小林紀晴のエッセイ「山の記憶」 第7回

キノコ採り 02

 誰もどうすることもできなかった。ただ、西の山を見上げては、
「困ったよう・・・・」
「どうゆうずら」
 などと口にすることしかできない。誰もが無力だった。
 完全に日が落ちると、山の稜線と空の境目がわからなくなった。すると、急に祖父が闇に飲み込まれ、二度ともどって来られないような気がして不安に襲われた。
 父に早く帰ってきてほしかった。きっと父だったら、どうにかしてくれるような気がしたからだ。
 庭にみんなで棒立ちに待っていても仕方がないので、私たちは家に入ることにした。祖母と母と姉と兄とで遅い夕飯を食べた。誰もほとんど口をひらかなかった。想像できることより、できないことの方が圧倒的に多く、そのことに私は戸惑った。
 やがて父が帰宅した。少し安堵したけど、事情を知ってこわばっていく父の顔をみると、再び不安に襲われた。
「これから、探しに行ってくる」 
 そんな父の言葉を期待した。山をよく知っている父だったら、たとえ暗くても祖父を探しだしてくれるのではないか。そんな気がしたからだ。でも、父は黙ったままだった。
「いまから探しに行けないの?」
 私は遠慮がちに父に言ってみた。
「無理だ」
 即答だった。
 1時間ほどして、突然、玄関がガラガラと音をたてた。
「いま、帰ったぞ」
 驚いたことに祖父の声だった。全員が居間を飛び出した。
 確かに祖父が立っていた。どこかに怪我をしているわけでもなさそうだった。
「どうしただ」
 祖母が訊ねた。
「山で車の鍵を落とした」
「じゃあ、歩いてけえって来ただか」
「いや、あのトラックに助けてもらった」
 祖父は外にでていった。
 家の前の道路にはエンジンがかかったままの大きなトラックが停まっていた。ヘッドライトもついていた。よく見ると、荷台には丸太らしきものが山積みになっていた。
 祖父はトラックの方にではなく、家の裏に向かった。そのあたりには祖父が大事に育てている椎茸を育てるための原木が塀沿いに置かれている。長さ50センチほどのクヌギの原木に椎茸の菌を打ち込んで、以前から育てているものだ。祖父はそれを両脇に一本ずつ抱えて戻ってきた。そしてトラックへ向かった。
 トラックから降りてきたのは、父ほどの年齢の男だった。よく日に焼けて頭に鉢巻を巻いている。いかにも山で仕事をしているという感じだった。ニコニコと笑っていた。私は安心した。
 祖父は家の裏とトラックを往復して計4本の椎茸の原木を運び、トラックの男に渡した。さらに採ったばかりのキノコも渡した。ここまで無事に送ってくれたことへの感謝の印だということは、子供でもすぐに理解できた。トラックが走り去る時、祖父は何度も、深く頭を下げていた。
 落ち着いたところで、祖父から訳を聞いた。
 日が落ちる前にキノコ狩りを終えて、山から林道に出たという。車が停めてあるところまで戻り、ドアを開けようとポケットに手を入れると、あるはずのキーがないことに初めて気がついた。山中のどこかで落としてしまったのだ。しばらく車の周りを探したが見つかるはずがなかった。一日中、山を歩いたので、それをたどることなど不可能だ。やがてすぐに日が落ちたという。 
 歩いたら家までは5、6時間はかかる距離らしく、夜道を歩くのは危険すぎるので野宿するしかないと諦め始めたとき、遠くからエンジン音が聞こえたという。キツネに化かされているのかもしれないと思ったが、ヘッドライトが見えたので、祖父は道の真ん中に立った。そして両手を広げた。どうしても、停まってほしいと必死だったという。

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 その事件について、私はその後も時々考える。山は怖いものだと深く心に刻まれるきっかけにもなった。大人になってからも同じように思い出したように考える。
 あるとき、ふと、何故、椎茸の原木だったのだろうかと思うことがあった。採ったばかりのキノコはわかるとして、何故、祖父は椎茸の原木をお礼に渡したのだろうか。人によっては、ありがた迷惑になりそうなものだからだ。単純に椎茸そのものあげるのは理解できる。でも原木は相当に場所をとるし、なにより育てなければいけない。それも適した日陰となる場所が必要だ。
 そのあたりのことは車のなかでトラックの男とすでに話された後だったのだろうか。いや、送ってもらっているあいだに、お礼について話すとは考えにくい。
 私の勝手な解釈だが、祖父の性格なども考えるとトラックの男には何も打診も相談もなく、一方的に椎茸の原木を渡したような気がする。でも、もらってくれたのだから、迷惑というわけでもなかったのだろうか。
 故人となった祖父に聞くことはできない。
次回に続く。

こばやし きせい

小林紀晴 Kisei KOBAYASHI(1968-)
1968年長野県生まれ。
東京工芸大学短期大学部写真科卒業。
新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS ASIA》で日本写真協会新人賞受賞。2000年12月 2002年1月、ニューヨーク滞在。
雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。

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