東野芳明、中原佑介と並び美術評論家御三家の一人と言われた針生一郎先生が亡くなられたのは2010年5月26日でした。
亭主は御三家の三先生にはそれぞれ原稿をお願いしたりでお世話になりましたが、最も縁の深かったのは針生先生でした。
1983_6_7_パルコウォーホル展オープニング_針生一郎
1983年6月7日
現代版画センター企画
「アンディ・ウォーホル全国展」オープニング
於:東京渋谷 パルコPART3
針生一郎先生(左)と亭主

亭主が主宰していた現代版画センターについて一般誌のマスコミ(朝日ジャーナル)で初めて取り上げてくださったのが針生先生でした。
機関誌への寄稿(「現代日本版画家群像」はこのブログに再録しました)、各地の展覧会での講演などずいぶんとお世話になりました。
宮城県美術館で「わが愛憎の画家たち―針生一郎と戦後美術」という展覧会が開催されています。
大恩ある針生先生の展覧会なので何とか行きたいのですが、仙台は遠い、仕事も詰まっている・・・・・・・
3月22日[日]までなので、とりあえずご紹介だけさせていただきます。
20150131針生一郎展 表20150131針生一郎展 裏

「わが愛憎の画家たち―針生一郎と戦後美術」
会期:2015年1月31日[土]~3月22日[日]
会場:宮城県立美術館
   〒980-0861 仙台市青葉区川内元支倉34-1
   Tel. 022-221-2111
時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
月曜休館(ただし祝日の場合は開館し、翌日休館)

仙台市出身の針生一郎(1925-2010)は、文芸評論から出発しましたが、1950年代に刊行された雑誌『美術批評』に芸術論や展覧会評を寄稿して注目され、中原佑介、東野芳明とともに“美術評論の御三家” と呼ばれる存在となりました。戦後、美術が自律した芸術表現として純粋性の追求に向かう潮流の中で、針生は一貫して「社会と人間」という視点をもって、作家たちの表現行為と作品を批評してきました。そして、行動する評論家として、晩年までさまざまな文化運動にも関わり続けました。
現実を見据え、そこに前衛としての芸術家の在り方と創作の意義を問い続けた針生の思想と活動は、敗戦から今日に至る日本の美術史に、ひとつの地下水脈を形成してきたといえましょう。この展覧会では、主に1950~70年代に針生が関わった芸術運動や展覧会に焦点をあて、著書『わが愛憎の画家たち』などで論評した作家と作品を紹介し、ひとりの評論家の視線を通して戦後美術史を再読します。

主な出品作家:岡本太郎、香月泰男、鶴岡政男、山下菊二、河原温、勅使河原宏、池田龍雄、中村宏、小山田二郎斎藤義重桂ゆき、今井俊満、菅井汲山口勝弘篠原有司男赤瀬川原平、高松次郎、立石紘一、岡本信治郎、菊畑茂久馬、宮城輝夫、丸木位里・俊、横山操、中村正義、片岡球子、朝倉摂、粟津潔磯崎新、他(同展HPより転載)

上掲のリストには入っていませんが、電話で確認したところ、わが瑛九のフォトデッサン2点も出品されているそうです。

●関連イベントのご案内
美術館講座「戦後の美術と批評をめぐって」
>>詳しくはこちら
20150131針生一郎展 イベント表20150131針生一郎展 イベント裏

*画廊亭主追記 3月17日
仙台まで久しぶりに行って見てきました。展覧会レポートはコチラをお読みください。

●今日のお勧めは桂ゆきです。
桂ゆき「虎の~」桂ゆき
虎の威を借る狐
1956年 リトグラフ
38.8×55.8cm
Ed.100 signd

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