鈴木素直「瑛九・鈔」

第4回 フォトデッサン


 フォトデッサンとは耳なれないことばかもしれない。瑛九の説明によれば、「カメラなしの写真は不可能かもしれないが、印画紙を使うデッサンは可能だ。カメラを使わず印画紙に直接、光を当ててつくるデッサンだ」ということになる。
 カメラなしの写真は、写真術の発見者のひとりであるタルボットが、一八三九年に自分 でつくった感光材料に花をおいて光を当てた作品をつくっている。一九二〇~三〇年代には、マン・レイとモホリ・ナギーの実験(フォトグラム)が有名である。しかし光の当て方による変化が一通り実験されると限界が見えてきた。瑛九は、この全く新しい未踏の世界を追求しはじめ、一九三六年(昭和十一年)「瑛九」の名でフォトデッサン集「眠りの理由」を発表した。大胆で新鮮な映像は、豊かなイメージと柔軟なフォルムとあいまって、日本の前衛芸術の先駆となった。
 彼はフォトデッサンを印画紙と絵画的手法の結びついたものと考え、印画紙を新しい画用紙として見ていた。だから、最初の光自体で描くことから、自分で作った物体(紙や針金その他)を使う方法にかわってきている。それは印画紙の性質をふんだんに駆使し、何年何十年たっても今朝つくりあげられたという錯覚にとらわれる程の鮮かな魂のふるえ、喜び、驚き、華麗、夢幻の世界を見せてくれる。
 戦後のフォトデッサンは、一九四八年、宮崎市の丸島町住宅の小さな部屋から、更にすみきった暖い愛情にみちた全紙大のものとなってうまれた。「私は一晩で一冊(大きな印画紙の包み)を使う(消化し、創造する)から精神的、王者である」(カッコ内は筆者)と言われる時期である。彼が修得し、つくりあげていった写真の技術と知識には専門の写真家をはるかに出しぬいたものがあった。しかも使用した材料、道具が高価で特別なものではなかったことも忘れてはならぬだろう。暗室は起居に使用していた戦後のあの狭い市営住宅の部屋であり、材料は市販のもの、身近にあるものを自由に変化させ、自在につくったものばかりであった。それは、当時しょっちゅう訪ねていた一五、六歳の私たちを興奮させ、夢みるものと似た感じさえあった。 前日には机の上に転がっていたピン、ぜんまい、レース、切り紙などが翌日訪ねた時には一枚の白と黒の別の世界をつくっていた。それらはすでに物体ではなく、流れるようなリズム感、ぞくぞくするエロチシズム、 ユーモア、夢などになって息づいていた。カメラを使わずに写真ができあがるということだけでも驚き、一枚の印画紙にこんなに吸いこまれていく透明感があろうとは想像もしなかった。 「ぼくはフォトデッサンによって画家からはみだし、写真家からはみだした。というのはぼくは印画紙をつかってデッサンしたからだ。ぼくはただぼくの精神を表現したかっただけだ。ぼくは今までの概念にあてはまらないものを表現したい。根本は光をさえぎったり、光を強く当てたりするところをつくって、欲している画像を形成しようと精神を集中する絵画的な造形精神である」
 これは瑛九の言葉だが、技法と態度をよくあらわしている。人間としての自由さ、誠実さ、きびしさでもあった。
※於県立図書館75・5・26~31
すずき すなお
*鈴木素直『瑛九・鈔』(1980年、鉱脈社)より転載。

鈴木素直
1930年5月25日台湾生まれ、1934年(昭和9年)父の故郷宮崎市に帰国、大淀川、一ツ瀬川下流域で育つ。戦後、新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、瑛九が埼玉県浦和に移った後も親交を続け、故郷宮崎にあって、瑛九の顕彰に尽力した。宮崎県内の盲学校、小中学校(主に障害児教育)に長く勤務し、日本野鳥の会会員としても活躍した。2018年4月5日死去。享年87。
瑛九については新聞や雑誌に寄稿され、1980年宮崎の鉱脈社から『瑛九・鈔』を刊行した。ご遺族のご了解を得て、毎月17日に『瑛九・鈔』から再録掲載します。
20180426151054_00001鈴木素直
『瑛九・鈔』
1980年
鉱脈社 発行
63ページ
9.2x13.1cm

目次:
・出会い
・瑛九への旅 東京・瑛九展を見て
・一枚の写真の現実 二十回忌に思う
・フォトデッサン
・版画に無限の楽しみ
・二人の関係 瑛九・池田満寿夫版画展
・“必死なる冒険”をすすめた画家後藤章
・瑛九―現代美術の父
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瑛九展『現代美術の父 瑛九展』図録(小田急)
1979年 瑛九展開催委員会発行
132ページ 24.0×25.0cm
同図録・銅版入り特装版(限定150部)

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20180426151147_00001鈴木素直
『詩集 夏日・一九四八ー一九七四』
1979年
鉱脈社 発行
102ページ
22.0x15.5cm

目次:
・鏡より
 鏡
 ことば
・夏に向ってより
 夏に向って
 その時小さいあなたへ
 春一番
 野鳥 I
 野鳥 II
 入江 I
 入江 II
 小さいカゴの中で
 病院にて
 孟蘭盆
 夏草 I
 夏草 II
 大いなる儀式
 ムラから
 来歴
・女たちより
 秋
 雨
 夜
 川
 鳥
・夏日より
 春
 いつも同じ石
 海
・詩集「夏日」によせて 金丸桝一
・覚書

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20180426151133_00001鈴木素直
『馬喰者(ばくろう)の話』
1999年
本多企画 発行
114ページ
18.5x14.1cm

目次:
・馬喰者の時間
・馬喰者の話
・馬喰者の煙管(きせる)
・馬喰者問答
・馬喰者の夢
・馬喰者の謎
・馬喰者の庭
・ふくろう
・青葉木莵異聞
・雲雀と鶉
・時鳥がうたう
・夕焼けの中の黒いカラス
・残暑見舞い
・眠っている男
・手術室にて
・残照記
・切り株
・八月の庭
・知念さんの地図

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20180426151116_00001鈴木素直
『鳥は人の心で鳴くか みやざき・野鳥民族誌』
2005年
本多企画 発行
265ページ
18.3x13.2cm

目次(抄):
・宮崎の野鳥・俗名考―消える方言とユニークな命名
・ツバメあれこれ
・方言さんぽ
・鳥十話
・日向の鳥ばなし
・宮崎県の鳥類
・自然に関わる伝承と農耕習俗―野鳥にまつわる俗信・俚言を中心に
・野鳥にまつわる民俗文化
・県北を歩く
・県南を歩く
・野鳥の方言・寸感
・後記
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宮崎瑛九展9鈴木素直さん鈴木素直さん(左)
鈴木素直さんは新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、その後教師となります。瑛九と親交を続け、没後はその顕彰に大きな役割を果たし、詩人、日本野鳥の会会員としても幅広い活躍をなさってきました。

●今日のお勧め作品は、瑛九です。
qei17-027『眠りの理由』(10点組)より
from "Reason of Sleep"

フォトデッサン(フォトグラム)
26.7×21.1cm
1936年
Ed.40
※9点セット
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◆鈴木素直のエッセイ「瑛九・鈔」(再録)は毎月17日の更新です。