芳賀言太郎のエッセイ  
「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」 第4回

『第4話 巡礼路の洗礼ふたたび  ~コンクからカオールその先へ~』


9/2(Sun) Conques (0km)
9/3(Mon) Conques ~ Livinhac-la-Haut (25.8km)
9/4(Tue) Livinhac-la-Haut ~ Figeac (25.3km)
9/5(Wed) Figeac ~ Cajarc (31.6km)
9/6(Thu) Cajarc ~ Varaire (25.7km)
9/7(Fri) Varaire ~ Cahors (33.1km)
9/8(Sat) Cahors (0km)
9/9(Sun) Cahors ~ Lascabanes (22.2km)
9/10(Mon) Lascabanes ~ Lauzerte (22.8km)
9/11(Tue) Lauzerte ~ Moissac (26.3km)

コンク(Conques)は川の谷間にある静かな村である。家々は教会を囲むように段々に建てられている。重厚な石造りの家は近くで採れるスレートが屋根に葺かれており、光を受けて淡いブルーにきらめく。この独特な景観がコンクの村をフランスにおける秘境にまで高めている。この村の中心であるサント・フォア教会は聖女フォアの遺骸を擁し、古くから多くの巡礼者を集めてきた。サンティアゴの巡礼路に組み込まれ、更に多くの人が足を運ぶようになる。11世紀中頃から12世紀前半にかけて建てられた教会は巡礼路にあるロマネスク教会としては最古のものの一つである。

01サント・フォア修道院付属教会 外観


02コンクの町並み


 教会前は広場になっており到着した日には人だかりができていた。見ているとタキシード姿の新郎とウエディングドレスの新婦が出てきた。結婚式のようである。おそらくこのコンクの人の結婚式なのだろう。
 正面入り口にある「最後の審判」はロマネスク彫刻を代表する傑作である。そのタンパンを見上げながら内部へ入ると、中世の空間が時空を超えて現代に現れたようだ。この礼拝堂で結婚式を挙げることができたのなら、本当に幸せだろうなと心から思う。日本では結婚式のためだけにつくられたチャペルが数多くある。毎日多くの新郎新婦が式を挙げているがやはり何か違うような気がする。

03正面広場


04「最後の審判」のタンパン


 翌日は日曜日。修道院のスケジュールに従って一日を過ごす。

修道院のスケジュール
7h-9h Breakfast self-service(朝食)
7h30 Morning prayer(朝の祈り)
8h Mass(ミサ)
11h Sunday : mass(日曜日・ミサ)
12h05 Midday prayer(昼の祈り)
18h30 Evening prayer(夕の祈り)
19h Dinner(夕食)
20h30 Night prayer, followed by benediction of pilgrims(夜の祈り・巡礼者のための祝福)
21h Explanation of the tympanum(タンパンの説明)
21h30 Organ play – Illumination of glass stained windows(オルガンコンサート及びステンドグラスのイルミネーション)

05サント・フォア修道院 一日のスケジュール


 ミサのあと、ポーと一緒にランチを食べ、修道院付属の美術館(宝物館)を訪れる。ここには「黄金の聖女サント・フォア像」が展示されている。全身にちりばめられた宝石は信者から寄進によって嵌め込まれたものである。
 その後、ポーがテントを張っているキャンプサイトに行き、コンクで買った赤ワインを飲む。昼間から心置きなくお酒が飲めるというのはやはり幸せである。オランダ・ロッテルダムで造船会社を経営している彼の話は、船の種類や構造からビジネスで行ったブラジルでの出来事についてなど非常に興味深かった。いつかロッテルダムに行ったら、ポーの会社の船でオランダの海をクルージングして過ごしてみたいものだ。

06テントサイト


 修道院に戻り日本にはがきを書く。静かな夕方を過ごしたあとは夕食。たった2日であったが修道院で修道士のようなタイムスケジュールで過ごすことによって、わずかばかりではあるが修道院での生活に思いを馳せることが出来たように思う。

07中庭


08午後のひととき


09夕方のひととき


10寝室


 翌日、礼拝堂をじっくり見る。朝日が白い光となって空間に差し込む。そこには光にあふれた空間が広がっていた。白い石を積み上げた空間にフランスの芸術家、ピエール・スーラージュがデザインした現代的な白いステンドグラスから淡い光が入り、空間を満たす。人々はこの世の天国を生み出したかったのだろう。内部では体がふわっと浮き上がるような感覚を受ける。回廊も一辺しかない小規模のものだが、柱頭にロマネスクの彫刻が施された柱は見事である。朝日を受け、影が生まれ、その場所に命が吹き込まれたようである。

11サント・フォア修道院付属教会 内部


12ステンドグラス


13回廊 外観


14回廊 内部


 コンクの中心から谷へ下る途中に一軒の三角屋根の家があった。芸術家のアトリエのようである。気になり扉を開ける。たくさんの鮮やかな絵が架けられており、中には巡礼者の絵もある。彼の絵がジャケットになっている巡礼をテーマにしたCDとしおりを買う。さっそくガイドブックにしおりを挟んだ。

15アトリエ 外観


16アトリエ 内部


 フィジャック(Figeac)はカテドラルもある大きな街である。今日は修道士の住んでいる巡礼者用の宿に泊めてもらう。質素な食事とベッドがあるだけだが、修道士の巡礼者に対する思いやりを強く感じた。修道士を含め、数人の巡礼者と食事を共にした。貴重な経験である。ここはお世辞にもきれいとは言えず、あまり衛生的ではなかった。このときにはただただ感謝しかなかったのだが、ここに泊まったことにより、あとで悲劇が起こるのだった。

17修道士の家


 次の日、パンとチーズの質素な食事をし、歩き始める。肉刺が痛む。この日は30kmを超える長い道のりである。実はこの巡礼に靴を2足持ってきていた。一つは荒れた山道などで履くためのトレッキングシューズ。これは初日に履いて痛い目にあったソールの固い靴である。実際、巡礼路はそれほど悪路が多いわけではない。むしろアスファルトで舗装された道のほうが多い。日中は30度近くなり、アスファルトの道は燃えるように熱い。そのことを考えて、ランニングシューズも持ってきたのである。初日に水ぶくれが出来てから、ほとんどこのランニングシューズで歩いていた。山道をのぞけばやはりランニングシューズの方が軽くて快適である。何より通気性があるので、足に熱がこもらない。でも、やはりランニングシューズ、長時間歩くことには適していない。結果として肉刺をつくってしまった。そもそも、このランニングシューズは巡礼のために買ったわけではなく、たまに家の周りをランニングするための靴である。まさかこの靴自身も巡礼路を歩くとは思っていなかったに違いない。一日平均6時間を歩くための靴ではないということだったのだろう。結果的に肉刺ができ、悪化させてしまった。
 町に着き、あまりの痛さに靴下を脱ぐと、血肉刺になっていた。どす黒い赤紫色の血が溜まっている。きちんとした処置を怠ったせいか、かなり腫れている。水を抜いた所から細菌が入ったのかもしれない。薬局に飛び込み、巡礼者から教えてもらった肉刺専用の絆創膏を購入し患部に貼付ける。そして、日本から持参した抗生剤を飲んだ。
 
 この数日間は肉刺のことで頭がいっぱいであった。しかし、気がつくと体がかゆい。人間はかゆみよりも痛みのほうが強く感じる生き物なのだろうか。二の腕の裏には赤く虫さされのあとがあった。始めはただの虫さされかと思い、日本から持参したウナを塗ったのだが、かゆみは収まらない。しかし、ここまでかゆいのは異常である。変な虫にやられたのではないかと不安に思いつつもただひたすら歩いていく。
 カオール(Cahors)までの道はきつかった。銀の道と呼ばれる荒野の中の一本道。ここはフランスなのだろうか。正直、アフリカのサバンナを歩いているようである。果てしなく続く道を照りつける太陽が私の心をくじけさせる。途中で水が無くなってしまう。のどの渇きが深刻になるが、暑い中をひたすら歩く。町に着きさえすれば必ず水飲み場はあるのだが、町などどこにもない。小さな古びた別荘の脇に水道を発見する。これほど神に感謝することが今まであっただろうかというほどに救われた思いがした。こういう経験をすると水の大切さを改めて実感する。水道の蛇口を捻れば水が飲めるという素晴らしい環境に感謝しないといけないと改めて思ったのであった。

18銀の道


19銀の道2


20荒野の中の小屋


21救いの蛇口


 カオール(Cahor)は大きな街である。街の入り口の橋を渡ったところにある巡礼事務所で宿を紹介してもらう。宿に着き、主人に虫さされを見せると、南京虫だと教えてくれた。足の肉刺、そして南京虫。悪いことは重なるものである。宿の主人から巡礼者用の南京虫対策のスプレーを借りて、全身とバックパック、そして全ての衣類にスプレーをする。これも巡礼には必要な経験と思うことにする。悪いことのあとにはきっといいことがある。そう信じることしか今は出来ない。

22カオールのジット


 カオール到着の翌日、まだ土曜日だが、度重なるトラブルにより、一日早いオフとする。午前中、宿で一緒になったスティーブと薬局へ向かう。肉刺の痛み止めの飲み薬、痒み止めの飲み薬と塗り薬、そして南京虫予防スプレーを購入した。
 午後からは街を散歩。カオールは大きく蛇行するロット川に囲まれた街で、人も多くにぎやかである。歴史ある街並みがそのまま残り、現在は人気のある観光地である。
世界遺産でもあるロット川にかかる美しいヴァランドレ橋を見に行くと、そのたもとにワインの直売所がある。このカオールはワインでも有名で、この地域で栽培されている、皮が厚くタンニンが極めて多いマルベック種を中心に作られる赤ワインは、「黒ワイン」と呼ばれてファンも多い。濃厚でスパイシーなワインであった。
シャトーの名前はラグレゼット(Lagrézette )。5世紀前からある由緒あるシャトーである。カルティエグループの元会長アラン・ドミニク・ペランがオーナーとなり、有名なワイン醸造コンサルタントのミッシェル・ロランを迎え、現在ではカオールでも最も評価の高いワインの一つとなっている。お店の人からは09年がオススメだと教えてもらった。

23ヴァランドレ橋


24シャトー・ラグレゼット ワイン直売所


25カオールの広場


 翌日は日曜日。午前中、カテドラルのミサに出席する。ドームに響くパイプオルガンの音色、すさまじい迫力だ。音が体に入り込み震わせる。音が振動であることを日常生活で体感する機会は少ないが、カオールのカテドラルに響くパイプオルガンによってまさに体で感じた。すごい、そう思った。この感覚はバルセロナのカンプ・ノウでも体感した。バルサがゴールを決めた瞬間、大歓声が轟いたときに感じたものと同じものだ。中世の人々がカテドラルで感じたものを、現代人はスタジアムで感じているのだろう。そう思った。

26カオールのカテドラル


 午後、またまたトラブル発生である。今日は日曜日。本当ならミサに出席し午後はオフといきたいところであるが、さすがに2日続けてオフにするわけにはいかない。ミサが終わり次第、歩き出すことにする。カオールを出発したものの、巡礼路を示すマークがあやふやになっている。マークに沿って歩いていたのだが、それは別の道を示すマークだったらしく、いつのまにか別な方向に歩いてしまっていた。それを小さな町に着いた際に気付く。
 出発から約3時間。時計は午後2:30を指している。これからカオールまで戻るのはためらわれる。しかし、地図で確認すると今日の目的地まではまだ20km以上、普通に歩いたら6時間以上の道のりである。これはもうある意味遭難である。なんとかこの周辺の地図を入手し、終わりの見えない道のりを歩き始める。人間は追い込まれたときに本当の力が出せるものなのだろう。巡礼者ではなく遭難者として腹をくくればなんとかなるものである。そしてどこからともなく助けが与えられる。地図を渡してくれたおじさん、水を水筒に入れてくれたおばあちゃん、ヒッチハイクで送ってくれた若いカップル、最後に町まで乗せてくれた農家のおやじさん。多くの人に助けられ、なんとか目的地に辿り着くことができた。心の底からありがとう。
 本日の教訓は、午後から巡礼路を歩き始めるとろくなことにならない、ということ。周りには巡礼者はいない、そして何より時間が遅くなるため焦ってしまい、心の余裕と時間のゆとりがなくなる。トラブルが起きるのは大抵こんなときである。準備がすべてだと多くのスポーツ選手は語る。やはりそれは真実であると身を以て学んだのであった。

27遭難中の道


28遭難中の道2


 モワサック(Moissac)へ向かう途中に小さな教会があった。極限まで無駄を削ぎ落とした空間には静謐さが漂う。その場に座り、目を閉じる。祈ることは神と向き合うことだが、自分と向き合うこととも言えるだろう。この孤独な空間の静寂さが自分の心の深層まで探求させてくれた。

29名もなき礼拝堂


 道の途中、ポーと再会する。トローリーからバックパックに変わっていて驚いた。荷物が少なくなり快適そうである。
 森の中の急な坂道の頂上でドイツ人男性が倒れていた。どうやら熱中症のようだ。数人の巡礼者が助けを呼び、救護に当たっていた。ポーはドイツ語が話せるので対応は素早い。私たちが来たときにはある程度の処置はしてあり、救急車を待っている状況だった。私は靴を脱がして風を送るぐらいしかできることはなかった。でも、それがそのとき自分にできる精一杯のことであった。自分ができないことはいくら頑張ってもできはしない。でもそんな状況でもできることはある。そして、できないことは人に頼り、任せること。巡礼中はいつ、何が起きるかわからない。そのことを心に強く意識した。
 この男性はモワサックの病院に運ばれ、私がモワサックについた翌日、ポーが彼と再会し、無事だったと伝えてくれた。

30森の道


 モワサックはそれほど活気のある町とは言えないが、やはり修道院が素晴らしい。修道院の付属の宿に泊まり、ゆっくりと過ごした。修道院に泊まるとなんだか不思議な気分になる。タイムマシンに乗って中世の修道士たちの生活を垣間見ている気がする。巡礼をすること自体が非日常であるが、ある程度歩き続けると巡礼が日常となってくる。そんな巡礼生活においても修道院に泊まることはやはり非日常なのである。そんなことを修道院付属宿泊所の中庭の回廊を歩きながら考えていたのであった。

31モワサック 修道院付属宿泊所 中庭回廊


32フランスの黒猫


歩いた総距離414.6km

(はがげんたろう)

コラム 僕の愛用品
第4回 タオル
finetrack(ファイントラック) ナノタオル  ¥2,916


タオルにこんなお金をかけられるか!そんな声が聞こえてきそうである。当たり前だが、ただのタオルではない。
 基本的にこのタオルは一般的なスポーツタオルのように汗を拭き取るというよりもお風呂で体をゴシゴシ洗うナイロンタオルをより高性能にしたものだとイメージしてもらってよい。超ファインポリエステルファイバーという世界最先端の素材を使用し、水だけで皮脂・油をすっきり落とすことができるアウトドアタオルである。
 登山などのアウトドアにおいて、山小屋やテントサイトでは風呂やシャワーがないことが前提である。そのため石鹸を使える状況は少なく、通常のタオルでは、汗や皮脂・古い角質などは容易に落とせず臭いが残り、不快でスッキリしないことが多い。しかしながら、このナノタオルは水を含ませ体を洗うだけで石鹸を使用したときと同等の効果が得られる。これが最大の特徴である。宿でのシャワーの際はもちろんのこと、朝の洗顔もこのナノタオルのみで十分であった。
 さらに、このナノタオルが最も活躍したのは歩いているときであった。朝早くから歩き始めるが、午後になると気温は三十度を超え、ギラギラと強烈な日差しが首筋に照りつける。そこでこのナノタオルの登場である。軽く水を含ませ首にぴたっと乗せると、一気に気化熱によってひんやりしてくる。これには本当に助かった。この経験があるからこそ私はこのナノタオルを巡礼に持っていくことを強く推奨したい。
 サンティアゴ巡礼は飛行機ならば半日ほどで着いてしまう距離をわざわざ数ヶ月かけて歩くという、とてもアナログな行為である。しかしそれは無理矢理に自分の身体を苦しめるための苦行ではない。ある意味、どこに行くにも徒歩がスタンダードだった時代に比べて、今日、長時間歩くこと自体がすでに特別なことである。現代のハイテク素材を利用できるところはありがたく享受し、巡礼を可能な限り快適にすることは決して過去の巡礼者や巡礼行為を軽んじる行為ではないように私は思う。

33ファイントラック ナノタオル 


34ファイントラック ナノタオル 収納時


芳賀言太郎 Gentaro HAGA
1990年生
2009年 芝浦工業大学工学部建築学科入学
2012年 BAC(Barcelona Architecture Center) Diploma修了
2014年 芝浦工業大学工学部建築学科卒業

2012年にサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路約1,600kmを3ヵ月かけて歩く。
卒業設計では父が牧師をしているプロテスタントの教会堂を設計。

◆芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」は毎月11日の更新です。