◆久保貞次郎のエッセイ~オノサト・トシノブ(1959年執筆)
「海外での制作に期待」
久保貞次郎
日本の抽象絵画界で独自な才能を発揮している画家は、瑛九、オノサト・トシノブ両君であると、ぼくはここ十年来確信しつづけています。
オノサト君が一九五七年春、銀座・兜屋画廊で個展を開いたとき、『英文毎日』の展覧会記事を見て会場におとずれたひとりのアメリカ婦人が、この画家の作品を一点買いました。それから一年半後、かの女は故郷のワシントン市に帰りました。そのガイジック夫人の紹介で、ワシントン市の有力な画廊グレス・ギャラリーが、オノサト君の作品に注目しました。同ギャラリーの支配人ペリー夫人は、ぼくあてに送ってきた手紙のなかで「オノサトの絵画は、いまニューヨークで評判の高いケンゾー・オカダの作品よりも、いっそう深く純粋に日本の精神をたたえている」と書いています。最近、同ギャラリーからオノサト君あてに、同君の展覧会を開催したいという手紙がきました。将来、毎年オノサト君の展覧会を開催したいとも書きそえてあります。
オノサト君はアメリカでの展覧会のために、半年間経済的心配から離れて仕事に没頭したいという希望を昨日(一九五九年十二月八日)ぼくたちに披瀝いたしました。そのために、来年一月から毎月三万円ずつ同君の作品をみなさんに買っていただく運動をおこすことに、ぼくたち仲間が決意いたしました。
一方、オノサト君の制作はますます堅実になり、一か月に四号がわずか四点くらい仕上がるほどの綿密さを加えています。全紙大の水彩でも、一枚仕上げるのに三日を必要とする状態です。おそらくワシントンでの展覧会が、ある程度の成功をおさめたばあい、オノサト君の作品は、主としてアメリカ、ヨーロッパ方面で買われるようになり、日本のマーケットでは容易に入手することができなくなるとおもいます。たとえ入手できても、かなり高い値段を支払わなければならなくなることは確かでしょう。
現在、日本の抽象画壇はかなりの流行を示しておりますが、名声を博している作家のも軽薄なものが多く、歴史の試練に耐えうるものは非常に少ないとぼくは思います。オノサト君の芸術こそ、そのなかにあってもっともながく美術史上に輝くものとぼくは信じます。この日本では不遇の、しかしほんとうの実力をそなえた芸術家が、国際的画壇に進出する機会にあたって、みなさんのご支援を強く期待します。
(くぼさだじろう)
(一九五九年 オノサト・トシノブ作品頒布会要項)
『久保貞次郎 美術の世界2 瑛九と仲間たち』(叢文社、1985年)より転載
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●第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」出品作品を順次ご紹介します。



出品No.19)
オノサト・トシノブ
「作品名不詳」
1971年
油彩
32.1x41.2cm
Signed
*版画「S-42」の原画となった作品
出品No.20)
オノサト・トシノブ
「黄の流れと六角」
1977年
油彩
24.0x33.2cm
Signed
出品No.21)
オノサト・トシノブ
「黄と朱の巴」
1977年
油彩
60.7x41.0cm
Signed
出品No.22)
オノサト・トシノブ
「兜屋画廊個展案内状」
1958年
Sheet size: 13.3x41.4cm
封筒: 14.4x21.8cm
出品No.23)
オノサト・トシノブ
「64-B」
1964年
リトグラフ
15.0x25.0cm
Ed.120 Signed
※レゾネNo.8
出品No.24)
オノサト・トシノブ
「66-A」
1966年
リトグラフ
12.5x18.5cm
Ed.120 Signed
※レゾネNo.17
出品No.25)
オノサト・トシノブ
「(東京都現代美術館所蔵の壁画ABのエスタンプ)」
1990年
シルクスクリーン
Image size: 101.0x136.0cm
Sheet size: 118.0x152.5cm
Ed.38 Stamp signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
*画廊亭主敬白
今回の展覧会の趣旨説明の中で「久保貞次郎は瑛九の良き理解者であり、瑛九は久保の良き助言者でした」と書いたのですが、きっとこれには異論が出るだろうなあと思いながら敢えてそのままにしました。
予想通り、「それはちょっと違うのではないか」とのご意見をいただきました。
実は「良き理解者」という言葉を使ったのは、オノサト・トシノブ先生の「久保貞次郎は、瑛九の深い理解者である」という文章からの連想です。
その原文は下に引用しますが、自他共に認める瑛九の盟友だったオノサト先生の言葉なので重みがあります。
亭主は久保先生の不肖の弟子であり、「支持することは買うことだ」と喝破した久保先生の言葉を信条としてこの40年間を「画商」として生きてきました。画家にとって凡百の褒め言葉より一枚の絵の代金の方が助かるというのはまったく久保先生らしい。
画商の仕事は「絵に値段をつけ(評価する)」、「売る(流通させる)」ことによってその作家の理解者を増やすことだと思っています。
売らない画商なんて絵になりません。
そういう点からいうと、久保先生は間違いなく最大、最良の瑛九の理解者でした(暴論でしょうか)。
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オノサト・トシノブ「瑛九の死」
瑛九は私にとってかけがえのない人であった。二十五年前、彼は宮崎から、まったく前衛的なフォト・デッサンをかかえて東京に出てきた。そして長谷川三郎を介して私は彼を知った。会うと同時に、私達は無二の友人となった。
彼のその頃の熱狂的な態度に、私はまったく引きずり回され、ときに困惑したこともあったが、彼の態度には少しも演出されたものはなく、高い知的な衝動が働いていた。
彼はその後、墨と紙で文人画の世界をさまよい、また古典的な油彩の風景画を描き、再び前衛的な態度にもどって、無数のエッチングと石版をつくり、最後の三年間は、細かい点描の大作に彼の全精力をかけた。その点は彼の全過程が集積されたものであり、まるで彼自身であり、死と生の不思議な陰影に満ちている。
久保貞次郎は、瑛九の深い理解者であるが、彼のその真剣な努力にもかかわらず、大切な生命をとりとめることができなかった。私達は瑛九の死に直面して、はじめて生命の大切なことを知った。
瑛九は、いつも、自分のことはさしおいて私を激励した。その友情は、つねに温かいものであり、ともに画家として生きることの大きな支えであった。
季節は、彼のいなくなった今も去年に変らぬ春の日射しであるが、そのうつろさはさけられない。
(一九六〇年「美術ジャーナル」五月号)
『抽象への道 オノサト・トシノブ画文集』(1988年、新潮社)より引用
◆ときの忘れものは2014年6月11日[水]―6月28日[土]「第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」を開催しています(*会期中無休)。

大コレクター久保貞次郎は瑛九の良き理解者であり、瑛九は久保の良き助言者でした。
遺された久保コレクションを中心に、瑛九と時代を共にし、久保が支持した作家たちー北川民次、オノサト・トシノブ、桂ゆき、磯辺行久、靉嘔、瀧口修造、駒井哲郎、細江英公、泉茂、池田満寿夫らの油彩、水彩、オブジェ、写真、フォトデッサン、版画などを出品します。
また5月17日に死去した木村利三郎の作品を追悼の心をこめて特別展示します。
「海外での制作に期待」
久保貞次郎
日本の抽象絵画界で独自な才能を発揮している画家は、瑛九、オノサト・トシノブ両君であると、ぼくはここ十年来確信しつづけています。
オノサト君が一九五七年春、銀座・兜屋画廊で個展を開いたとき、『英文毎日』の展覧会記事を見て会場におとずれたひとりのアメリカ婦人が、この画家の作品を一点買いました。それから一年半後、かの女は故郷のワシントン市に帰りました。そのガイジック夫人の紹介で、ワシントン市の有力な画廊グレス・ギャラリーが、オノサト君の作品に注目しました。同ギャラリーの支配人ペリー夫人は、ぼくあてに送ってきた手紙のなかで「オノサトの絵画は、いまニューヨークで評判の高いケンゾー・オカダの作品よりも、いっそう深く純粋に日本の精神をたたえている」と書いています。最近、同ギャラリーからオノサト君あてに、同君の展覧会を開催したいという手紙がきました。将来、毎年オノサト君の展覧会を開催したいとも書きそえてあります。
オノサト君はアメリカでの展覧会のために、半年間経済的心配から離れて仕事に没頭したいという希望を昨日(一九五九年十二月八日)ぼくたちに披瀝いたしました。そのために、来年一月から毎月三万円ずつ同君の作品をみなさんに買っていただく運動をおこすことに、ぼくたち仲間が決意いたしました。
一方、オノサト君の制作はますます堅実になり、一か月に四号がわずか四点くらい仕上がるほどの綿密さを加えています。全紙大の水彩でも、一枚仕上げるのに三日を必要とする状態です。おそらくワシントンでの展覧会が、ある程度の成功をおさめたばあい、オノサト君の作品は、主としてアメリカ、ヨーロッパ方面で買われるようになり、日本のマーケットでは容易に入手することができなくなるとおもいます。たとえ入手できても、かなり高い値段を支払わなければならなくなることは確かでしょう。
現在、日本の抽象画壇はかなりの流行を示しておりますが、名声を博している作家のも軽薄なものが多く、歴史の試練に耐えうるものは非常に少ないとぼくは思います。オノサト君の芸術こそ、そのなかにあってもっともながく美術史上に輝くものとぼくは信じます。この日本では不遇の、しかしほんとうの実力をそなえた芸術家が、国際的画壇に進出する機会にあたって、みなさんのご支援を強く期待します。
(くぼさだじろう)
(一九五九年 オノサト・トシノブ作品頒布会要項)
『久保貞次郎 美術の世界2 瑛九と仲間たち』(叢文社、1985年)より転載
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●第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」出品作品を順次ご紹介します。



出品No.19)オノサト・トシノブ
「作品名不詳」
1971年
油彩
32.1x41.2cm
Signed
*版画「S-42」の原画となった作品
出品No.20)オノサト・トシノブ
「黄の流れと六角」
1977年
油彩
24.0x33.2cm
Signed
出品No.21)オノサト・トシノブ
「黄と朱の巴」
1977年
油彩
60.7x41.0cm
Signed
出品No.22)オノサト・トシノブ
「兜屋画廊個展案内状」
1958年
Sheet size: 13.3x41.4cm
封筒: 14.4x21.8cm
出品No.23)オノサト・トシノブ
「64-B」
1964年
リトグラフ
15.0x25.0cm
Ed.120 Signed
※レゾネNo.8
出品No.24)オノサト・トシノブ
「66-A」
1966年
リトグラフ
12.5x18.5cm
Ed.120 Signed
※レゾネNo.17
出品No.25)オノサト・トシノブ
「(東京都現代美術館所蔵の壁画ABのエスタンプ)」
1990年
シルクスクリーン
Image size: 101.0x136.0cm
Sheet size: 118.0x152.5cm
Ed.38 Stamp signed
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
*画廊亭主敬白
今回の展覧会の趣旨説明の中で「久保貞次郎は瑛九の良き理解者であり、瑛九は久保の良き助言者でした」と書いたのですが、きっとこれには異論が出るだろうなあと思いながら敢えてそのままにしました。
予想通り、「それはちょっと違うのではないか」とのご意見をいただきました。
実は「良き理解者」という言葉を使ったのは、オノサト・トシノブ先生の「久保貞次郎は、瑛九の深い理解者である」という文章からの連想です。
その原文は下に引用しますが、自他共に認める瑛九の盟友だったオノサト先生の言葉なので重みがあります。
亭主は久保先生の不肖の弟子であり、「支持することは買うことだ」と喝破した久保先生の言葉を信条としてこの40年間を「画商」として生きてきました。画家にとって凡百の褒め言葉より一枚の絵の代金の方が助かるというのはまったく久保先生らしい。
画商の仕事は「絵に値段をつけ(評価する)」、「売る(流通させる)」ことによってその作家の理解者を増やすことだと思っています。
売らない画商なんて絵になりません。
そういう点からいうと、久保先生は間違いなく最大、最良の瑛九の理解者でした(暴論でしょうか)。
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オノサト・トシノブ「瑛九の死」
瑛九は私にとってかけがえのない人であった。二十五年前、彼は宮崎から、まったく前衛的なフォト・デッサンをかかえて東京に出てきた。そして長谷川三郎を介して私は彼を知った。会うと同時に、私達は無二の友人となった。
彼のその頃の熱狂的な態度に、私はまったく引きずり回され、ときに困惑したこともあったが、彼の態度には少しも演出されたものはなく、高い知的な衝動が働いていた。
彼はその後、墨と紙で文人画の世界をさまよい、また古典的な油彩の風景画を描き、再び前衛的な態度にもどって、無数のエッチングと石版をつくり、最後の三年間は、細かい点描の大作に彼の全精力をかけた。その点は彼の全過程が集積されたものであり、まるで彼自身であり、死と生の不思議な陰影に満ちている。
久保貞次郎は、瑛九の深い理解者であるが、彼のその真剣な努力にもかかわらず、大切な生命をとりとめることができなかった。私達は瑛九の死に直面して、はじめて生命の大切なことを知った。
瑛九は、いつも、自分のことはさしおいて私を激励した。その友情は、つねに温かいものであり、ともに画家として生きることの大きな支えであった。
季節は、彼のいなくなった今も去年に変らぬ春の日射しであるが、そのうつろさはさけられない。
(一九六〇年「美術ジャーナル」五月号)
『抽象への道 オノサト・トシノブ画文集』(1988年、新潮社)より引用
◆ときの忘れものは2014年6月11日[水]―6月28日[土]「第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」を開催しています(*会期中無休)。

大コレクター久保貞次郎は瑛九の良き理解者であり、瑛九は久保の良き助言者でした。
遺された久保コレクションを中心に、瑛九と時代を共にし、久保が支持した作家たちー北川民次、オノサト・トシノブ、桂ゆき、磯辺行久、靉嘔、瀧口修造、駒井哲郎、細江英公、泉茂、池田満寿夫らの油彩、水彩、オブジェ、写真、フォトデッサン、版画などを出品します。
また5月17日に死去した木村利三郎の作品を追悼の心をこめて特別展示します。
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