私の人形制作第62回 井桁裕子

森田かずよさんとの出会い―その2


今月8月1日、横浜パラトリエンナーレのオープニングセレモニーに行ってきました。
http://www.paratriennale.net
森田さんがセレモニーで踊るという情報をその前日に知って、私も別の約束があったのを急遽断って駆けつけたのです。
それは関係者だけの催しだったからでしょうか、パフォーマンスは秘密とされていたので、情報発信ができなかったのだそうです。
行ってみると招待者名簿に載っていなくても問題なく入場でき、私にとってはとても重要な機会となりました。
やっと自分の眼で森田さんの踊る姿を観られたからです。演劇の舞台は観ていましたが、ダンスは初めてでした。
何事もそうですが、実際に流れる時間の中で経験するのと二次的に情報を知るのとは、まるで違うものです。
大柄な外国人ダンサーの、会場狭しと踊るなかにあって、めりはりのある切れ味の良い動きを見せる森田さんでした。
しかし、ふわふわした白い衣装の下にまったく隠れてしまっている細い身体の、研ぎすまされたようなあの筋肉を思えば、その動きは思いがけないものではなかったかもしれません。

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2012年12月、ときの忘れものでの個展「加速する私たち」を終えて、私は本当なら展示の準備でおざなりにしていたあれこれの整理をするつもりでした。
長い期間ぎりぎりまで頑張ってきた展覧会が終わっていろいろと反省もあり、それはゆっくり考えたい大切なことでした。
しかし、その整理整頓の時間もとれないままに突然、大阪の乙画廊で3月に展示をする、ということになりました。
グループ展になら陶の作品を少し作って参加できるという話をしていたはずが、「個展」ということで美術手帳の別冊の目立つ所に広告が出されてしまったのです。
休む間もなくまた「個展3ヶ月前(実質的には2ヶ月半ほど)」という修羅場になってしまいました。

急にこういう無茶なことになったのは簡単に言って私の曖昧な態度のせいですが、これはそもそも、大阪で少しだけ作品を展示したいという願望があったからです。そこには大阪の森田かずよさんの作品制作がからんでいました。
私としては、森田さんご本人の希望されているような、小さいフィギュアのようなものを陶で作り、それを森田さんが見に来やすい大阪で、ちょっとグループ展のようなものに参加して展示できたら….というもくろみがありました。そんな事をやってみてから、もっと本格的に肖像作品を作るかどうか考えよう、などと思っていたのでした。
しかし、個展となってしまうと準備が全く違います。
1月中旬に、まだ訪れたことのなかった乙画廊に下見のためにお邪魔する事にし、それと合わせて森田さんにも会ってもらうことに段取りをつけました。
経緯はともかく、ご縁あってお世話になるわけですから楽しもうと決め、ご当地の皆さんとの交流や大阪観光も心に描きつつ、寝る間も惜しむ制作の日々に突入することになりました。

森田さんとは、その半年ほど前のアート京都で初顔合わせをして以来の再会となります。
それなのに、私はもういきなりヌードを見せてもらう事をお願いしていました。
2月中に作るのですから、1月に会って写真など撮らせてもらって急いで制作、というスケジュールしかないわけですが、私の側でなんとなく準備不足な気がしていました。
私は森田さんご本人の舞台も観ていなければ、他の障害者による身体表現についても知りませんでした。
障害者スポーツということでは、義肢装具士・臼井二美男さんが主宰する「ヘルスエンジェルス」の活動を知っていましたが、それは表現ということとはまた違います。
森田さんのことを、前の個展でモデルとなってくれた高橋理通子さんに話したときに、彼女が「そりゃもう、本物の障害者の人には勝てないよ」と真顔であっさり言ったのを思い出しました。素晴らしい身体能力を持ち、寺山修司をこよなく愛する舞踏家の彼女が言う「勝てない」という言葉の意味は、私にも分かる気はしましたが、やはりまだ表面的にしかつかめない気がしました。

そんな12月、たまたま立ち寄った書店で「生きるための試行 エイブルアートの実験」(エイブル・アート・ジャパン+フィルムアート社)という本を見つけました。これは障害者による音楽パフォーマンスや身体表現などに関わる人々を取材した本です。障害者の側でなく、健常者のアーティストや世話役のような立場の人が語っているものでした。
取り急ぎその本を買いました。
休む間も惜しい作業の中なのであまり深くは読みこめないながらも、いろいろな活動が行われている事、そしてそれぞれに重要な何かを気付いて続けていることが伝わってきました。しかしそのぶん一層、私は自分がこれまで無関心でいた世界に無造作に手を触れようとしている、という感じがして不安になりました。
最初に私の眼を引いた表紙には、広く暗い舞台の空間の中に激しく動こうとしている後ろ姿の女性の写真が使われていました。
実はその表紙の女性が森田さんその人であった!というのはごく最近、ご本人に教えてもらって知った事です。
ずっと持っていて気付かないのも間抜けですが、出会うべき本に事前に巡り会っていた不思議さも感じます。

また、夏からネットでいろいろ調べているうちに、大阪の「劇団態変」の存在も知るようになっていました。重度の障害者である金満里(キム・マンリ)さんが主宰する、身障者自身が演出し演じる劇団です。
*劇団「態変」ウェブサイト:http://www.asahi-net.or.jp/~tj2m-snjy/
その金満里さんが、12月末に新宿タイニイ・アリスでソロ公演をされるということを、この時に知って驚きました。
東京でのめったにない公演が、なんとこのタイミングで観られるとは。
12月27~30日「天にもぐり地にのぼる」。
さっそく予約をし、最終日に行きました。

タイニイ・アリスは地下の小さな劇場でした。
舞台の布の奥から、レオタードの生地に包まれた「何か」が少しずつ這い出してきます。
その動きは、砂を入れた大きな袋が自力で動いている様子...とでも言えばいいのか、見たこともないものでした。ぐったりとして、不定形にさえ見えるその身体に、急角度で折り畳まれた脚が体の上になり下になりしながら無力にしなっています。膝から下の向きがまた謎で、右足と左足は、布で柔らかく作った人形のようにあっちとこっちを向いていました。
舞台の大筋としては、人間の内面の混沌、自由を求める心の変遷を「真白な子蛇が龍へと変容する」というモチーフに込めて幻想的に表したものでした。最後は監修・音響で協力されていた大野慶人氏が可愛らしく兎の耳をつけて登場、金満里さんに戯れるように踊り、ほのぼのしたフィナーレとなりました。これは、激動と孤高の半生を経てきた龍がついに月にまで上って出会った兎ということだったのかもしれません。しかしそこまでが息をこらして見つめるような舞台だっただけに、観客はふいに魔術から解きほぐされ、意識が取り戻させられる効果があったと思います。

出口でポストカードと金満里さんの自伝「生きることのはじまり」(金満里著、筑摩書房)を買って帰りました。
その一冊の本で、とても多くの事がわかりました。
金満里さんは体を自力で支えておく事も難しく、寝返りすら困難、かろうじて平面で体を引きずるように動く事しかできません。
食事や、簡単な衣服の着脱程度はできても、日常のほとんどすべてに人の手が必要な状態だということが本の冒頭にあり、あの舞台での動きは精一杯の動きだった事も改めてわかりました。その体で、出産もされたというのがさらに驚きでした。
そして、1953年大阪生まれの金さんは、私が断片的にしか知らなかった「青い芝の会」など先駆的な障害者運動のまっただ中にいて青春を送った人ということがわかり、私は引き込まれるように読み進みました。
(続く)
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お知らせです。
浅草橋のパラボリカ・ビス「夜想#人形展」で8月31日まで、映画「ハーメルン」に出演した人形、ユトロちゃんを展示しています。
江戸通りの問屋街を覗くのも楽しい街です。お時間がありましたら、どうぞいらしてください。
入場料500円、 平日13時~20時、土日祝=12時~19時 。東京都台東区柳橋2-18-11 電話:03-5835-1108
http://www.yaso-peyotl.com/archives/2014/08/yaso_doll2014.html

(いげたひろこ)

◆井桁裕子のエッセイ「私の人形制作」は毎月20日の更新です。