「ジョナス・メカスをめぐる断章」第三回
西村智弘(映像評論家・美術評論家)
3.「this side of paradise」と60年代
『メカスの映画日記』は、「ヴィレッジ・ヴォイス」にメカスが連載した「ムービー・ジャーナル」を抜粋したものである。メカスは劇映画についても言及しているが、多くはアンダーグラウンド映画に関する記述となっている。『映画日記』では、1959年から1971年までの映画評が掲載されているので、まさに60年代のアンダーグラウンド映画の状況がわかる本となっている。
『映画日記』に取り上げられた作品は膨大だが、メカスの作品についてはあまり触れていない。映画に関する時評なので当然であろう。しかし、往々にして作家が他の作家の作品について書いた文章は、本人の作品について語っているものである。『映画日記』においても、メカスの自作解説として読むことのできる個所が散見している。
『映画日記』の1962年1月15日には、「失敗、ピンボケ、ぶれ、あいまいな構え、はっきりしない動き、露出方や露出不足などでさえ、ヴォキャブラリーの一部である」とある。これは、当時のアンダーグラウンド映画の特徴を論じたくだりであって、メカスの作品の解説ではないのだが、彼の日記映画によく当てはまる記述となっている。
メカスの映画では、ピンボケや露出の不手際、不安定な構図や動きといったカメラの失敗が大胆に用いられている。とくにメカスの作品に特徴的なのは画面の明滅で、これは断続的にコマ撮りを行うことによって生まれている。彼が明滅を用いるようになったのは、『リトアニアへの旅の追憶』を撮影しているとき、カメラが故障してしまい、そのようにしか撮影できなくなったことがきっかけであった。メカスは、カメラの不具合を自分の作品の「ヴォキャブラリーの一部」として取りこんでしまった。
通常の映画制作では、適正に撮影されていない個所や不具合を起こして撮影された部分は切り捨てられる。それは失敗した撮影であって、作品のなかにもちこんではいけないものであった。しかし、アンダーグラウンド映画の作家たちは、それまで失敗として排除されていた映像に新しいリアリティを見いだしたのであった。ここに、当時のアンダーグラウンド映画がもつ反逆精神とアヴァンギャルドの美学を認めることができる。
ところでメカスは、1980年代中頃から写真作品を発表するようになっている。その写真は、メカスの映画のフィルムのなかから2コマから3コマの連続した部分をプリントしたものである。今回、「ときの忘れもの」で発表された「this side of paradise」もそうした作品によるシリーズである。
メカスは、1960年代末から70年代初頭にかけて、ピーター・ビアードの紹介で、ケネディ大統領の未亡人であったジャクリーヌ(ジャッキー)・ケネディに請われ、子息のジョン・ジュニアやキャロラインに映画を教えていた。「this side of paradise」は、このときに撮影されたフィルムを使っている。映画の授業は、アンディー・ウォーホルから借り受けたモントークの別荘で行われ、週末にはウォーホルやビアードも参加したという。
「this side of paradise」には、60年代を象徴する人物が関わっている。メカスとジャッキーという組み合わせは意外で興味深いが、映画の授業がウォーホルの別荘で行われたというのも奇妙なめぐり合わせである。60年代前半にウォーホルは、ジャッキーの写真を使ったシルクスクリーンの作品をつくっていた。これは、ケネディ大統領が暗殺されたときの写真と結婚した当時の微笑んでいる写真を組み合わせたシリーズで、ジャッキーの悲劇性が強調されている。
メカスの「this side of paradise」は、ウォーホルの「ジャッキー」シリーズとは対照的である。メカスの作品は、ジャッキーの子息が部屋のなかに佇んでいたり、浜辺で遊んだりしているなにげない姿を捉えている。そこに向けられたやさしいまなざしは、メカスのいう「祝福の瞬間、歓びや幸福の瞬間」を写しているだろう。わたしたちはジャッキーの悲劇を知っているため、メカスによって切り取られた瞬間は、よりかけがえのないものに思えるのではないだろうか。
よく知られているようにメカスとウォーホルは仲がよかった。メカスは、ウォーホルにまつわる映像を集めた『ライフ・オブ・アンディー・ウォーホル』(1990)という作品を制作している。この作品のなかに、海岸近くの家にウォーホルや友人たちが集まっているシーンがある。おそらくこの家がジャッキーの子息に映画を教えた別荘ではないかと思われる。
60年代にはウォーホルもアンダーグラウンド映画を制作していた。メカスはウォーホルの映画を高く評価し、決して評判のよかったわけではないその作品をシネマテークで上映し続けた。撮影の不手際を作品に取りこむアンダーグラウンド映画の特徴は、ウォーホルの作品にもそのまま当てはまる。彼は、どんなに失敗していても撮影したフィルムは必ず使うのであった。
カメラの不手際は、「this side of paradise」シリーズにも認めることができる。たとえば、コマを超えて黒い帯のようなものが大きく横切っている作品がある。この黒い帯は、断続的にコマ撮りをしたために生じたもので、上映時に起こる明滅の原因がこれである。また、最初のコマと次のコマの明るさがまったく異なっている作品もある。これは、一方のコマの露出が適正ではないのである。いずれの場合も、通常の映画制作では失敗と見なされる部分である。
どうやらメカスは、カメラの不具合を起こしている箇所を意図的に選択しているようである。それは、メカスがカメラの失敗を「ヴォキャブラリーの一部」として用いた証であり、映画がアヴァンギャルドであったことの痕跡である。ここに、メカスの日記映画の独自なスタイルを認めることができるし、アンダーグラウンド映画の美学が示されているともいえる。「this side of paradise」のシリーズは、こうした点においても60年代を想起させる作品となっている。(にしむらともひろ)
■西村智弘(にしむらともひろ)
1963年 茨城県生まれ、1990年 第13期イメージフォーラム付属映像研究所修了、1993年 美術出版社主催「第11回芸術評論」に「ウォーホル/映画のミニマリズム」で入選。
以後、美術評論家、映像評論家として活動する。
美術評論家連盟、、日本映像学会会員。現在、東京造形大学、東京工芸大学、多摩美術大学、阿佐ヶ谷美術専門学校にて非常勤講師を務める。
著書:『日本芸術写真史』(美学出版、2008)、共編著:西村智弘+佐藤博昭編著『スーパー・アヴァンギャルド映像術』(フィルムアート社、2002)他。
ジョナス・メカス
「Andy Warhol at Montauk, 1971」
2000年
C-print
イメージサイズ:30.5×20.2cm
シートサイズ :30.5×20.2cm
Ed.10 signed
ジョナス・メカス
「John and Anthony, Montauk sunset, August 1972」
2000年
Type-Cプリント
イメージサイズ:30.5x20.3cm
シートサイズ :30.5x20.3cm
Ed.10 サインあり
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◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
レセプション:2月18日(土)18時~20時
メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さん、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
尚、パーティの始まる前(17時~18時)にギャラリートークを開催しており、18時前には予約者以外は入場できません。

「それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった」
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。
ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。
西村智弘(映像評論家・美術評論家)
3.「this side of paradise」と60年代
『メカスの映画日記』は、「ヴィレッジ・ヴォイス」にメカスが連載した「ムービー・ジャーナル」を抜粋したものである。メカスは劇映画についても言及しているが、多くはアンダーグラウンド映画に関する記述となっている。『映画日記』では、1959年から1971年までの映画評が掲載されているので、まさに60年代のアンダーグラウンド映画の状況がわかる本となっている。
『映画日記』に取り上げられた作品は膨大だが、メカスの作品についてはあまり触れていない。映画に関する時評なので当然であろう。しかし、往々にして作家が他の作家の作品について書いた文章は、本人の作品について語っているものである。『映画日記』においても、メカスの自作解説として読むことのできる個所が散見している。
『映画日記』の1962年1月15日には、「失敗、ピンボケ、ぶれ、あいまいな構え、はっきりしない動き、露出方や露出不足などでさえ、ヴォキャブラリーの一部である」とある。これは、当時のアンダーグラウンド映画の特徴を論じたくだりであって、メカスの作品の解説ではないのだが、彼の日記映画によく当てはまる記述となっている。
メカスの映画では、ピンボケや露出の不手際、不安定な構図や動きといったカメラの失敗が大胆に用いられている。とくにメカスの作品に特徴的なのは画面の明滅で、これは断続的にコマ撮りを行うことによって生まれている。彼が明滅を用いるようになったのは、『リトアニアへの旅の追憶』を撮影しているとき、カメラが故障してしまい、そのようにしか撮影できなくなったことがきっかけであった。メカスは、カメラの不具合を自分の作品の「ヴォキャブラリーの一部」として取りこんでしまった。
通常の映画制作では、適正に撮影されていない個所や不具合を起こして撮影された部分は切り捨てられる。それは失敗した撮影であって、作品のなかにもちこんではいけないものであった。しかし、アンダーグラウンド映画の作家たちは、それまで失敗として排除されていた映像に新しいリアリティを見いだしたのであった。ここに、当時のアンダーグラウンド映画がもつ反逆精神とアヴァンギャルドの美学を認めることができる。
ところでメカスは、1980年代中頃から写真作品を発表するようになっている。その写真は、メカスの映画のフィルムのなかから2コマから3コマの連続した部分をプリントしたものである。今回、「ときの忘れもの」で発表された「this side of paradise」もそうした作品によるシリーズである。
メカスは、1960年代末から70年代初頭にかけて、ピーター・ビアードの紹介で、ケネディ大統領の未亡人であったジャクリーヌ(ジャッキー)・ケネディに請われ、子息のジョン・ジュニアやキャロラインに映画を教えていた。「this side of paradise」は、このときに撮影されたフィルムを使っている。映画の授業は、アンディー・ウォーホルから借り受けたモントークの別荘で行われ、週末にはウォーホルやビアードも参加したという。
「this side of paradise」には、60年代を象徴する人物が関わっている。メカスとジャッキーという組み合わせは意外で興味深いが、映画の授業がウォーホルの別荘で行われたというのも奇妙なめぐり合わせである。60年代前半にウォーホルは、ジャッキーの写真を使ったシルクスクリーンの作品をつくっていた。これは、ケネディ大統領が暗殺されたときの写真と結婚した当時の微笑んでいる写真を組み合わせたシリーズで、ジャッキーの悲劇性が強調されている。
メカスの「this side of paradise」は、ウォーホルの「ジャッキー」シリーズとは対照的である。メカスの作品は、ジャッキーの子息が部屋のなかに佇んでいたり、浜辺で遊んだりしているなにげない姿を捉えている。そこに向けられたやさしいまなざしは、メカスのいう「祝福の瞬間、歓びや幸福の瞬間」を写しているだろう。わたしたちはジャッキーの悲劇を知っているため、メカスによって切り取られた瞬間は、よりかけがえのないものに思えるのではないだろうか。
よく知られているようにメカスとウォーホルは仲がよかった。メカスは、ウォーホルにまつわる映像を集めた『ライフ・オブ・アンディー・ウォーホル』(1990)という作品を制作している。この作品のなかに、海岸近くの家にウォーホルや友人たちが集まっているシーンがある。おそらくこの家がジャッキーの子息に映画を教えた別荘ではないかと思われる。
60年代にはウォーホルもアンダーグラウンド映画を制作していた。メカスはウォーホルの映画を高く評価し、決して評判のよかったわけではないその作品をシネマテークで上映し続けた。撮影の不手際を作品に取りこむアンダーグラウンド映画の特徴は、ウォーホルの作品にもそのまま当てはまる。彼は、どんなに失敗していても撮影したフィルムは必ず使うのであった。
カメラの不手際は、「this side of paradise」シリーズにも認めることができる。たとえば、コマを超えて黒い帯のようなものが大きく横切っている作品がある。この黒い帯は、断続的にコマ撮りをしたために生じたもので、上映時に起こる明滅の原因がこれである。また、最初のコマと次のコマの明るさがまったく異なっている作品もある。これは、一方のコマの露出が適正ではないのである。いずれの場合も、通常の映画制作では失敗と見なされる部分である。
どうやらメカスは、カメラの不具合を起こしている箇所を意図的に選択しているようである。それは、メカスがカメラの失敗を「ヴォキャブラリーの一部」として用いた証であり、映画がアヴァンギャルドであったことの痕跡である。ここに、メカスの日記映画の独自なスタイルを認めることができるし、アンダーグラウンド映画の美学が示されているともいえる。「this side of paradise」のシリーズは、こうした点においても60年代を想起させる作品となっている。(にしむらともひろ)
■西村智弘(にしむらともひろ)
1963年 茨城県生まれ、1990年 第13期イメージフォーラム付属映像研究所修了、1993年 美術出版社主催「第11回芸術評論」に「ウォーホル/映画のミニマリズム」で入選。
以後、美術評論家、映像評論家として活動する。
美術評論家連盟、、日本映像学会会員。現在、東京造形大学、東京工芸大学、多摩美術大学、阿佐ヶ谷美術専門学校にて非常勤講師を務める。
著書:『日本芸術写真史』(美学出版、2008)、共編著:西村智弘+佐藤博昭編著『スーパー・アヴァンギャルド映像術』(フィルムアート社、2002)他。
ジョナス・メカス「Andy Warhol at Montauk, 1971」
2000年
C-print
イメージサイズ:30.5×20.2cm
シートサイズ :30.5×20.2cm
Ed.10 signed
ジョナス・メカス「John and Anthony, Montauk sunset, August 1972」
2000年
Type-Cプリント
イメージサイズ:30.5x20.3cm
シートサイズ :30.5x20.3cm
Ed.10 サインあり
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◆ときの忘れものは、2012年2月10日[金]―2月25日[土]「ジョナス・メカス写真展」を開催しています(※会期中無休)。
レセプション:2月18日(土)18時~20時
メカスさんは来日しませんが、昨秋刊行されたジョナス・メカス『メカスの難民日記』(みすず書房)の翻訳者である飯村昭子さんをニューヨークから迎え、同じく飯村訳の『メカスの映画日記』(1974年、フィルムアート社)の装幀者である植田実さん、メカス日本日記の会の木下哲夫さんらを囲みレセプションを開催します。どなたでも参加できますので、ぜひお出かけください。
尚、パーティの始まる前(17時~18時)にギャラリートークを開催しており、18時前には予約者以外は入場できません。

「それは友と共に、生きて今ここにあることの幸せと歓びを、いくたびもくりかえし感ずることのできた夏の日々。楽園の小さなかけらにも譬えられる日々だった」
「this side of paradise」シリーズより日本未発表の大判作品13点を展示します。
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのアンディ・ウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品(静止した映画フィルム)です。
ジョナス・メカスさんの新作映画《スリープレス・ナイツ・ストーリーズ 眠れぬ夜の物語》が東京都写真美術館他での「第4回 恵比寿映像祭――映像のフィジカル」で上映されます。
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