石山修武×河﨑晃一「具体」展ギャラリートーク
新人のままの新澤悠です。
3月16日(土)17時より、石山修武先生と河﨑晃一先生による「具体展」のギャラリートークを開催しました。

初対面の石山先生(右)と河﨑先生(左)でしたが、ぎこちなさもなく五時に始まったトークもあっという間に七時過ぎと、楽しく興味深い時間をご提供いただきました。
「具体」、正確には「具体美術協会」といえば、「実験工房」、「デモクラート」に並ぶ日本の前衛美術の先駆であり、その膨大かつユニークな作品の数々とそれらを網羅する正確な資料、早くから世界各地で展覧会を開催する先見性と積極性を活動当時から評価され、近年益々その評価を高めています。
今回のギャラリートークでは、そんな「具体」に実際に接してどう感じられたかを語っていただきました。
聞いた全てを記すには自分の文才もブログのスペースも時間も足りないので、個人的に興味を引かれた部分を紹介させていただこうと思います。
まず最初に語られたのは石山先生。
「具体」とは生真面目で四角四面なものではない。
というのも、以前宮崎の「チョウコウソウ」での具体展に招待されたそうですが、宮崎に超高層建築なんてあったか? と疑問に思いつつ向かった先にあったのは純和風の旅館、その名も「潮光荘」というオチ。これは建築家の石山先生ならではの洒落ですが、普通なら旅館ではなくホテルを使うだろう所で旅館を選び、更にロビーなどではなく作家一人につき客室一つを宛がい、床の間まで使って所狭しと作品を展示したというのですから、昨今の風潮しか知らない人間にしてみると、作品以外の部分で既に理解が追いつきません。石山先生も当時は理解しがたかったようですが、それでも不思議なエネルギーを感じたそうです。
曰く、「具体」とは多分に感覚的なものであり、論理的に語れるものではない。
その宮崎で具体のコレクターの家に何日か滞在した事があったそうです。
こちらもまた純和風の建築で、部屋はタタミ敷きで、壁は馬フン紙の切り貼り、床の間には白髪一雄の大作が飾られてあったとのこと。
自分のもつ前衛芸術のイメージとは全く異なりますが、具体の作品は自然素材を用いた空間に良く合うそうで。石山先生はその後数日間この展示部屋に布団で寝泊りしたそうですが、不思議と良く眠れたとおっしゃられていました。
続いては具体展の企画などで活躍されている河﨑先生。
「具体」発祥の地、芦屋に生まれ、親戚に「具体」作家がおられ、立地上「具体」に触れないワケにはいかない芦屋市立美術博物館に勤務され、と何かと「具体」と接点もお持ちな方です。
美術館開館二年目にして吉原治良展を前後期で二回、具体展にいたっては三回行い、解散10年で神話と化してしまった(正確な情報はあったが公開されていなかった)「具体」をより正確に世に伝えるために500ページ近い資料集を出版したり、ベネチアビエンナーレで野外展の再現を手がけたりと、「具体」の紹介に尽力されています。
河﨑先生には、現在アメリカのグッゲンハイムで開催されている具体展に絡めたお話をお聞きしました。
NYタイムズにも絶賛されたグッゲンハイム具体展は初日から来場者があふれ、大変盛況な様子。こういったイベントを一番身近かつ客観的、冷静に見ているだろう警備員をして、「こいつは儲かるぞ」と河崎先生にもらすくらいだそうです。
中でも面白かったのが、今まで数々の具体展に関わってきた河崎先生をして、これほどまでに綺麗な具体展は初めて見たと言い切られたこと。大抵はどこかしらに洗練されていない、汚いイメージがあるそうで、これは当時の具体作家達に共通するスタンスのせいだと言う。
そのスタンスというのが、吉原治良に作品を見せて、OKを貰うことただ一点に尽きるということ。その目的が果たせれば、その時点で作家にとっては作品は役割を終えるので、その後のことなどには気を回さなかったのだそうです。思わぬところに膨大な作品数の理由があるものです。
そういったスタンスに共感できなかった作家も勿論いましたが、彼等は「具体」を去り、そうしてできあがったのが、吉原治良だけが頂点にいて、他は全て横並びというピラミッド型というよりは画鋲と形容できそうなヒエラルキーによるグループだったそうです。
前衛芸術の牽引者の内情が絵に描いたような封建主義で成り立っていたというのですから、興味深い。「具体」が戦後美術と呼ばれながらも、それをつくった吉原はじめ初期メンバーは「戦前の」教育で育った作家達だったことにもその遠因がありそうです。
その後「具体」は吉原治良の死と共に解散、彼こそが「具体」の要であったことを示しました。
当時の東京での「具体」の評判は「理解し難い」というものだったそうですが、それは敗戦によってアメリカナイズされた東京の価値観が変質したせいで、箱根を挟んだ反対側で、未だ色濃くアジア気質を感じさせる関西との間に意識のズレが生じたからではないのかな、などとまだ生まれていなかった筆者は考えた次第です。
「世界で一流、日本で二流、地元では三流」の扱いしか受けてこなかった具体。
どんなに評価が激変しようと「作品をつくりたい」「多くの人に見てもらいたい」と強烈に思い続け実践してきた具体の素晴らしさは幾度強調しても足りることはない。
石山先生、河﨑先生のお話はそれ以外にも多岐にわたり、会場の参加者の皆さんにはたいへん喜んでいただきました。ありがとうございました。
(しんざわゆう)



■河﨑晃一
造型作家、美術館学芸員。
1952年兵庫県芦屋市生まれ。甲南大学経済学部卒業。卒業後、染色家中野光雄氏に師事、80年から毎年植物染料で染めた布によるオブジェを発表。87年第4回吉原治良賞美術コンクール展優秀賞、第18回現代日本美術展大原美術館賞受賞。
『画・論長谷川三郎』の編集、甲南学園長谷川三郎ギャラリーや芦屋市立美術博物館の開設に携わり「小出楢重と芦屋展」「吉原治良展」「具体展」「阪神間モダニズム展」「震災と表現展」などを企画した。93年にはベネチアビエンナーレ「東洋への道」の具体の野外展再現、99年パリジュドポムの「具体展」など海外での具体の紹介に協力。06年より2012年まで兵庫県立美術館に勤務されました。
*画廊亭主敬白
今日のブログのカテゴリーが「ギャラリー新人日記」となっているとおり、ときの忘れものでは一番社歴の浅い新澤に教育もかねて、先日のギャラリートークのレポートを命じました。
石山先生、河﨑先生には「オレはそんなこと言ってないよ」と叱られそうですが、また全体を通してのレポートではなく、部分的で申し訳ないのですが、ご勘弁願います。
帰国子女なので日本語より英語が得意の新澤が、毎日トークの録音を聞きながら悪戦苦闘していました。
◆ときの忘れものは2013年3月15日[金]―3月30日[土]「具体 Gコレクションより」展を開催しています(※会期中無休)。

企画・監修=石山修武
出品:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高﨑元尚、鷲見康夫、
田中敦子、金山明、山崎つる子、森内敬子
吉原治良
「円」
1971年
シルクスクリーン
22.1x27.4cm
A.P. サインあり
白髪一雄
「作品」
1981年
キャンバス布、油彩インク
41.0x41.0cm
Ed.2
筆サインあり、印あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆カタログのご案内
『具体 Gコレクションより』展図録
2013年 16ページ 25.6x18.1cm
執筆:石山修武 図版15点
略歴:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高﨑元尚、鷲見康夫
価格:800円(税込)
※送料別途250円
※お申し込みはコチラから。
新人のままの新澤悠です。
3月16日(土)17時より、石山修武先生と河﨑晃一先生による「具体展」のギャラリートークを開催しました。

初対面の石山先生(右)と河﨑先生(左)でしたが、ぎこちなさもなく五時に始まったトークもあっという間に七時過ぎと、楽しく興味深い時間をご提供いただきました。
「具体」、正確には「具体美術協会」といえば、「実験工房」、「デモクラート」に並ぶ日本の前衛美術の先駆であり、その膨大かつユニークな作品の数々とそれらを網羅する正確な資料、早くから世界各地で展覧会を開催する先見性と積極性を活動当時から評価され、近年益々その評価を高めています。
今回のギャラリートークでは、そんな「具体」に実際に接してどう感じられたかを語っていただきました。
聞いた全てを記すには自分の文才もブログのスペースも時間も足りないので、個人的に興味を引かれた部分を紹介させていただこうと思います。
まず最初に語られたのは石山先生。
「具体」とは生真面目で四角四面なものではない。
というのも、以前宮崎の「チョウコウソウ」での具体展に招待されたそうですが、宮崎に超高層建築なんてあったか? と疑問に思いつつ向かった先にあったのは純和風の旅館、その名も「潮光荘」というオチ。これは建築家の石山先生ならではの洒落ですが、普通なら旅館ではなくホテルを使うだろう所で旅館を選び、更にロビーなどではなく作家一人につき客室一つを宛がい、床の間まで使って所狭しと作品を展示したというのですから、昨今の風潮しか知らない人間にしてみると、作品以外の部分で既に理解が追いつきません。石山先生も当時は理解しがたかったようですが、それでも不思議なエネルギーを感じたそうです。
曰く、「具体」とは多分に感覚的なものであり、論理的に語れるものではない。
その宮崎で具体のコレクターの家に何日か滞在した事があったそうです。
こちらもまた純和風の建築で、部屋はタタミ敷きで、壁は馬フン紙の切り貼り、床の間には白髪一雄の大作が飾られてあったとのこと。
自分のもつ前衛芸術のイメージとは全く異なりますが、具体の作品は自然素材を用いた空間に良く合うそうで。石山先生はその後数日間この展示部屋に布団で寝泊りしたそうですが、不思議と良く眠れたとおっしゃられていました。
続いては具体展の企画などで活躍されている河﨑先生。
「具体」発祥の地、芦屋に生まれ、親戚に「具体」作家がおられ、立地上「具体」に触れないワケにはいかない芦屋市立美術博物館に勤務され、と何かと「具体」と接点もお持ちな方です。
美術館開館二年目にして吉原治良展を前後期で二回、具体展にいたっては三回行い、解散10年で神話と化してしまった(正確な情報はあったが公開されていなかった)「具体」をより正確に世に伝えるために500ページ近い資料集を出版したり、ベネチアビエンナーレで野外展の再現を手がけたりと、「具体」の紹介に尽力されています。
河﨑先生には、現在アメリカのグッゲンハイムで開催されている具体展に絡めたお話をお聞きしました。
NYタイムズにも絶賛されたグッゲンハイム具体展は初日から来場者があふれ、大変盛況な様子。こういったイベントを一番身近かつ客観的、冷静に見ているだろう警備員をして、「こいつは儲かるぞ」と河崎先生にもらすくらいだそうです。
中でも面白かったのが、今まで数々の具体展に関わってきた河崎先生をして、これほどまでに綺麗な具体展は初めて見たと言い切られたこと。大抵はどこかしらに洗練されていない、汚いイメージがあるそうで、これは当時の具体作家達に共通するスタンスのせいだと言う。
そのスタンスというのが、吉原治良に作品を見せて、OKを貰うことただ一点に尽きるということ。その目的が果たせれば、その時点で作家にとっては作品は役割を終えるので、その後のことなどには気を回さなかったのだそうです。思わぬところに膨大な作品数の理由があるものです。
そういったスタンスに共感できなかった作家も勿論いましたが、彼等は「具体」を去り、そうしてできあがったのが、吉原治良だけが頂点にいて、他は全て横並びというピラミッド型というよりは画鋲と形容できそうなヒエラルキーによるグループだったそうです。
前衛芸術の牽引者の内情が絵に描いたような封建主義で成り立っていたというのですから、興味深い。「具体」が戦後美術と呼ばれながらも、それをつくった吉原はじめ初期メンバーは「戦前の」教育で育った作家達だったことにもその遠因がありそうです。
その後「具体」は吉原治良の死と共に解散、彼こそが「具体」の要であったことを示しました。
当時の東京での「具体」の評判は「理解し難い」というものだったそうですが、それは敗戦によってアメリカナイズされた東京の価値観が変質したせいで、箱根を挟んだ反対側で、未だ色濃くアジア気質を感じさせる関西との間に意識のズレが生じたからではないのかな、などとまだ生まれていなかった筆者は考えた次第です。
「世界で一流、日本で二流、地元では三流」の扱いしか受けてこなかった具体。
どんなに評価が激変しようと「作品をつくりたい」「多くの人に見てもらいたい」と強烈に思い続け実践してきた具体の素晴らしさは幾度強調しても足りることはない。
石山先生、河﨑先生のお話はそれ以外にも多岐にわたり、会場の参加者の皆さんにはたいへん喜んでいただきました。ありがとうございました。
(しんざわゆう)



■河﨑晃一
造型作家、美術館学芸員。
1952年兵庫県芦屋市生まれ。甲南大学経済学部卒業。卒業後、染色家中野光雄氏に師事、80年から毎年植物染料で染めた布によるオブジェを発表。87年第4回吉原治良賞美術コンクール展優秀賞、第18回現代日本美術展大原美術館賞受賞。
『画・論長谷川三郎』の編集、甲南学園長谷川三郎ギャラリーや芦屋市立美術博物館の開設に携わり「小出楢重と芦屋展」「吉原治良展」「具体展」「阪神間モダニズム展」「震災と表現展」などを企画した。93年にはベネチアビエンナーレ「東洋への道」の具体の野外展再現、99年パリジュドポムの「具体展」など海外での具体の紹介に協力。06年より2012年まで兵庫県立美術館に勤務されました。
*画廊亭主敬白
今日のブログのカテゴリーが「ギャラリー新人日記」となっているとおり、ときの忘れものでは一番社歴の浅い新澤に教育もかねて、先日のギャラリートークのレポートを命じました。
石山先生、河﨑先生には「オレはそんなこと言ってないよ」と叱られそうですが、また全体を通してのレポートではなく、部分的で申し訳ないのですが、ご勘弁願います。
帰国子女なので日本語より英語が得意の新澤が、毎日トークの録音を聞きながら悪戦苦闘していました。
◆ときの忘れものは2013年3月15日[金]―3月30日[土]「具体 Gコレクションより」展を開催しています(※会期中無休)。

企画・監修=石山修武
出品:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高﨑元尚、鷲見康夫、
田中敦子、金山明、山崎つる子、森内敬子
吉原治良「円」
1971年
シルクスクリーン
22.1x27.4cm
A.P. サインあり
白髪一雄「作品」
1981年
キャンバス布、油彩インク
41.0x41.0cm
Ed.2
筆サインあり、印あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆カタログのご案内
『具体 Gコレクションより』展図録2013年 16ページ 25.6x18.1cm
執筆:石山修武 図版15点
略歴:白髪一雄、吉原治良、松谷武判、上前智祐、堀尾貞治、高﨑元尚、鷲見康夫
価格:800円(税込)
※送料別途250円
※お申し込みはコチラから。
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