もつづき、終わる気配はない。すべては生命を保ち、流れ、変化する。人生とはそうしたもの、ただ株券を収めた金庫のようなクローンのみならず、化石化した生き物のみならず、生きた人間のいるかぎり、人生とはそうしたものである。そして芸術を介した暮らしの活力の現れを、両人が現実として、生き生きと、流れてやまず、絶えず変化しつづける現実として捉えたものに、フルクサスの名がついた。
ふたりはそのように名づけ、かくして新語は今も世に受け継がれる。
Vytautas LANDSBERGIS
木下哲夫訳『版画掌誌ときの忘れもの第5号』所収

メカスさん(左)とランズベルギスさん(右)
■Vytautas LANDSBERGIS
ヴィートウタス・ランズベルギス
1932年リトアニアのカウナス市生まれ。作曲家、ピアニスト、リトアニア国立音楽院教授。1990年の50年ぶりの自由選挙で独立回復運動を率い、初代リトアニア大統領となる。リトアニアのフルクサス運動にも携わる。リトアニアを代表する作曲家で画家のチュルリョーニス(1875~1911)の研究者であり、『リトアニアへの旅の追憶』のピアノは彼の演奏である。
来日した折のレクチャーで<音楽家と政治家はどう両立できるのか>という質問にランズベルギスさんはこう答えたという。
「人のために働くこと、説得し伝えること、そして人の話を聴くこと、これらは音楽家であろうと政治家であろうと同じなのだ。」
ときの忘れものは展示以外にもメカス作品を多数コレクションしています。

ジョナス・メカス Jonas MEKAS
「料理をする私の母、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
レセプション:2月18日(土)18時~20時
メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さん、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
尚、パーティの始まる前(17時~18時)にギャラリートークを開催しており、18時前には予約者以外は入場できません。

「それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった」
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。
ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。
◆西村智弘さん(映像評論家・美術評論家)のエッセイ「ジョナス・メカスをめぐる断章」が明日から連載開始です(3回連載)。どうぞお楽しみに。
◆2月のWEB展は「靉嘔展」です。
東京都現代美術館で靉嘔先生の初期から最新作までの大回顧展「靉嘔 再び虹のかなたに」が始まりました。会期=2012年2月4日(土) ~ 5月6日(日)
前回2009年の新作個展の折には私たちの画廊でも上映会を催しました。
今回の個展で展示している「this side of paradise」の撮影時期と同じ頃の作品です。
このアメリカ・インディペンデント映画の不朽の名作は、メカスさんが27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして懐かしい故郷の風景を映し出しています。
詩人ならではのみずみずしい言葉とバックに流れるピアノの調べにのって、一瞬一瞬のきらめくような映像が観る人たちを魅了します。
あのピアノを弾いていたのが誰だかご存知ですか。
ヴィートウタス・ランズベルギス、そう旧ソ連のくびきから離れてバルト三国が独立を果たしたとき、無血に近い状況で、祖国リトアニアの独立運動を率いたのが、もともとはピアニスト、音楽大学の教師だったランズベルギスさんです。
初代大統領となったランズベルギスさんが、極東の貧乏画廊のために寄稿してくれたエッセイがあります。
もちろん友人メカスさんのためです。
『版画掌誌第5号』(2005年刊)より再録させていただきましょう。
「メカス マチューナス フルクサス」
ヴィートウタス・ランズベルギス
ふたりのリトアニア人が海を越え遠い異国に渡った後、世界を、美術の世界を動かした。ふたりはコンセプチュアル・アーティストを名乗りはしなかったが、この呼称はもとより自称に馴染まない。ニーチェの言うように、世界は新たな騒音を創りだす者ではなく、新たな着想を得る者によって動かされる。そして世界は音もなく、だれに聞かれることもなく、自転する。
ヨーナス・メカスとユルギス・マチューナスの両名はアメリカ人となった。国土が再びソ連による占領の憂き目に遇った1944年、大挙して祖国を離れた同胞と運命を共にしたのである。
ヨーナスがアメリカに渡ってもヨーナスでありつづけたのに対し、ユルギスはジョージになりかわった(ただしリトアニアに宛てた手紙にはユルギスと署名する)。ヨーナスが理解し、受け容れる道を選んだのに対し、ユルギスは自ら討って出て、理解しようとしない者等を説き伏せ、靡かせようとした。
内向性と外向性╶─╴ふたりはあの巨大な都会ニューヨークで見事に互いを補いあった。折しも20世紀後半、あらゆる人種、あらゆる国の優れた才能がこの街に押し寄せた時期である。ニューヨークはふたりに翼を授けた。いや授けたのは羽ばたくのに必要な空間にすぎなかったかもしれない。
ヨーナスはリトアニアにともすれば心から溢れそうになるほど深い想いを寄せ、稀な美を湛え、郷愁を誘う詩をものした。ヨーナスはまた叛逆の精神も滾らせ、ハリウッドに対抗するアメリカの新しい映画を創りだした。ユルギスは自らのことで頭を一杯にし、リトアニアから持ち越したその思いを果たし状にように、日下にあるものはなにもかも見尽くしたと思いなすアメリカに突きつけた。
果たし合いは今もつづき、終わる気配はない。すべては生命を保ち、流れ、変化する。人生とはそうしたもの、ただ株券を収めた金庫のようなクローンのみならず、化石化した生き物のみならず、生きた人間のいるかぎり、人生とはそうしたものである。そして芸術を介した暮らしの活力の現れを、両人が現実として、生き生きと、流れてやまず、絶えず変化しつづける現実として捉えたものに、フルクサスの名がついた。
ふたりはそのように名づけ、かくして新語は今も世に受け継がれる。
Vytautas LANDSBERGIS
木下哲夫訳『版画掌誌ときの忘れもの第5号』所収

メカスさん(左)とランズベルギスさん(右)
■Vytautas LANDSBERGIS
ヴィートウタス・ランズベルギス
1932年リトアニアのカウナス市生まれ。作曲家、ピアニスト、リトアニア国立音楽院教授。1990年の50年ぶりの自由選挙で独立回復運動を率い、初代リトアニア大統領となる。リトアニアのフルクサス運動にも携わる。リトアニアを代表する作曲家で画家のチュルリョーニス(1875~1911)の研究者であり、『リトアニアへの旅の追憶』のピアノは彼の演奏である。
来日した折のレクチャーで<音楽家と政治家はどう両立できるのか>という質問にランズベルギスさんはこう答えたという。
「人のために働くこと、説得し伝えること、そして人の話を聴くこと、これらは音楽家であろうと政治家であろうと同じなのだ。」
ときの忘れものは展示以外にもメカス作品を多数コレクションしています。

ジョナス・メカス Jonas MEKAS
「料理をする私の母、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
2009年
CIBA print
35.4×27.5cm
signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
レセプション:2月18日(土)18時~20時
メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さん、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
尚、パーティの始まる前(17時~18時)にギャラリートークを開催しており、18時前には予約者以外は入場できません。

「それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった」
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。
ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。
◆西村智弘さん(映像評論家・美術評論家)のエッセイ「ジョナス・メカスをめぐる断章」が明日から連載開始です(3回連載)。どうぞお楽しみに。
◆2月のWEB展は「靉嘔展」です。
東京都現代美術館で靉嘔先生の初期から最新作までの大回顧展「靉嘔 再び虹のかなたに」が始まりました。会期=2012年2月4日(土) ~ 5月6日(日)
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