内間安瑆先生が長い闘病生活の後、ニューヨークで亡くなられたのはの2000年5月9日でした。献身的な介護を続けた奥様の俊子先生はまるでその後を追うが如く、同年12月18日に亡くなられました。
没後20年になります。
昨年の美術界に衝撃を与えた書物に『抽象の力』(2018年12月25日発行、亜紀書房)があります。440頁もの分厚く難解本なのに大ヒットしました。
美術書が重版されるなんて異例のことで、初版、二刷、三刷と版を重ねた。
著者は岡崎乾二郎さん。

新聞や雑誌の書評でこれほど絶賛を浴びた本も近年では珍しい。
20世紀美術を動かした真の芸術家たちは誰か―。
岡崎さんが挙げた日本人美術家は坂田一男、岸田劉生、恩地孝四郎、村山知義、白井晟一、イサム・ノグチ、長谷川三郎、瑛九、そして内間安瑆 でした。
<内間安瑆の仕事はその重要性にもかかわらず、ほとんど大きな研究もされず語られてもこなかった。なぜなのか。再び、内間安瑆の仕事をきちんと捉え、その価値を捉え直すためには、われわれの視線を遮蔽してきた、いくつかの歴史的な壁を取り除く必要がある。
(本書212頁より)>
岡崎さんは一章を設け「戦後美術の楔石としての内間安瑆の仕事」を詳細に論じています。全文を再録したい誘惑にかられますが、ぜひ書店でお求めになって読んでください。
内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Forest Byobu (Fragrance)"
1981年
木版(摺り:米田稔)
イメージサイズ:76.0×44.0cm
シートサイズ:83.6×51.0cm
限定120部 サインあり
*現代版画センターエディション
内間安瑆 Ansei UCHIMA
"Forest Byobu
(森の屏風・秋)"
1979年 木版
45.5×76.0cm
A.P.(のみ数部) Signed
制作する内間安瑆先生
NYのアトリエにて '82.6.18.
ブログに「内間安瑆の世界」というカテゴリーを設けているように、ときの忘れものが最も敬愛し、その再評価に力を入れてきた作家です。
私たちが内間先生の作品を初めて知ったのは1976年春、上野の東京都美術館で開かれた日本版画協会第44回展に出品された木版画『In Blue(Dai)』(1975年 47.6×73.4cm Ed.30)でした。
NYに手紙を出し、やがて来日した内間先生ご夫妻に会い、作品を購入し、念願の新作エディションを実現したのは1981年12月でした。
以来、今日までさまざまな形で内間先生の作品を紹介してきました。その一端を下に列記しましたが、今後とも内間先生の顕彰につとめてまいります。
*1974年:現代版画センター創立
*1981年3月:現代版画センター直営のギャラリー方寸を渋谷区松濤に開廊する
〇1981年12月:「Forest Byobu (Fragrance)」をエディション
〇1982年3月:「内間安瑆木版画展」を東京渋谷・ギャラリー方寸で開催
〇1982年7月~:現代版画センター企画「内間安瑆全国展」を開催(秋田・大曲画廊、東京・ギャラリー方寸、横浜・ギャラリーTAK、大阪・番画廊、福岡・筑後画廊、青森・五拾壱番館ギャラリー、愛知・美術館松欅堂、仙台・ギャラリー青城、山形・しろがね美術サロン、和歌山・ギャラリービュッフェファイブ)
〇1982年7月:ニューヨークにて益子恵子さんと木村利三郎先生による内間安瑆インタビューを行い、現代版画センター機関誌『PRINT COMMUNICATION』83号[1982年8月]、84号[1982年9月]に掲載する。第1回、第2回、第3回
〇1982年10月:「創作版画の人々 抽象木版の系譜ー恩地孝四郎・吉田政次・内間安瑆展」を東京渋谷・ギャラリー方寸で開催
*1982年12月:内間安瑆先生は脳梗塞で倒れる。
〇1984年5月:作家自刷りによる銅版画「ウエストチェスター(NOVEMBER)」を発表(制作は1982年)
〇1984年12月:東京・伊勢丹新宿店で現代版画センター企画「MODERN PRINT '85ー同時代版画四十年展」を開催、内間作品を出品
*詳細は「版画センターニュース No.105(最終号)」を参照
*1985年2月:現代版画センター倒産
*1995年6月:綿貫令子が南青山3丁目に「ときの忘れもの」を開廊
〇1995年9月:青山・ときの忘れもので「木版画セレクション1」を開催、内間安瑆の木版画を出品する。
〇1997年2月:岩手・MORIOKA第一画廊で「和空間の現代美術」(内間安瑆出品)が開催され、協力する
〇1997年3月:青山・ときの忘れもので「現代版画 -和との融合」を開催、内間安瑆の木版画・軸装を出品する。
〇1997年7月:青山・ときの忘れもので「抽象木版の系譜」を開催、内間安瑆の木版画を出品する。
〇1998年6月:青山・ときの忘れもので「和空間の現代美術II」を開催、内間安瑆の木版画・軸装を出品する。
〇1998年9月:福岡・筑後画廊で「和空間の現代美術ー軸装による現代版画の楽しみ方」(内間安瑆出品)が開催され、協力する
〇2000年2月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆展-抽象木版の世界」を開催
〇2000年3月:北海道旭川・ギャラリー梅鳳堂で「内間安瑆の世界展」が開催され、協力する
〇2000年3月:岩手・MORIOKA第一画廊で「内間安瑆水彩展」が開催され、協力する
*2000年5月9日:内間安瑆先生死去(79歳)
〇2000年7月:福岡県久留米市・筑後画廊で「内間安瑆展 視覚ダンスの世界」が開催され、協力する
*2000年12月18日:内間俊子先生死去
〇2001年5月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆追悼展」を開催
〇2001年7月31日:「内間安瑆・俊子ご夫妻を偲ぶ会」
青山・ときの忘れもので追悼展示、青山・金華飯店で偲ぶ会を開催(NYから内間安樹さん、洋子さん夫妻を迎え、細江英公、岡崎浩二、瀬木慎一、三木多聞、大澤邦和、星野美智子、由木礼、真野誠二、塚原操をはじめ37名出席。
〇2001年11月:版画掌誌『ときの忘れもの 第4号 北郷悟/内間安瑆』を刊行

ときの忘れもの 発行
執筆/水沢勉「版の音律ー内間安瑆の世界」
A版(限定35部):北郷悟の銅版3点・内間安瑆の木版1点と銅版1点 計5点挿入
B版(限定100部):北郷悟の銅版1点・内間安瑆の銅版1点 計2点挿入
〇2001年11月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆 展―版画掌誌第4号刊行記念展」を開催
〇2002年3月:沖縄県那覇市の画廊沖縄で「内間安瑆展 米国で花ひらいた沖縄移民二世の画家」が開催され、協力する。
〇2005年8月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆 展」を開催
〇2011年1月:青山・ときの忘れもので「新春を寿ぐコレクション展」を開催、内間安瑆の木版画・軸装を出品する。
〇2014年9月:沖縄県立博物館・美術館で初めての回顧展「色彩のシンフォニー 内間安瑆の世界」が開催され、協力する。岡崎乾二郎テキストによるカタログが刊行されるが一般への販売は極く少部数であった。
〇2015年8月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆展」を開催
〇2016年07月12日:ブログに永津禎三(琉球大学教授)執筆の「内間安瑆の絵画空間」を掲載する
〇2018年1月:埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催され、協力する。同館に内間安瑆"Forest Byobu (Fragrance)"を寄贈する。
『版画の景色 現代版画センターの軌跡』展カタログ
〇2018年7月:駒込・ときの忘れもので「内間安瑆・内間俊子展」を開催、カタログを刊行する。
7月14日ブログに出品概要を掲載する。
『内間安瑆・内間俊子展』カタログ
ときの忘れもの 刊行
執筆/内間安樹(長男、美術専門弁護士/ニューヨーク州)
「My parents: A Reflection 追想:両親のこと」
編集:尾立麗子
編集協力:桑原規子
翻訳:味岡千晶、他
価格:800円+税
〇2018年7月21日:ブログ「流政之と内間安瑆・内間俊子」
〇2018年7月25日:ブログ「オリヴァー・スタットラーと内間安瑆~名著『Modern Japanese Prints: An Art Reborn』」
〇2018年7月28日:ブログ「イサム・ノグチと内間安瑆~東京オペラシティでイサム・ノグチ展」
〇2018年7月30日:ブログ「内間安瑆先生と早稲田の友人たち」
〇2018年8月4日:ブログに水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)執筆の「ふたりでひとり―内間安瑆と内間(青原)俊子」を掲載する。
〇2018年8月9日:ブログ「イサム・ノグチ~内間君のために(再録)」
〇2018年12月11日:ブログ「東京オペラシィティーで”異国で描く 内間安瑆”」
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■内間安瑆
2000年5月9日夕刻(現地時間)、米国ニューヨーク市の病院で死去。享年79。
1921(大正10)年、沖縄県出身の両親が移住した米国カリフォルニア州ストックトンに生まれる。1940(昭和15)年に来日、44年早稲田大学で建築を学び、絵画を独学する。戦後、木版画制作をはじめる。54年デモクラート美術協会の青原俊子を結婚。55年銀座、養清堂画廊で初個展を開催、日本版画協会会員となる。58年1月、東京銀座の養清堂画廊で泉茂、吉田政次と版画三人展、同年10月、同画廊で利根山光人、駒井哲郎、浜田知明等と「版画八人集」展開催。
59年アメリカに戻りニューヨークに住む。以後、日米両国での個展のほか、70年の第35回ヴェネチア・ビエンナーレ、72年のイタリアで開催された第2回国際現代木版画トリエンナーレなど、国際展にも出品をつづけた。しかし、82年に病に倒れ、以後制作は中断していた。代表作となった「Forest Byobu」(81年)にみられるように、多色木版画によって、色彩の豊かさと変化を、繊細な感覚で表現した。これは、浮世絵の伝統的な木版画技法を活用して、多色刷りの「色面織り」と称する独自の技法によって表現されたもので、米国、日本で高く評価された。
◎パブリック・コレクション
メトロポリタン美術館、ホイットニー美術館、東京国立近代美術館、ワシントン国会図書館、フィラデルフィア美術館、アムステルダム国立美術館、ホワイトハウス、ブルックリン美術館、ナショナル・ギャラリー、大英博物館、シカゴ美術館、ウォルセスター美術館、ホノルル・アート・アカデミー、ローゼンウォールド・コレクション、埼玉県立近代美術館、沖縄県立博物館・美術館、練馬区立美術館、他。
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こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2011年12月22日|磯崎新『栖十二』より第五信チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス]
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◆没後60年 第29回瑛九展(Web展/アポイントメント制)はYouTubeにて動画を公開中です。
特別寄稿・大谷省吾さんの「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」もぜひお読みください。
◆ときの忘れもののブログは作家、研究者、コレクターの皆さんによるエッセイを掲載し毎日更新を続けています(年中無休)。
皆さんのプロフィールは奇数日の執筆者は4月21日に、偶数日の執筆者は4月24日にご紹介しています。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
没後20年になります。
昨年の美術界に衝撃を与えた書物に『抽象の力』(2018年12月25日発行、亜紀書房)があります。440頁もの分厚く難解本なのに大ヒットしました。
美術書が重版されるなんて異例のことで、初版、二刷、三刷と版を重ねた。
著者は岡崎乾二郎さん。

新聞や雑誌の書評でこれほど絶賛を浴びた本も近年では珍しい。
20世紀美術を動かした真の芸術家たちは誰か―。
岡崎さんが挙げた日本人美術家は坂田一男、岸田劉生、恩地孝四郎、村山知義、白井晟一、イサム・ノグチ、長谷川三郎、瑛九、そして内間安瑆 でした。
<内間安瑆の仕事はその重要性にもかかわらず、ほとんど大きな研究もされず語られてもこなかった。なぜなのか。再び、内間安瑆の仕事をきちんと捉え、その価値を捉え直すためには、われわれの視線を遮蔽してきた、いくつかの歴史的な壁を取り除く必要がある。
(本書212頁より)>
岡崎さんは一章を設け「戦後美術の楔石としての内間安瑆の仕事」を詳細に論じています。全文を再録したい誘惑にかられますが、ぜひ書店でお求めになって読んでください。
内間安瑆 Ansei UCHIMA"Forest Byobu (Fragrance)"
1981年
木版(摺り:米田稔)
イメージサイズ:76.0×44.0cm
シートサイズ:83.6×51.0cm
限定120部 サインあり
*現代版画センターエディション
内間安瑆 Ansei UCHIMA"Forest Byobu
(森の屏風・秋)"
1979年 木版
45.5×76.0cm
A.P.(のみ数部) Signed
制作する内間安瑆先生NYのアトリエにて '82.6.18.
ブログに「内間安瑆の世界」というカテゴリーを設けているように、ときの忘れものが最も敬愛し、その再評価に力を入れてきた作家です。
私たちが内間先生の作品を初めて知ったのは1976年春、上野の東京都美術館で開かれた日本版画協会第44回展に出品された木版画『In Blue(Dai)』(1975年 47.6×73.4cm Ed.30)でした。
NYに手紙を出し、やがて来日した内間先生ご夫妻に会い、作品を購入し、念願の新作エディションを実現したのは1981年12月でした。
以来、今日までさまざまな形で内間先生の作品を紹介してきました。その一端を下に列記しましたが、今後とも内間先生の顕彰につとめてまいります。
*1974年:現代版画センター創立
*1981年3月:現代版画センター直営のギャラリー方寸を渋谷区松濤に開廊する
〇1981年12月:「Forest Byobu (Fragrance)」をエディション
〇1982年3月:「内間安瑆木版画展」を東京渋谷・ギャラリー方寸で開催
〇1982年7月~:現代版画センター企画「内間安瑆全国展」を開催(秋田・大曲画廊、東京・ギャラリー方寸、横浜・ギャラリーTAK、大阪・番画廊、福岡・筑後画廊、青森・五拾壱番館ギャラリー、愛知・美術館松欅堂、仙台・ギャラリー青城、山形・しろがね美術サロン、和歌山・ギャラリービュッフェファイブ)
〇1982年7月:ニューヨークにて益子恵子さんと木村利三郎先生による内間安瑆インタビューを行い、現代版画センター機関誌『PRINT COMMUNICATION』83号[1982年8月]、84号[1982年9月]に掲載する。第1回、第2回、第3回
〇1982年10月:「創作版画の人々 抽象木版の系譜ー恩地孝四郎・吉田政次・内間安瑆展」を東京渋谷・ギャラリー方寸で開催
*1982年12月:内間安瑆先生は脳梗塞で倒れる。
〇1984年5月:作家自刷りによる銅版画「ウエストチェスター(NOVEMBER)」を発表(制作は1982年)
〇1984年12月:東京・伊勢丹新宿店で現代版画センター企画「MODERN PRINT '85ー同時代版画四十年展」を開催、内間作品を出品
*詳細は「版画センターニュース No.105(最終号)」を参照
*1985年2月:現代版画センター倒産
*1995年6月:綿貫令子が南青山3丁目に「ときの忘れもの」を開廊
〇1995年9月:青山・ときの忘れもので「木版画セレクション1」を開催、内間安瑆の木版画を出品する。
〇1997年2月:岩手・MORIOKA第一画廊で「和空間の現代美術」(内間安瑆出品)が開催され、協力する
〇1997年3月:青山・ときの忘れもので「現代版画 -和との融合」を開催、内間安瑆の木版画・軸装を出品する。
〇1997年7月:青山・ときの忘れもので「抽象木版の系譜」を開催、内間安瑆の木版画を出品する。
〇1998年6月:青山・ときの忘れもので「和空間の現代美術II」を開催、内間安瑆の木版画・軸装を出品する。
〇1998年9月:福岡・筑後画廊で「和空間の現代美術ー軸装による現代版画の楽しみ方」(内間安瑆出品)が開催され、協力する
〇2000年2月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆展-抽象木版の世界」を開催
〇2000年3月:北海道旭川・ギャラリー梅鳳堂で「内間安瑆の世界展」が開催され、協力する
〇2000年3月:岩手・MORIOKA第一画廊で「内間安瑆水彩展」が開催され、協力する
*2000年5月9日:内間安瑆先生死去(79歳)
〇2000年7月:福岡県久留米市・筑後画廊で「内間安瑆展 視覚ダンスの世界」が開催され、協力する
*2000年12月18日:内間俊子先生死去
〇2001年5月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆追悼展」を開催
〇2001年7月31日:「内間安瑆・俊子ご夫妻を偲ぶ会」
青山・ときの忘れもので追悼展示、青山・金華飯店で偲ぶ会を開催(NYから内間安樹さん、洋子さん夫妻を迎え、細江英公、岡崎浩二、瀬木慎一、三木多聞、大澤邦和、星野美智子、由木礼、真野誠二、塚原操をはじめ37名出席。
〇2001年11月:版画掌誌『ときの忘れもの 第4号 北郷悟/内間安瑆』を刊行

ときの忘れもの 発行
執筆/水沢勉「版の音律ー内間安瑆の世界」
A版(限定35部):北郷悟の銅版3点・内間安瑆の木版1点と銅版1点 計5点挿入
B版(限定100部):北郷悟の銅版1点・内間安瑆の銅版1点 計2点挿入
〇2001年11月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆 展―版画掌誌第4号刊行記念展」を開催
〇2002年3月:沖縄県那覇市の画廊沖縄で「内間安瑆展 米国で花ひらいた沖縄移民二世の画家」が開催され、協力する。
〇2005年8月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆 展」を開催
〇2011年1月:青山・ときの忘れもので「新春を寿ぐコレクション展」を開催、内間安瑆の木版画・軸装を出品する。
〇2014年9月:沖縄県立博物館・美術館で初めての回顧展「色彩のシンフォニー 内間安瑆の世界」が開催され、協力する。岡崎乾二郎テキストによるカタログが刊行されるが一般への販売は極く少部数であった。
〇2015年8月:青山・ときの忘れもので「内間安瑆展」を開催
〇2016年07月12日:ブログに永津禎三(琉球大学教授)執筆の「内間安瑆の絵画空間」を掲載する
〇2018年1月:埼玉県立近代美術館で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」展が開催され、協力する。同館に内間安瑆"Forest Byobu (Fragrance)"を寄贈する。
『版画の景色 現代版画センターの軌跡』展カタログ〇2018年7月:駒込・ときの忘れもので「内間安瑆・内間俊子展」を開催、カタログを刊行する。
7月14日ブログに出品概要を掲載する。
『内間安瑆・内間俊子展』カタログときの忘れもの 刊行
執筆/内間安樹(長男、美術専門弁護士/ニューヨーク州)
「My parents: A Reflection 追想:両親のこと」
編集:尾立麗子
編集協力:桑原規子
翻訳:味岡千晶、他
価格:800円+税
〇2018年7月21日:ブログ「流政之と内間安瑆・内間俊子」
〇2018年7月25日:ブログ「オリヴァー・スタットラーと内間安瑆~名著『Modern Japanese Prints: An Art Reborn』」
〇2018年7月28日:ブログ「イサム・ノグチと内間安瑆~東京オペラシティでイサム・ノグチ展」
〇2018年7月30日:ブログ「内間安瑆先生と早稲田の友人たち」
〇2018年8月4日:ブログに水沢勉(神奈川県立近代美術館館長)執筆の「ふたりでひとり―内間安瑆と内間(青原)俊子」を掲載する。
〇2018年8月9日:ブログ「イサム・ノグチ~内間君のために(再録)」
〇2018年12月11日:ブログ「東京オペラシィティーで”異国で描く 内間安瑆”」
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■内間安瑆
2000年5月9日夕刻(現地時間)、米国ニューヨーク市の病院で死去。享年79。
1921(大正10)年、沖縄県出身の両親が移住した米国カリフォルニア州ストックトンに生まれる。1940(昭和15)年に来日、44年早稲田大学で建築を学び、絵画を独学する。戦後、木版画制作をはじめる。54年デモクラート美術協会の青原俊子を結婚。55年銀座、養清堂画廊で初個展を開催、日本版画協会会員となる。58年1月、東京銀座の養清堂画廊で泉茂、吉田政次と版画三人展、同年10月、同画廊で利根山光人、駒井哲郎、浜田知明等と「版画八人集」展開催。
59年アメリカに戻りニューヨークに住む。以後、日米両国での個展のほか、70年の第35回ヴェネチア・ビエンナーレ、72年のイタリアで開催された第2回国際現代木版画トリエンナーレなど、国際展にも出品をつづけた。しかし、82年に病に倒れ、以後制作は中断していた。代表作となった「Forest Byobu」(81年)にみられるように、多色木版画によって、色彩の豊かさと変化を、繊細な感覚で表現した。これは、浮世絵の伝統的な木版画技法を活用して、多色刷りの「色面織り」と称する独自の技法によって表現されたもので、米国、日本で高く評価された。
◎パブリック・コレクション
メトロポリタン美術館、ホイットニー美術館、東京国立近代美術館、ワシントン国会図書館、フィラデルフィア美術館、アムステルダム国立美術館、ホワイトハウス、ブルックリン美術館、ナショナル・ギャラリー、大英博物館、シカゴ美術館、ウォルセスター美術館、ホノルル・アート・アカデミー、ローゼンウォールド・コレクション、埼玉県立近代美術館、沖縄県立博物館・美術館、練馬区立美術館、他。
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※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
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◎昨日読まれたブログ(archive)/2011年12月22日|磯崎新『栖十二』より第五信チャールズ・レニー・マッキントッシュ[ヒル・ハウス]
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◆没後60年 第29回瑛九展(Web展/アポイントメント制)はYouTubeにて動画を公開中です。
特別寄稿・大谷省吾さんの「ウェブ上で見る瑛九晩年の点描作品」もぜひお読みください。
◆ときの忘れもののブログは作家、研究者、コレクターの皆さんによるエッセイを掲載し毎日更新を続けています(年中無休)。
皆さんのプロフィールは奇数日の執筆者は4月21日に、偶数日の執筆者は4月24日にご紹介しています。
◆ときの忘れものは版画・写真のエディション作品などをアマゾンに出品しています。
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