今日(12日)と明日(13日)は画廊はお休みです。
さて本日5月12日は、私たちの恩師・久保貞次郎先生の誕生日です。
久保先生は1909(明治42)年5月12日に栃木県足利の小此木家の次男として生まれ、1933年東大を卒業後、真岡の久保家の長女・佳代子さんと結婚し、久保に改姓しました。
1996年10月31日に87歳で亡くなられましたが、その間、美術界を中心に他に比類ないスケールの大きな活動を展開されました。身近に接してきた(つもりの)私たちも、その活動の全貌は捉え切れません。

『久保貞次郎を語る』
同編集委員会編
文化書房博文社
1997年刊行
没後に刊行された上掲の本に詳しいのですが、久保先生は美術評論家であり、日本有数の絵画のコレクターであり、教育者としては長年跡見学園女子短大で教壇に立ち、学長を務められました。
特に版画の普及啓蒙には大きな役割を果たし、町田市立国際版画美術館の初代館長も歴任されました。
これだけでは、久保先生の紹介になりません。
1966年の第33回ヴェニスビエンナーレのコミッショナー(日本代表)としてオノサト・トシノブ、池田満寿夫、靉嘔らを世界の舞台に押し上げたのは久保先生でした。
文豪ヘンリー・ミラーに深く傾倒し、画家としてのミラーに注目してその絵画の紹介に尽力しました。加えて自らミラー版画の版元となり数多くの版画をエディションされました。
美術教育の分野では北川民次らと1952年、戦時中の国家主義的な教育に対し、子どもを解放し自由に表現させることをめざす創造美育運動(創美)を展開します。チゼックや山本鼎の思想をうけつぎ、教師やおとなの権威、干渉、指示を排除するとともに児童画の芸術的評価と教育的評価の一致を強く主張し、最盛期の創美の全国セミナーには数千人の教師たちが集まり熱い討論を交わします。そして教師、親、画家たちが集まるこの輪の中から小コレクター運動が生まれます。「画家を支持するということは買うことだ」という久保先生の信念は、多くの画家たちを物心両面にわたり支援したのでした。創美と池田満寿夫をめぐるエピソードはこのときの雰囲気をよく伝えています。
リベラリストとして自由を尊ぶ強靭な精神を貫いた久保先生は亡くなるまで日本エスペラント学会会長を務められました。ザメンホフの創始した世界共通語のエスペラント語を人々が使うことによって、いつの日か国家も消滅し、世界が一つの共同体となるという希求に基づいていました。
久保先生が強く支持した瑛九とも、そもそもは若き日の久保先生がエスペラント語の普及活動で九州をまわったときに宮崎で知り合ったのが生涯の親交のきっかけでした。
こう書くといかにもユートピアを夢見る夢想家を思い浮かべるかも知れませんが、久保先生の凄かったのは、日本人には珍しい合理的で実践的な思考の持ち主だったことです。
商人の血をひいたことから来るのでしょう、金銭の貸借、作品の売買、すべてお金のからむことには実にクールでシビアでしたし、各種の運動を進める上で経済的な裏づけのないものを最も嫌いました。
稀代のアジテーターであり、実務に優れた方でした。
ここでは、私たちが直接ご指導いただいた「版画」の分野での功績について、なるべく正確に記録しておきたいと思います。
◆久保エディション
好きな作家の作品は先ず買う、現存の作家ならば「版画の制作」を勧め、それをまるごと買取り(エディション)ご自身の力(ネットワーク)で頒布する、というのが久保先生の典型的な「支持」の仕方でした。
絵画の売買が大好きで、誤解を恐れずに言えば、戦後有数の画商であり、版画の版元(エディター)でした。
泰西名画から現代日本の作家までを網羅した久保コレクションは今では世界各地、国内各地の美術館に収蔵されています。つい最近も熊本県立美術館が久保先生旧蔵の北川民次の代表作(油彩)を購入したということです。
よく知られるように、久保先生が支持した瑛九、北川民次、池田満寿夫、靉嘔、磯辺行久、竹田鎮三郎、ヘンリー・ミラーらは例外なく「版画」を手がけています。
それ以外にも数多くの作家を久保先生は支持し、版画制作を勧めています。
久保先生が直接版元となってエディションしたものもあれば、制作された版画を全部数まるごと(または大半を)買取ることもしばしばでした。
久保先生の直接的支援がなければ誕生しなかったであろうそれらの版画作品をここでは「久保エディション」と呼びます。
正確にいえば「久保コレクションの中の版画」、それも一枚や二枚ではなく少なくとも数十部単位で久保先生がコレクションした作品を紹介してまいります。
第1回としてご紹介するのは桂ゆきです。

桂ゆき
「虎の威を借る狐」
1956年 リトグラフ
38.8×55.8cm
Ed.100 signd
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
これと同じ作品を所蔵している「筑波大学 石井コレクション」のサイトの作品解説には以下のように記述されています。
●作品解説:
本作品にはその題名のとおり、第二次大戦後の世界情勢の中で、虎(アメリカ合衆国)の権勢を楯にして悪びれたふうもない狐(日本)のこっけいな姿が、赤、黒、黄の強い色彩対比で描かれている。グロテスクで巨大な顔の虎と、その背中にちょこんとすわる憎めない狐が好対照をなす。桂はこれに先立ち油彩作品《虎の威を借りた狐》(1955年、山口県立美術館蔵)を制作しており、本作品は彼女が手がけた油彩画にもとづく一連の自作リトグラフで最初のものである。占領軍の権勢を傘に着た日本政府と、現状に甘んじる国民をシニカルに表現したこのリトグラフは、攻撃的な主題であるために長い間買い手を見出すことがなかったとされる。
-----------------------------------
いみじくも「長い間買い手を見出すことがなかった」という記述がありますが、久保先生がエディションまたはコレクションした作品群はそのほとんどが時代に先駆けたものであり、いわゆる美術界の主流作家や人気作家でなかったため、一部の例外を除いては「長い間買い手」が現れず、完売まで数十年かかるものも少なくありませんでした。その間、久保先生は売れないことを苦にする風もなく、次々と新しい版画エディションを作り続けました。経済に秀でた実務能力、豊富な資金力と販売網がそれを支えていました。
ちょうどいま、東京都現代美術館で生誕100年を記念した「桂ゆき ある寓話」が開催されています。
会期:2013年4月6日(土)〜6月9日(日)
1935年にコラージュによる個展を開いた桂ゆき(1913年−1991年)は、およそ60年にわたり創作活動を展開した、戦前と戦後を繋ぐ女性芸術家のパイオニア的存在です。
(中略)
触覚に根ざしたコルクや布などのコラージュ、油絵具による細密描写、そして戯画的な表現を桂が並行して展開したことは、独自の絵画のあり方を示すものとして戦前より瀧口修造や藤田嗣治等から注目されてきました。また戦後は、社会や人への透徹した眼差しと寓意表現を通して、ユーモアに溢れた、多層的な読み取りを可能とする作品を制作しています。
(中略)
本展は、独自の寓意表現を通して、人とモノ、生き物を、その境界を越えて自由に行き来させた桂の作品世界を、絵画の代表作、そして初出品の作品や本の仕事などによって紹介し、欧米の前衛とは別の文脈で育まれた創作の意味を多角的に検証するものです。あらゆるものから自由な態度を貫いた桂の仕事。本展はその複雑で奥深いユーモアに触れる絶好の機会となるでしょう。(同館HPより)
さて本日5月12日は、私たちの恩師・久保貞次郎先生の誕生日です。
久保先生は1909(明治42)年5月12日に栃木県足利の小此木家の次男として生まれ、1933年東大を卒業後、真岡の久保家の長女・佳代子さんと結婚し、久保に改姓しました。
1996年10月31日に87歳で亡くなられましたが、その間、美術界を中心に他に比類ないスケールの大きな活動を展開されました。身近に接してきた(つもりの)私たちも、その活動の全貌は捉え切れません。

『久保貞次郎を語る』
同編集委員会編
文化書房博文社
1997年刊行
没後に刊行された上掲の本に詳しいのですが、久保先生は美術評論家であり、日本有数の絵画のコレクターであり、教育者としては長年跡見学園女子短大で教壇に立ち、学長を務められました。
特に版画の普及啓蒙には大きな役割を果たし、町田市立国際版画美術館の初代館長も歴任されました。
これだけでは、久保先生の紹介になりません。
1966年の第33回ヴェニスビエンナーレのコミッショナー(日本代表)としてオノサト・トシノブ、池田満寿夫、靉嘔らを世界の舞台に押し上げたのは久保先生でした。
文豪ヘンリー・ミラーに深く傾倒し、画家としてのミラーに注目してその絵画の紹介に尽力しました。加えて自らミラー版画の版元となり数多くの版画をエディションされました。
美術教育の分野では北川民次らと1952年、戦時中の国家主義的な教育に対し、子どもを解放し自由に表現させることをめざす創造美育運動(創美)を展開します。チゼックや山本鼎の思想をうけつぎ、教師やおとなの権威、干渉、指示を排除するとともに児童画の芸術的評価と教育的評価の一致を強く主張し、最盛期の創美の全国セミナーには数千人の教師たちが集まり熱い討論を交わします。そして教師、親、画家たちが集まるこの輪の中から小コレクター運動が生まれます。「画家を支持するということは買うことだ」という久保先生の信念は、多くの画家たちを物心両面にわたり支援したのでした。創美と池田満寿夫をめぐるエピソードはこのときの雰囲気をよく伝えています。
リベラリストとして自由を尊ぶ強靭な精神を貫いた久保先生は亡くなるまで日本エスペラント学会会長を務められました。ザメンホフの創始した世界共通語のエスペラント語を人々が使うことによって、いつの日か国家も消滅し、世界が一つの共同体となるという希求に基づいていました。
久保先生が強く支持した瑛九とも、そもそもは若き日の久保先生がエスペラント語の普及活動で九州をまわったときに宮崎で知り合ったのが生涯の親交のきっかけでした。
こう書くといかにもユートピアを夢見る夢想家を思い浮かべるかも知れませんが、久保先生の凄かったのは、日本人には珍しい合理的で実践的な思考の持ち主だったことです。
商人の血をひいたことから来るのでしょう、金銭の貸借、作品の売買、すべてお金のからむことには実にクールでシビアでしたし、各種の運動を進める上で経済的な裏づけのないものを最も嫌いました。
稀代のアジテーターであり、実務に優れた方でした。
ここでは、私たちが直接ご指導いただいた「版画」の分野での功績について、なるべく正確に記録しておきたいと思います。
◆久保エディション
好きな作家の作品は先ず買う、現存の作家ならば「版画の制作」を勧め、それをまるごと買取り(エディション)ご自身の力(ネットワーク)で頒布する、というのが久保先生の典型的な「支持」の仕方でした。
絵画の売買が大好きで、誤解を恐れずに言えば、戦後有数の画商であり、版画の版元(エディター)でした。
泰西名画から現代日本の作家までを網羅した久保コレクションは今では世界各地、国内各地の美術館に収蔵されています。つい最近も熊本県立美術館が久保先生旧蔵の北川民次の代表作(油彩)を購入したということです。
よく知られるように、久保先生が支持した瑛九、北川民次、池田満寿夫、靉嘔、磯辺行久、竹田鎮三郎、ヘンリー・ミラーらは例外なく「版画」を手がけています。
それ以外にも数多くの作家を久保先生は支持し、版画制作を勧めています。
久保先生が直接版元となってエディションしたものもあれば、制作された版画を全部数まるごと(または大半を)買取ることもしばしばでした。
久保先生の直接的支援がなければ誕生しなかったであろうそれらの版画作品をここでは「久保エディション」と呼びます。
正確にいえば「久保コレクションの中の版画」、それも一枚や二枚ではなく少なくとも数十部単位で久保先生がコレクションした作品を紹介してまいります。
第1回としてご紹介するのは桂ゆきです。

桂ゆき
「虎の威を借る狐」
1956年 リトグラフ
38.8×55.8cm
Ed.100 signd
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
これと同じ作品を所蔵している「筑波大学 石井コレクション」のサイトの作品解説には以下のように記述されています。
●作品解説:
本作品にはその題名のとおり、第二次大戦後の世界情勢の中で、虎(アメリカ合衆国)の権勢を楯にして悪びれたふうもない狐(日本)のこっけいな姿が、赤、黒、黄の強い色彩対比で描かれている。グロテスクで巨大な顔の虎と、その背中にちょこんとすわる憎めない狐が好対照をなす。桂はこれに先立ち油彩作品《虎の威を借りた狐》(1955年、山口県立美術館蔵)を制作しており、本作品は彼女が手がけた油彩画にもとづく一連の自作リトグラフで最初のものである。占領軍の権勢を傘に着た日本政府と、現状に甘んじる国民をシニカルに表現したこのリトグラフは、攻撃的な主題であるために長い間買い手を見出すことがなかったとされる。
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いみじくも「長い間買い手を見出すことがなかった」という記述がありますが、久保先生がエディションまたはコレクションした作品群はそのほとんどが時代に先駆けたものであり、いわゆる美術界の主流作家や人気作家でなかったため、一部の例外を除いては「長い間買い手」が現れず、完売まで数十年かかるものも少なくありませんでした。その間、久保先生は売れないことを苦にする風もなく、次々と新しい版画エディションを作り続けました。経済に秀でた実務能力、豊富な資金力と販売網がそれを支えていました。
ちょうどいま、東京都現代美術館で生誕100年を記念した「桂ゆき ある寓話」が開催されています。
会期:2013年4月6日(土)〜6月9日(日)
1935年にコラージュによる個展を開いた桂ゆき(1913年−1991年)は、およそ60年にわたり創作活動を展開した、戦前と戦後を繋ぐ女性芸術家のパイオニア的存在です。
(中略)
触覚に根ざしたコルクや布などのコラージュ、油絵具による細密描写、そして戯画的な表現を桂が並行して展開したことは、独自の絵画のあり方を示すものとして戦前より瀧口修造や藤田嗣治等から注目されてきました。また戦後は、社会や人への透徹した眼差しと寓意表現を通して、ユーモアに溢れた、多層的な読み取りを可能とする作品を制作しています。
(中略)
本展は、独自の寓意表現を通して、人とモノ、生き物を、その境界を越えて自由に行き来させた桂の作品世界を、絵画の代表作、そして初出品の作品や本の仕事などによって紹介し、欧米の前衛とは別の文脈で育まれた創作の意味を多角的に検証するものです。あらゆるものから自由な態度を貫いた桂の仕事。本展はその複雑で奥深いユーモアに触れる絶好の機会となるでしょう。(同館HPより)
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