東日本大震災の発生から明日で4年、地震、津波、原発事故と激甚な被害が襲いましたが、あの日の恐怖をいまも忘れることはできません。
復興にはまだまだ時間がかかるでしょう。特に原発事故の始末については人類の破滅にもつながる恐れがあり、今の拙速ともいえる政治の動きには懸念を持たざるを得ません。
震災で奪われた多くの人たちのご冥福を明日は静かに祈りたいと思います。
~~~~~~~~~~
本日3月10日は瑛九(本名・杉田秀夫)の命日です。
1911年4月28日に宮崎で生まれた瑛九は1960年3月10日に49歳の誕生日を目前に亡くなりました。
晩年の瑛九を支えた福井の人たちについては、このブログでもたびたび言及してきました。
その一人、福井県大野の堀栄治さん(2011年没)が遺してくれた労作に『福井創美の歩み』(1990年10月初版、2007年5月第5版発行)という手作りの記録集があります。福井における創造美育運動、ひいては小コレクター運動の詳細な日録です。
第5版から、瑛九の死の前後の記録を再録してみましょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~
1960年3月10日
瑛九 午前8時30分 急性心不全で永眠
3月15日
午後2時から自宅で無宗教による告別式が行なわれる
池田満寿夫自作の[鎮魂歌―心から瑛九に捧げる―]を静かに読みあげる
3月19日
坂井ブロック 児童美術普及のため絵の見方についての会合を持つ
3月28日~29日
瑛九宅を訪問して、瑛九の遺作を整理する
・木水・谷口・堀・藤本・中村 6名
瑛九 遺作
・エッチング 605点
・リトグラフ 1,567点
・フォトデッサン705点(*)
・吹付デッサン66点
・コラージュ 27点
・カット 32点
・デッサン 427点
・油絵吹付 11点
・油絵リアリズム 32点
・スケッチブック 30点
・油絵30号まで 175点
・水彩 247点
・毛筆 6点
・ガラス絵 9点
(*引用した第5版にはフォトデッサンの項目が脱落しており、この項だけ初版の記述を再録しました。亭主記)
・堀、瑛九の絶筆の詩「ヒミツ」を謹写して福井瑛九の会、会員に渡す
(「読売新聞に『花ひらく瑛九氏の遺作』12人の教員グループ」という記事がのる。
超現実主義派の草分けの一人として特異な作風で知られた画家、清和市本太五の四四、瑛九氏(四八)(本名杉田秀夫氏)は、
さる十日慢性ジン炎がもとで東京神田の病院でなくなったが、生前九年間も同氏を支持し続けて来た福井県小、中学の若い先生たちのグループ六人が春休みを待って二十八日、浦和の瑛九氏宅に集まった。
都未亡人を慰め、遺作の整理をするとともに、瑛九氏の遺志をくんで五月のはじめ福井市内で初の遺作展を開くことになった。)
3月26日
福井小コレクター例会 福井市三上ビル
・撲九後援会のこと、遺作展のことについて話し合う
5月1日
瑛九遺作展の準備 福井市三上ビル
5月3日
瑛九遺作展のために資金カンパをする
・北川民次のリト8点(中間は58年の12月に入手した「子供を抱く二人の裸婦」を1点宛拠出する)泉のリト5点集まる
5月7日
「瑛九遺作展」が福井繊協ビルで福井瑛九の会主催によって開かれ
・遺作80余点が陳列される
・浦和市より 瑛九夫人、岩瀬久江女史、宇佐美兼吉
・大阪より 福野正義・松本弘駆けつける(福野「故瑛九に捧げる詩」を500部持参する)
5月29日
国立近代美術館「物故作家四人展」4月27日より(菱田春草・高村光太郎・瑛九・上阪雅人)を見るために上京 堀・福野
5月30日
堀・福野、瑛九宅訪問(瑛九宅で中西末治と合う)
・福井の瑛九の会 仲間に頒布するために次の作品を預かる
エッチング 特大 13点、リトグラフ 征版13点、ミノ版 13点、水彩 13点、
油10号 1点、8号 3点、3号 1点、ガラス絵6号 1点
福野 水彩 リト大 油10号 各1点
中西個人で油20号 8号 4号 2号 各1点、10号 2点、デッサン 3点 購入する

~~~~~~~~~~~~~~~~
瑛九が亡くなって僅か二週間後の3月末、福井の教師たち6人が春休みをつかって瑛九のアトリエに入り、遺された作品を整理、カウントしたことは特筆にあたいします。フォトデッサンだけでも亡くなったときに705点もアトリエに残されていました。いかに瑛九にとって重要な表現手法だったかがわかります。
瑛九夫人の都さんはその後一年かけて、銅版とリトグラフを撮影し、手作りの最初の銅版とリトグラフのレゾネ(写真アルバム)を制作します(この写真アルバムがその後の瑛九資料の底本ともなるのですが、当然のことながら誤記や重複などあり、それらを修正し正確な記録を作成するのが今後の研究者たちの課題です)。
亡くなって二ヶ月も経たないで、国立近代美術館の今泉篤男先生の決断で4月27日(オープニング)から瑛九の初めての回顧展示「四人の作家」展が開催されます。続いて5月7日から福井瑛九の会主催の「瑛九遺作展」が福井繊協ビルで開催されました。
いま考えてもおそるべき速攻といわねばなりません。

「四人の作家」展目録
会期:1960年4月28日―6月5日
国立近代美術館
出展作家:菱田春草、瑛九、上阪雅人、高村光太郎
瑛九顕彰の道がこのときあけられ、以後、各地で瑛九の画業顕彰の試みが続けられました。
このように木水育男さん、堀栄治さんなど福井の皆さんが晩年の瑛九を支え、没後の顕彰に大きな役割を果たしたことは事実ですが、しかしそれを過大評価するあまり「福井だけが瑛九の理解者」だったと賞賛するのは贔屓の引き倒しです。
瑛九は決して経済的に豊かだったとは言えませんが、その周囲に驚くほど精神的に豊かな人脈が広がっています。人柄、内外美術への識見、才能が愛されたからにほかなりません。
瑛九没後もひとり浦和のアトリエを守り、瑛九顕彰に尽力し、他によくある「独り占め」などせずに、遺されたすべてを快く公開したのが今もご健在の都夫人です。
宮崎の実家の眼科医院を継いだ杉田正臣さんも弟瑛九のために常に暖かな理解と支援を惜しみませんでした。
瑛九の友人の画家・山田光春さんは瑛九没後、資料を渉猟し詳細な評伝を刊行します。さらにカメラを片手に日本全国のコレクターを訪ね歩き瑛九の油彩画を撮影記録し、カタログレゾネ『私家版・瑛九油絵作品写真集』を写真アルバムの形式で1977年に作成しました(限定5部、都夫人、木水育男、久保貞次郎らに渡された)。
瑛九の美術界への扉を開けたのはエスペランティストの同志、久保貞次郎先生でした。日本有数の大コレクターだった久保先生の果たした役割こそ、誰よりも大きく、まさに瑛九の最大の理解者、支援者でした。
幸いになことに、これらの人たち全員に亭主はお目にかかることができ、瑛九の人となりを直接うかがう幸運に恵まれました。
これからも画商として、瑛九顕彰に微力を尽くしたいと思っています。
先ずは、20日から始まる「アートフェア東京」での瑛九展示にご期待ください。
●今日のお勧めはもちろん瑛九です。
瑛九
「手」
1957年 板に油彩吹き付け
46.4×38.3cm(F8号)
※山田光春『私家版・瑛九油絵作品写真集』(1977年刊)No.286
※宮崎県立美術館他『生誕100年記念 瑛九展』図録所収・油彩画カタログレゾネ(2011年刊)No.346
瑛九
「作品」
1958年 水彩
26.2×19.2cm
サイン、年記あり
瑛九
「ターゲット」
1956年 水彩、鉛筆
23.3×19.8cm
サイン、年記あり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは「アートフェア東京2015」に出展します。

オープニングプレビュー:3月19日[木]18:00-21:00
※招待状をお持ちの方のみ
一般公開:3月20日[金]―22日[日]
会場:東京国際フォーラム・ガラス棟地下2階、展示ホール
(東京都千代田区丸の内3-5-1)
ときの忘れものブースナンバー:S15
出品:葉栗剛、秋葉シスイ、野口琢郎、木坂宏次朗、瑛九、松本竣介、瀧口修造
◆ときの忘れものの3月前半の展示は「花見月の画廊コレクション」です。

「花見月の画廊コレクション」
会期:2015年3月3日(火)~3月14日(土)
*日曜、月曜休廊
出品:舟越桂、ベロック、中山岩太、瑛九、奈良原一高、細江英公、マン・レイ、小野隆生、他
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
復興にはまだまだ時間がかかるでしょう。特に原発事故の始末については人類の破滅にもつながる恐れがあり、今の拙速ともいえる政治の動きには懸念を持たざるを得ません。
震災で奪われた多くの人たちのご冥福を明日は静かに祈りたいと思います。
~~~~~~~~~~
本日3月10日は瑛九(本名・杉田秀夫)の命日です。
1911年4月28日に宮崎で生まれた瑛九は1960年3月10日に49歳の誕生日を目前に亡くなりました。
晩年の瑛九を支えた福井の人たちについては、このブログでもたびたび言及してきました。
その一人、福井県大野の堀栄治さん(2011年没)が遺してくれた労作に『福井創美の歩み』(1990年10月初版、2007年5月第5版発行)という手作りの記録集があります。福井における創造美育運動、ひいては小コレクター運動の詳細な日録です。
第5版から、瑛九の死の前後の記録を再録してみましょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~
1960年3月10日
瑛九 午前8時30分 急性心不全で永眠
3月15日
午後2時から自宅で無宗教による告別式が行なわれる
池田満寿夫自作の[鎮魂歌―心から瑛九に捧げる―]を静かに読みあげる
3月19日
坂井ブロック 児童美術普及のため絵の見方についての会合を持つ
3月28日~29日
瑛九宅を訪問して、瑛九の遺作を整理する
・木水・谷口・堀・藤本・中村 6名
瑛九 遺作
・エッチング 605点
・リトグラフ 1,567点
・フォトデッサン705点(*)
・吹付デッサン66点
・コラージュ 27点
・カット 32点
・デッサン 427点
・油絵吹付 11点
・油絵リアリズム 32点
・スケッチブック 30点
・油絵30号まで 175点
・水彩 247点
・毛筆 6点
・ガラス絵 9点
(*引用した第5版にはフォトデッサンの項目が脱落しており、この項だけ初版の記述を再録しました。亭主記)
・堀、瑛九の絶筆の詩「ヒミツ」を謹写して福井瑛九の会、会員に渡す
(「読売新聞に『花ひらく瑛九氏の遺作』12人の教員グループ」という記事がのる。
超現実主義派の草分けの一人として特異な作風で知られた画家、清和市本太五の四四、瑛九氏(四八)(本名杉田秀夫氏)は、
さる十日慢性ジン炎がもとで東京神田の病院でなくなったが、生前九年間も同氏を支持し続けて来た福井県小、中学の若い先生たちのグループ六人が春休みを待って二十八日、浦和の瑛九氏宅に集まった。
都未亡人を慰め、遺作の整理をするとともに、瑛九氏の遺志をくんで五月のはじめ福井市内で初の遺作展を開くことになった。)
3月26日
福井小コレクター例会 福井市三上ビル
・撲九後援会のこと、遺作展のことについて話し合う
5月1日
瑛九遺作展の準備 福井市三上ビル
5月3日
瑛九遺作展のために資金カンパをする
・北川民次のリト8点(中間は58年の12月に入手した「子供を抱く二人の裸婦」を1点宛拠出する)泉のリト5点集まる
5月7日
「瑛九遺作展」が福井繊協ビルで福井瑛九の会主催によって開かれ
・遺作80余点が陳列される
・浦和市より 瑛九夫人、岩瀬久江女史、宇佐美兼吉
・大阪より 福野正義・松本弘駆けつける(福野「故瑛九に捧げる詩」を500部持参する)
5月29日
国立近代美術館「物故作家四人展」4月27日より(菱田春草・高村光太郎・瑛九・上阪雅人)を見るために上京 堀・福野
5月30日
堀・福野、瑛九宅訪問(瑛九宅で中西末治と合う)
・福井の瑛九の会 仲間に頒布するために次の作品を預かる
エッチング 特大 13点、リトグラフ 征版13点、ミノ版 13点、水彩 13点、
油10号 1点、8号 3点、3号 1点、ガラス絵6号 1点
福野 水彩 リト大 油10号 各1点
中西個人で油20号 8号 4号 2号 各1点、10号 2点、デッサン 3点 購入する

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瑛九が亡くなって僅か二週間後の3月末、福井の教師たち6人が春休みをつかって瑛九のアトリエに入り、遺された作品を整理、カウントしたことは特筆にあたいします。フォトデッサンだけでも亡くなったときに705点もアトリエに残されていました。いかに瑛九にとって重要な表現手法だったかがわかります。
瑛九夫人の都さんはその後一年かけて、銅版とリトグラフを撮影し、手作りの最初の銅版とリトグラフのレゾネ(写真アルバム)を制作します(この写真アルバムがその後の瑛九資料の底本ともなるのですが、当然のことながら誤記や重複などあり、それらを修正し正確な記録を作成するのが今後の研究者たちの課題です)。
亡くなって二ヶ月も経たないで、国立近代美術館の今泉篤男先生の決断で4月27日(オープニング)から瑛九の初めての回顧展示「四人の作家」展が開催されます。続いて5月7日から福井瑛九の会主催の「瑛九遺作展」が福井繊協ビルで開催されました。
いま考えてもおそるべき速攻といわねばなりません。

「四人の作家」展目録
会期:1960年4月28日―6月5日
国立近代美術館
出展作家:菱田春草、瑛九、上阪雅人、高村光太郎
瑛九顕彰の道がこのときあけられ、以後、各地で瑛九の画業顕彰の試みが続けられました。
このように木水育男さん、堀栄治さんなど福井の皆さんが晩年の瑛九を支え、没後の顕彰に大きな役割を果たしたことは事実ですが、しかしそれを過大評価するあまり「福井だけが瑛九の理解者」だったと賞賛するのは贔屓の引き倒しです。
瑛九は決して経済的に豊かだったとは言えませんが、その周囲に驚くほど精神的に豊かな人脈が広がっています。人柄、内外美術への識見、才能が愛されたからにほかなりません。
瑛九没後もひとり浦和のアトリエを守り、瑛九顕彰に尽力し、他によくある「独り占め」などせずに、遺されたすべてを快く公開したのが今もご健在の都夫人です。
宮崎の実家の眼科医院を継いだ杉田正臣さんも弟瑛九のために常に暖かな理解と支援を惜しみませんでした。
瑛九の友人の画家・山田光春さんは瑛九没後、資料を渉猟し詳細な評伝を刊行します。さらにカメラを片手に日本全国のコレクターを訪ね歩き瑛九の油彩画を撮影記録し、カタログレゾネ『私家版・瑛九油絵作品写真集』を写真アルバムの形式で1977年に作成しました(限定5部、都夫人、木水育男、久保貞次郎らに渡された)。
瑛九の美術界への扉を開けたのはエスペランティストの同志、久保貞次郎先生でした。日本有数の大コレクターだった久保先生の果たした役割こそ、誰よりも大きく、まさに瑛九の最大の理解者、支援者でした。
幸いになことに、これらの人たち全員に亭主はお目にかかることができ、瑛九の人となりを直接うかがう幸運に恵まれました。
これからも画商として、瑛九顕彰に微力を尽くしたいと思っています。
先ずは、20日から始まる「アートフェア東京」での瑛九展示にご期待ください。
●今日のお勧めはもちろん瑛九です。
瑛九「手」
1957年 板に油彩吹き付け
46.4×38.3cm(F8号)
※山田光春『私家版・瑛九油絵作品写真集』(1977年刊)No.286
※宮崎県立美術館他『生誕100年記念 瑛九展』図録所収・油彩画カタログレゾネ(2011年刊)No.346
瑛九「作品」
1958年 水彩
26.2×19.2cm
サイン、年記あり
瑛九「ターゲット」
1956年 水彩、鉛筆
23.3×19.8cm
サイン、年記あり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
◆ときの忘れものは「アートフェア東京2015」に出展します。

オープニングプレビュー:3月19日[木]18:00-21:00
※招待状をお持ちの方のみ
一般公開:3月20日[金]―22日[日]
会場:東京国際フォーラム・ガラス棟地下2階、展示ホール
(東京都千代田区丸の内3-5-1)
ときの忘れものブースナンバー:S15
出品:葉栗剛、秋葉シスイ、野口琢郎、木坂宏次朗、瑛九、松本竣介、瀧口修造
◆ときの忘れものの3月前半の展示は「花見月の画廊コレクション」です。

「花見月の画廊コレクション」
会期:2015年3月3日(火)~3月14日(土)
*日曜、月曜休廊
出品:舟越桂、ベロック、中山岩太、瑛九、奈良原一高、細江英公、マン・レイ、小野隆生、他
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