「浮田要三展に寄せて」~3
河﨑晃一
(甲南女子大学文学部メディア表現学科教授)
画家浮田要三
浮田が制作を再開したのは1983年だった。実際には制作から離れていたのは退会後10年ほどで、75年ころからは解散後の具体メンバーとの交流もあり少しずつ制作を始めていた。そのブランクを知りながら浮田を誘ったのは嶋本昭三だった。嶋本はデュッセルドルフで開かれた「具体AU6人展」(注5)の現地制作に浮田を誘い、その経験は浮田の創作意欲を蘇らせた。このきっかけ作りは、嶋本たちが浮田の才能を信じ、彼自身にそのことを認識させるきっかけ作りだったのかも知れない。画家浮田要三は、50年代半ばから10年足らずの助走、そしてブランクを経てこの時はじめて自他ともに認める存在となったのではないだろうか。ただ、現代美術と呼ばれるジャンルの若い世代の台頭とは、全く異次元の表現であり、制作に対する考え方は、より深く、地に足が着いていて哲学的である。元具体メンバーの画家というより、具体の精神を表面下で継承する浮田要三の名が相応しいように思う。具体時代に吉原から学んだ芸術に対する精神は、そこにしっかりと受け継がれていた。
出品No.6)
浮田要三
《マイケル・ジャクソン》
2012年頃
油、アクリル彩、キャンバス
199.0×97.5cm
サインあり
1998年4月、浮田はフィンランド、フォルッサの画家協会の招待を受け妻とともに約1年間滞在することになる。現地の新聞の取材に「新しいものを求めてやってきた」と意欲を見せている。浮田73歳の時である。夏は短く厳冬の地フィンランドでの生活は、どのようなものだったのだろうか。近年の北欧ブームとはかけ離れた浮田の姿が浮かぶ。1年後の成果をフォルッサの美術館(注6)で個展を開催、その時のパンフレットは「ほとんどなにもない作品集」と名付けられた。浮田の自然体の生き方がなにもない状態に例えられ、彼の生活そのものが作品に通じていることは、人間味を感じさせる。
70歳をすぎてからの浮田の制作意欲は、年を追って活発、意欲的になる。展覧会歴を見ていくと1994年の初個展から亡くなる2013年まで、多い時には年3、4回の個展を開催している。この約20年が画家浮田要三の真価を問われる時代である。浮田の作品群とその生き方、精神など内面的な事柄を結びつけながら浮田要三を見ていくことはたやすいことではない。しかし、浮田自身も言うように、作品は感じ取るものであり理屈はいらない。それを教えてくれる作品である。
出品No.7)
浮田要三
《巻物》
130.5×95.0cm
サインあり
出品No.4)
浮田要三
《黒入歯》
2008年
油、アクリル彩、キャンバス、ドンゴロス
60.0×116.0×3.0cm
裏面に浮田夫人のサインとスタンプあり
浮田要三に関しては、これまでに出版された作品集『浮田要三の仕事』に浮田本人の文章「浮田要三小論(哲学的考察に於いて)」とともに、浮田を敬愛する4人の研究者、学芸員、作家によって論じられている。それらは、作品を時代順に追って見るだけではなく、浮田要三を知ること、彼自身がどのような姿勢で制作に向かっていたのか、なによりどのように生きようとしたのかが伝わって来る。
(かわさき こういち)
注釈
注5 1976年から嶋本昭三が事務局長を務めるAU(アーティストユニオンから1980年に名称変更)がAtelierhaus Hildebrandstrasse, Düsseldorfにて開催した。1983年6月19日~26日。出品作家は、浮田要三、嶋本昭三、村上三郎、山崎つる子ほか。
注6 The South-West Häme Museum, Forssa, Finland
■河﨑晃一 Koichi KAWASAKI
1952年兵庫県芦屋市生まれ。甲南大学経済学部卒業。卒業後、染色家中野光雄氏に師事、80年から毎年植物染料で染めた布によるオブジェを発表。87年第4回吉原治良賞美術コンクール展優秀賞、第18回現代日本美術展大原美術館賞受賞。
『画・論長谷川三郎』の編集、甲南学園長谷川三郎ギャラリーや芦屋市立美術博物館の開設に携わり「小出楢重と芦屋展」「吉原治良展」「具体展」「阪神間モダニズム展」「震災と表現展」などを企画した。93年にはベネチアビエンナーレ「東洋への道」の具体の野外展再現、99年パリジュドポムの「具体展」、近年では、2015年にアメリカテキサス州ダラス美術館での「白髪一雄/元永定正展」を企画、海外での具体の紹介に協力。06年より2012年まで兵庫県立美術館に勤務されました。現在、甲南女子大学文学部メディア表現学科教授。
2013年3月に開催した「GUTAI 具体 Gコレクションより」展ギャラリートークにて
河﨑晃一さん(左)と石山修武さん(右)
●作品集のご紹介
『浮田要三の仕事』
2015年7月21日発行
発行所 りいぶる・とふん
編集人 浮田要三作品集編集委員会
制作人 浮田綾子、小崎唯
テキスト:浮田要三、貞久秀紀、加藤瑞穂、平井章一、井上明彦、おーなり由子
25.7×27.2cm
316ページ
全テキスト英訳
税込10,800円 ※別途送料250円
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆ときの忘れものでは2016年4月8日(金)~4月23日(土)まで「浮田要三展」を開催しています(日・月・祝日休廊)。

1954年に関西在住の若手作家を中心に結成された「具体(具体美術協会)」。1950年代にはまだパフォーマンスやインスタレーションといった表現が新奇の眼で見られるだけで、美術作品としての評価はなかなかされにくい時代でした。
しかし近年では国際的にも注目をあび、1950~70年代の日本のアートを再評価し検証する動きが活発です。2013年2月にニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催された「GUTAI」展は大反響を呼びました。
具体のリーダーであった吉原治良の「人の真似をするな」という言葉に象徴されるように、具体美術協会に参加した作家たちは従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術表現を旺盛に展開していきました。
本展では「具体」に参加した浮田要三に焦点を当て、油彩作品をご覧いただきます。
●ときの忘れものは2016年3月より日曜、月曜、祝日は休廊します
従来企画展開催中は無休で営業していましたが、今後は企画展を開催中でも、日曜、月曜、祝日は休廊します。
河﨑晃一
(甲南女子大学文学部メディア表現学科教授)
画家浮田要三
浮田が制作を再開したのは1983年だった。実際には制作から離れていたのは退会後10年ほどで、75年ころからは解散後の具体メンバーとの交流もあり少しずつ制作を始めていた。そのブランクを知りながら浮田を誘ったのは嶋本昭三だった。嶋本はデュッセルドルフで開かれた「具体AU6人展」(注5)の現地制作に浮田を誘い、その経験は浮田の創作意欲を蘇らせた。このきっかけ作りは、嶋本たちが浮田の才能を信じ、彼自身にそのことを認識させるきっかけ作りだったのかも知れない。画家浮田要三は、50年代半ばから10年足らずの助走、そしてブランクを経てこの時はじめて自他ともに認める存在となったのではないだろうか。ただ、現代美術と呼ばれるジャンルの若い世代の台頭とは、全く異次元の表現であり、制作に対する考え方は、より深く、地に足が着いていて哲学的である。元具体メンバーの画家というより、具体の精神を表面下で継承する浮田要三の名が相応しいように思う。具体時代に吉原から学んだ芸術に対する精神は、そこにしっかりと受け継がれていた。
出品No.6)浮田要三
《マイケル・ジャクソン》
2012年頃
油、アクリル彩、キャンバス
199.0×97.5cm
サインあり
1998年4月、浮田はフィンランド、フォルッサの画家協会の招待を受け妻とともに約1年間滞在することになる。現地の新聞の取材に「新しいものを求めてやってきた」と意欲を見せている。浮田73歳の時である。夏は短く厳冬の地フィンランドでの生活は、どのようなものだったのだろうか。近年の北欧ブームとはかけ離れた浮田の姿が浮かぶ。1年後の成果をフォルッサの美術館(注6)で個展を開催、その時のパンフレットは「ほとんどなにもない作品集」と名付けられた。浮田の自然体の生き方がなにもない状態に例えられ、彼の生活そのものが作品に通じていることは、人間味を感じさせる。
70歳をすぎてからの浮田の制作意欲は、年を追って活発、意欲的になる。展覧会歴を見ていくと1994年の初個展から亡くなる2013年まで、多い時には年3、4回の個展を開催している。この約20年が画家浮田要三の真価を問われる時代である。浮田の作品群とその生き方、精神など内面的な事柄を結びつけながら浮田要三を見ていくことはたやすいことではない。しかし、浮田自身も言うように、作品は感じ取るものであり理屈はいらない。それを教えてくれる作品である。
出品No.7)浮田要三
《巻物》
130.5×95.0cm
サインあり
出品No.4)浮田要三
《黒入歯》
2008年
油、アクリル彩、キャンバス、ドンゴロス
60.0×116.0×3.0cm
裏面に浮田夫人のサインとスタンプあり
浮田要三に関しては、これまでに出版された作品集『浮田要三の仕事』に浮田本人の文章「浮田要三小論(哲学的考察に於いて)」とともに、浮田を敬愛する4人の研究者、学芸員、作家によって論じられている。それらは、作品を時代順に追って見るだけではなく、浮田要三を知ること、彼自身がどのような姿勢で制作に向かっていたのか、なによりどのように生きようとしたのかが伝わって来る。
(かわさき こういち)
注釈
注5 1976年から嶋本昭三が事務局長を務めるAU(アーティストユニオンから1980年に名称変更)がAtelierhaus Hildebrandstrasse, Düsseldorfにて開催した。1983年6月19日~26日。出品作家は、浮田要三、嶋本昭三、村上三郎、山崎つる子ほか。
注6 The South-West Häme Museum, Forssa, Finland
■河﨑晃一 Koichi KAWASAKI
1952年兵庫県芦屋市生まれ。甲南大学経済学部卒業。卒業後、染色家中野光雄氏に師事、80年から毎年植物染料で染めた布によるオブジェを発表。87年第4回吉原治良賞美術コンクール展優秀賞、第18回現代日本美術展大原美術館賞受賞。
『画・論長谷川三郎』の編集、甲南学園長谷川三郎ギャラリーや芦屋市立美術博物館の開設に携わり「小出楢重と芦屋展」「吉原治良展」「具体展」「阪神間モダニズム展」「震災と表現展」などを企画した。93年にはベネチアビエンナーレ「東洋への道」の具体の野外展再現、99年パリジュドポムの「具体展」、近年では、2015年にアメリカテキサス州ダラス美術館での「白髪一雄/元永定正展」を企画、海外での具体の紹介に協力。06年より2012年まで兵庫県立美術館に勤務されました。現在、甲南女子大学文学部メディア表現学科教授。
2013年3月に開催した「GUTAI 具体 Gコレクションより」展ギャラリートークにて河﨑晃一さん(左)と石山修武さん(右)
●作品集のご紹介
『浮田要三の仕事』2015年7月21日発行
発行所 りいぶる・とふん
編集人 浮田要三作品集編集委員会
制作人 浮田綾子、小崎唯
テキスト:浮田要三、貞久秀紀、加藤瑞穂、平井章一、井上明彦、おーなり由子
25.7×27.2cm
316ページ
全テキスト英訳
税込10,800円 ※別途送料250円
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆ときの忘れものでは2016年4月8日(金)~4月23日(土)まで「浮田要三展」を開催しています(日・月・祝日休廊)。

1954年に関西在住の若手作家を中心に結成された「具体(具体美術協会)」。1950年代にはまだパフォーマンスやインスタレーションといった表現が新奇の眼で見られるだけで、美術作品としての評価はなかなかされにくい時代でした。
しかし近年では国際的にも注目をあび、1950~70年代の日本のアートを再評価し検証する動きが活発です。2013年2月にニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催された「GUTAI」展は大反響を呼びました。
具体のリーダーであった吉原治良の「人の真似をするな」という言葉に象徴されるように、具体美術協会に参加した作家たちは従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術表現を旺盛に展開していきました。
本展では「具体」に参加した浮田要三に焦点を当て、油彩作品をご覧いただきます。
●ときの忘れものは2016年3月より日曜、月曜、祝日は休廊します
従来企画展開催中は無休で営業していましたが、今後は企画展を開催中でも、日曜、月曜、祝日は休廊します。
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