倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」
第9回 孤立するモダン ロンシャン礼拝堂
倉方俊輔(建築史家/大阪市立大学准教授)
画:光嶋裕介(建築家)

ロンシャン礼拝堂は、1955年に献堂された時から突出していた。一見して、既存のルールから外れていた。キリスト教の礼拝堂には見えなかった上に、それまでのル・コルビュジエの作品にも、一般化できる要素とできない要素とが混じり合っていたが、これほどまでに、来たるべき世界の普通を作品から抽出しようという思いを裏切るものはない。では、これは何であるのか。未来でないとしたら、彼はどの過去に戻ったのか。表現主義? 古典主義? あるいは実はモダニズムを内包しているのだろうか? ロンシャン礼拝堂が、それまでコルビュジエに共感していた同時代の建築家や批評家たちを戸惑いの渦に巻き込んだとはよく言われる形容だが、今見ても、やはりそうだっただろうと思う。
完成から60年以上経った今でも突出し、孤立した存在であることには変わりない。結局、このような作品が世界の現代建築の潮流となることは ―形態などほんの一部の類似を除いては― なかった。では、逆に過去の建築の潮流に帰属させられたかというと、それも無理だった。
もちろん、パルテノン神殿から地中海沿岸のヴァナキュラー建築、中世の修道院や船舶まで、さまざまなモチーフが意識と無意識の狭間を横切って流れ込んでいることは、研究者たちの努力によって明らかにされている。アーカイブに保管されている図面の描線1本が、仔細な寸法が、樋やドアノブといった細部が、標本を解剖するかのように検討された結果だ。研究がどんなに生真面目で部分的に見えても、根本には「これは何であるのか」という衝撃が存在しているだろう。この一つの建築は人を突き動かし、豊穣に生産してきた。
そして、何であるかを一言で言い表すことは、ますます困難になった。多種多様な要素がここで一つに集まっているという特異点としての性格はいっそう強まった。あくまでもピン留めされることを拒否し、コルビュジエの作品の系譜の中でも孤立している。彼自身も賢明なことに、同様のものを繰り返さなかったのだ。
これがキリスト教の礼拝堂だという事実は、孤立の理由の一つではあるだろう。研究者のウィリアム・J.R. カーティスは、最初に設計の話が来た時、コルビュジエがすでに教会は「死滅した制度」だと主張して辞退したことに触れ、「このばかげた返答は、マグダラのマリアが晩年を過ごしたといわれるエックス・アン・プロヴァンス近郊のサント・ボームに建つ神殿の計画案が拒否されたという不快な経験とおそらく無関係ではないだろう」と推測している(※1)。ロンシャン礼拝堂の以前に考えたキリスト教の建築は、この実現しなかった計画のみだった。死滅したもの、と考えたら、何でも可能だ。コルビュジエは、ここから新たに始めることにした。
*****
屋根の形がまず目を引く。これを上手に例えられれば、これが何であるのかを言い当てられそうだが、屋根はあらゆる方向で姿を変える。結局、既存の特定のものに当てはめることを諦めなくてはならない。
重いようで軽いような屋根だ。その厚みと打ち放しコンクリートの表面は、物体としての存在感を感じさせる。似たものは土木構造物のような実物しか思い付かない。圧倒的でありながら、浮いているから不思議なのだ。壁は、実際には純白を使うことはまれだった1920年代の「白の時代」の壁よりも真っ白く、小石を混ぜた吹き付け塗装を施すことで、何でつくられているかを体感させる。抽象的な平面ではないのだ。
そんなわけで、ともに構築的な表情でありながら、別々の要素であることが強調された屋根と壁とは、鋭いコントラストをなすでも、合一するわけでもなく、戯れる。屋根と壁の間にスリットが開いているのが、外観からも分かるだろう。庇のように屋根が壁に優まさって重く立ち込めたかと思えば、裏手では屋根は見えなくなる。塔は両者の間にある。ある方向からは壁に連続し、別の方向からは屋根の曲面と共鳴する。重力と無重力の間を、形は行き来しているのだ。
結びつけられることと離れることとが一つになっている。それは周辺環境との関係も同じだ。ロンシャン礼拝堂は、彫塑的である。先にも触れたように、既存のルールから離れて超然としているというだけでなく、先のようにぐるりと一周して観察できるほどに周囲から見られる建ち方だ。軽やかに、彫塑的に、周囲から浮き上がっているとひとまず言える。
同時に周囲に、重く結びついている。もちろん「させられている」のではなく、自ら選択「している」のだ。重力や素材との関係と同様に、第二次世界大戦後のコルビュジエは、離れることの一辺倒ではなく、あえて結びつくことへと自由の領域を拡張した。
張り出した屋根の下は外部礼拝のための場所である。それだけではなく、歩き回れば、それぞれの壁が周囲の地形とともにあることに気づく。建物はいわば外部を囲い込み、領域をつくり出しているのだ。これは彫塑的であることと矛盾しない。光の変化を際立たせる造形は、時間や季節に応じて周囲それぞれが持つ個別の性格を強調している。建設されることによって、この敷地はよりこの敷地らしくなっている。どこにでも移動可能な彫塑ではなく、周囲に緊結された1回限りの建築なのだとわかる。
内部に進もう。外部とは異なる空間がある。しかし、明確なコントラストで、建物という領域に閉じたドラマを生み出すことはない。屋根も壁も、基本的には外部の正直な反転である。歩き回るにつれて、バラバラな体験が一つに結ばれることも外部での経験を思い起こさせる。厚い壁に穿(うが)たれた窓は、光を増幅する装置である。 窓ガラスに文字が手書きされている。いくつか読んでみよう。「Je vous salue marie」(マリアに敬意を)、「mere Dieu」(母、神)、「Lamer」(海)。言葉は礼拝堂のマリア信仰と共鳴しながら、ある者を信仰へ、ある者を形態のさらなる読み解きへと誘う。連想の効果が導入されている。
壁の一部には、第二次世界大戦で破壊された以前の礼拝堂の石積みが使われている。コルビュジエはここが古くからの巡礼の地であり、かつて古代の神殿があったことに注意を喚起している。
ロンシャン礼拝堂は、環境の中の装置としてある。自然を反映して周囲のランドスケープを強調し、これまで築かれてきた文化・言語の連想を利用し、場所の歴史を引き受けている。根本にあるのは造形であって、それが言葉以上に人々を善導することを設計者は信じている。礼拝堂は都市の中にあるのではないが、孤独なモニュメントではない。内部・外部を通じた人の集まりが想定されている。共同体への信仰は、ここでも健在なのだ。



ロンシャン礼拝堂
竣工年│1955年
所在地│Colline de Bourlemont 70250 Ronchamp, France
(撮影:倉方俊輔)
季節によって公開時間が異なるが、一般に公開されている。
カトリックで聖母マリア生誕の日とされている9月8日と被昇天の8月15日に多くの信徒が集まる
*****
ロンシャン礼拝堂は、この場所のさまざまなものと結びついて、個として建っている。モダンなのである。「モダン(modern)」は、ラテン語の「ちょうど今」が由来。まさに今、何をしたら良いかを先入観抜きに考える態度だ。過去からも考えないし、未来のルールをつくるためにあるのでもない。
コルビュジエは礼拝堂という対象に、空(から)の姿勢で向きあった。この場所にある環境、歴史、用いられる資材。そして、連想できるさまざまなものを結び合わせたのである。現実主義と理想主義は手を携えるものであり、それに反するのはルールに縛られたものである。ここにあるのは設計者の誠実さがもたらした孤立だ。建設以来、多くの要素が読み解かれ、傑作として認識されている。
しかし、ルールがないのだとしたら、それが良いものであることが、どうやって建設以前に算定できるのだろう。建築家への全権委任状ではないか。コルビュジエは恐ろしいことにモダンがルール化ではなくて、逆だということを示してしまった。傑作によって、世界中の建築家に勇気を与え、一定の者をその方向性に走らせ、そして建築家の「悪」がやがて反省させられることの根源かもしれない。
※1…ウィリアム・J.R. カーティス著、中村研一訳『ル・コルビュジエ̶理念と形態』(鹿島出版会、1992)p.203
(くらかた しゅんすけ)
■倉方俊輔 Shunsuke KURAKATA
建築史家。大阪市立大学大学院工学研究科准教授。1971年東京都生まれ。著書に『東京レトロ建築さんぽ』『ドコノモン』『吉阪隆正とル・コルビュジエ』、編著に『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』ほか。
生きた建築ミュージアム大阪実行委員会委員
◆倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。

『建築ジャーナル』
今年の『建築ジャーナル』誌の1月~12月号の表紙を光嶋裕介さんが担当することになりました。
テーマはル・コルビュジエ。
一年間にわたり、倉方俊輔さんのエッセイ「『悪』のコルビュジエ」と光嶋裕介さんのドローイング「コルビュジエのある幻想都市風景」が同誌に掲載されます。ときの忘れものが企画のお手伝いをしています。
月遅れになりますが、気鋭のお二人のエッセイとドローイングをこのブログにも再録掲載します。毎月17日が掲載日です。どうぞご愛読ください。
●10月6日はル・コルビュジエの誕生日でした(Le Corbusier、1887年10月6日 - 1965年8月27日)。
生誕130年を祝う、今日のお勧め作品はル・コルビュジエです。
ル・コルビュジエ
《二人の女》
1938年
リトグラフ
イメージサイズ:17.6×26.7cm
シートサイズ:38.5×50.2cm
Ed.100
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆ときの忘れものは「安藤忠雄展 ドローイングと版画」を開催しています。
会期:2017年9月26日[火]~10月21日[土] 11:00~18:00 ※日・月・祝日休廊

●六本木の国立新美術館で「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]~12月18日[月]
オープニングのレポートはコチラをご覧ください。
●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
電話番号と営業時間が変わりました。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

第9回 孤立するモダン ロンシャン礼拝堂
倉方俊輔(建築史家/大阪市立大学准教授)
画:光嶋裕介(建築家)

ロンシャン礼拝堂は、1955年に献堂された時から突出していた。一見して、既存のルールから外れていた。キリスト教の礼拝堂には見えなかった上に、それまでのル・コルビュジエの作品にも、一般化できる要素とできない要素とが混じり合っていたが、これほどまでに、来たるべき世界の普通を作品から抽出しようという思いを裏切るものはない。では、これは何であるのか。未来でないとしたら、彼はどの過去に戻ったのか。表現主義? 古典主義? あるいは実はモダニズムを内包しているのだろうか? ロンシャン礼拝堂が、それまでコルビュジエに共感していた同時代の建築家や批評家たちを戸惑いの渦に巻き込んだとはよく言われる形容だが、今見ても、やはりそうだっただろうと思う。
完成から60年以上経った今でも突出し、孤立した存在であることには変わりない。結局、このような作品が世界の現代建築の潮流となることは ―形態などほんの一部の類似を除いては― なかった。では、逆に過去の建築の潮流に帰属させられたかというと、それも無理だった。
もちろん、パルテノン神殿から地中海沿岸のヴァナキュラー建築、中世の修道院や船舶まで、さまざまなモチーフが意識と無意識の狭間を横切って流れ込んでいることは、研究者たちの努力によって明らかにされている。アーカイブに保管されている図面の描線1本が、仔細な寸法が、樋やドアノブといった細部が、標本を解剖するかのように検討された結果だ。研究がどんなに生真面目で部分的に見えても、根本には「これは何であるのか」という衝撃が存在しているだろう。この一つの建築は人を突き動かし、豊穣に生産してきた。
そして、何であるかを一言で言い表すことは、ますます困難になった。多種多様な要素がここで一つに集まっているという特異点としての性格はいっそう強まった。あくまでもピン留めされることを拒否し、コルビュジエの作品の系譜の中でも孤立している。彼自身も賢明なことに、同様のものを繰り返さなかったのだ。
これがキリスト教の礼拝堂だという事実は、孤立の理由の一つではあるだろう。研究者のウィリアム・J.R. カーティスは、最初に設計の話が来た時、コルビュジエがすでに教会は「死滅した制度」だと主張して辞退したことに触れ、「このばかげた返答は、マグダラのマリアが晩年を過ごしたといわれるエックス・アン・プロヴァンス近郊のサント・ボームに建つ神殿の計画案が拒否されたという不快な経験とおそらく無関係ではないだろう」と推測している(※1)。ロンシャン礼拝堂の以前に考えたキリスト教の建築は、この実現しなかった計画のみだった。死滅したもの、と考えたら、何でも可能だ。コルビュジエは、ここから新たに始めることにした。
*****
屋根の形がまず目を引く。これを上手に例えられれば、これが何であるのかを言い当てられそうだが、屋根はあらゆる方向で姿を変える。結局、既存の特定のものに当てはめることを諦めなくてはならない。
重いようで軽いような屋根だ。その厚みと打ち放しコンクリートの表面は、物体としての存在感を感じさせる。似たものは土木構造物のような実物しか思い付かない。圧倒的でありながら、浮いているから不思議なのだ。壁は、実際には純白を使うことはまれだった1920年代の「白の時代」の壁よりも真っ白く、小石を混ぜた吹き付け塗装を施すことで、何でつくられているかを体感させる。抽象的な平面ではないのだ。
そんなわけで、ともに構築的な表情でありながら、別々の要素であることが強調された屋根と壁とは、鋭いコントラストをなすでも、合一するわけでもなく、戯れる。屋根と壁の間にスリットが開いているのが、外観からも分かるだろう。庇のように屋根が壁に優まさって重く立ち込めたかと思えば、裏手では屋根は見えなくなる。塔は両者の間にある。ある方向からは壁に連続し、別の方向からは屋根の曲面と共鳴する。重力と無重力の間を、形は行き来しているのだ。
結びつけられることと離れることとが一つになっている。それは周辺環境との関係も同じだ。ロンシャン礼拝堂は、彫塑的である。先にも触れたように、既存のルールから離れて超然としているというだけでなく、先のようにぐるりと一周して観察できるほどに周囲から見られる建ち方だ。軽やかに、彫塑的に、周囲から浮き上がっているとひとまず言える。
同時に周囲に、重く結びついている。もちろん「させられている」のではなく、自ら選択「している」のだ。重力や素材との関係と同様に、第二次世界大戦後のコルビュジエは、離れることの一辺倒ではなく、あえて結びつくことへと自由の領域を拡張した。
張り出した屋根の下は外部礼拝のための場所である。それだけではなく、歩き回れば、それぞれの壁が周囲の地形とともにあることに気づく。建物はいわば外部を囲い込み、領域をつくり出しているのだ。これは彫塑的であることと矛盾しない。光の変化を際立たせる造形は、時間や季節に応じて周囲それぞれが持つ個別の性格を強調している。建設されることによって、この敷地はよりこの敷地らしくなっている。どこにでも移動可能な彫塑ではなく、周囲に緊結された1回限りの建築なのだとわかる。
内部に進もう。外部とは異なる空間がある。しかし、明確なコントラストで、建物という領域に閉じたドラマを生み出すことはない。屋根も壁も、基本的には外部の正直な反転である。歩き回るにつれて、バラバラな体験が一つに結ばれることも外部での経験を思い起こさせる。厚い壁に穿(うが)たれた窓は、光を増幅する装置である。 窓ガラスに文字が手書きされている。いくつか読んでみよう。「Je vous salue marie」(マリアに敬意を)、「mere Dieu」(母、神)、「Lamer」(海)。言葉は礼拝堂のマリア信仰と共鳴しながら、ある者を信仰へ、ある者を形態のさらなる読み解きへと誘う。連想の効果が導入されている。
壁の一部には、第二次世界大戦で破壊された以前の礼拝堂の石積みが使われている。コルビュジエはここが古くからの巡礼の地であり、かつて古代の神殿があったことに注意を喚起している。
ロンシャン礼拝堂は、環境の中の装置としてある。自然を反映して周囲のランドスケープを強調し、これまで築かれてきた文化・言語の連想を利用し、場所の歴史を引き受けている。根本にあるのは造形であって、それが言葉以上に人々を善導することを設計者は信じている。礼拝堂は都市の中にあるのではないが、孤独なモニュメントではない。内部・外部を通じた人の集まりが想定されている。共同体への信仰は、ここでも健在なのだ。



ロンシャン礼拝堂
竣工年│1955年
所在地│Colline de Bourlemont 70250 Ronchamp, France
(撮影:倉方俊輔)
季節によって公開時間が異なるが、一般に公開されている。
カトリックで聖母マリア生誕の日とされている9月8日と被昇天の8月15日に多くの信徒が集まる
*****
ロンシャン礼拝堂は、この場所のさまざまなものと結びついて、個として建っている。モダンなのである。「モダン(modern)」は、ラテン語の「ちょうど今」が由来。まさに今、何をしたら良いかを先入観抜きに考える態度だ。過去からも考えないし、未来のルールをつくるためにあるのでもない。
コルビュジエは礼拝堂という対象に、空(から)の姿勢で向きあった。この場所にある環境、歴史、用いられる資材。そして、連想できるさまざまなものを結び合わせたのである。現実主義と理想主義は手を携えるものであり、それに反するのはルールに縛られたものである。ここにあるのは設計者の誠実さがもたらした孤立だ。建設以来、多くの要素が読み解かれ、傑作として認識されている。
しかし、ルールがないのだとしたら、それが良いものであることが、どうやって建設以前に算定できるのだろう。建築家への全権委任状ではないか。コルビュジエは恐ろしいことにモダンがルール化ではなくて、逆だということを示してしまった。傑作によって、世界中の建築家に勇気を与え、一定の者をその方向性に走らせ、そして建築家の「悪」がやがて反省させられることの根源かもしれない。
※1…ウィリアム・J.R. カーティス著、中村研一訳『ル・コルビュジエ̶理念と形態』(鹿島出版会、1992)p.203
(くらかた しゅんすけ)
■倉方俊輔 Shunsuke KURAKATA
建築史家。大阪市立大学大学院工学研究科准教授。1971年東京都生まれ。著書に『東京レトロ建築さんぽ』『ドコノモン』『吉阪隆正とル・コルビュジエ』、編著に『吉祥寺ハモニカ横丁のつくり方』ほか。
生きた建築ミュージアム大阪実行委員会委員
◆倉方俊輔のエッセイ「『悪』のコルビュジエ」は毎月17日の更新です。

『建築ジャーナル』
今年の『建築ジャーナル』誌の1月~12月号の表紙を光嶋裕介さんが担当することになりました。
テーマはル・コルビュジエ。
一年間にわたり、倉方俊輔さんのエッセイ「『悪』のコルビュジエ」と光嶋裕介さんのドローイング「コルビュジエのある幻想都市風景」が同誌に掲載されます。ときの忘れものが企画のお手伝いをしています。
月遅れになりますが、気鋭のお二人のエッセイとドローイングをこのブログにも再録掲載します。毎月17日が掲載日です。どうぞご愛読ください。
●10月6日はル・コルビュジエの誕生日でした(Le Corbusier、1887年10月6日 - 1965年8月27日)。
生誕130年を祝う、今日のお勧め作品はル・コルビュジエです。
ル・コルビュジエ《二人の女》
1938年
リトグラフ
イメージサイズ:17.6×26.7cm
シートサイズ:38.5×50.2cm
Ed.100
サインあり
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
ときの忘れものの通常業務は平日の火曜~土曜日です。日曜、月曜、祝日はお問い合わせには返信できませんので、予めご了承ください。
◆ときの忘れものは「安藤忠雄展 ドローイングと版画」を開催しています。
会期:2017年9月26日[火]~10月21日[土] 11:00~18:00 ※日・月・祝日休廊

●六本木の国立新美術館で「安藤忠雄展―挑戦―」が開催されています。
会期:2017年9月27日[水]~12月18日[月]
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●ときの忘れものは、〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました(詳しくは6月5日及び6月16日のブログ参照)。
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~18時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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