本日1月17日は北川民次先生(1894年1月17日~1989年4月26日)の130回目のお誕生日です。
亭主がタミジ先生(北川ファンは皆そう呼んでいました)に初めてお目にかかったのは1974年8月28日らしい。
亭主が29歳のときでした。
えっ もう50年も経ったのか・・・
生誕130年なんて書くと何だか歴史上の人物みたいですが、亭主にとっては実に印象深い記憶を喚起する作家でした。
1974年8月28日と確定できたのは、ブログ担当の井戸沼に1974年の天覧相撲を調べてもらったからです。この年の天覧相撲は二回あり、最初が1月13日、二回目が8月28日でした(昭和天皇が大相撲を愛好されたことはよく知られています)。
名古屋市美術館、世田谷美術館、郡山市立美術館で生誕130年記念回顧展が計画されていると聞いたので、また昔話をします。
亭主が現代版画センターをつくったのは1974年です。
美術界のことはまったく知らない亭主たちを(他のスタッフも全員が美術には無関係だった)久保貞次郎先生をはじめとする創造美育運動(創美)や小コレクター運動の担い手だった尾崎正教先生、高森俊先生、シルクスクリーンの開拓者だった刷り師の岡部徳三先生たちが毎日のように事務局にいらして手取り足取り、美術の世界のこと、版画のことなどを教えてくださった。
「会員制による共同版元をつくり、版画をエディションし、普及活動を全国で繰り広げる」目的のために短期間のうちに全国で普及の拠点をつくり、「版画のエディション」に取り組みました。
といっても作家など誰一人知らないので、上掲の師匠たちの助言と指図を受け、先ずは靉嘔先生とオノサト・トシノブ先生を訪ね最初のエディション作品をつくっていただきました。
次に候補に挙がったのが北川民次先生でした。
瀬戸の近くのお宅には浅川幸男先生(小学校の校長まで勤めながら民次先生に心酔し、退職後は民次先生の秘書兼刷り師になった)に案内してもらい、有沢小百合さんというスタッフと二人で伺いました。
挨拶もそこそこに「ちょっとそこまで出よう」と小料理屋に連れていかれました。
馴染みの店らしく、女将がタミジファンで、テーブルの下には民次先生の写真アルバムが何冊もおいてありました。
さっそくテレビを見ながら酒となったのですが、その日は昭和天皇の天覧相撲の日でした。
当時の横綱は輪島と北の富士ですが、たしか民次先生の贔屓は北海道出身の力士でした。
贔屓の力士の取り組みになると身を乗り出しテレビを食い入るように見るのですが、カメラがしきりに天皇を映す。仕切りをしている両力士の様子がテレビ画面から外れる。
民次先生、それが癪にさわるらしく、「じゃまだ、どけ」とテレビの画面の天皇陛下を手でふりはらおうとするんですね。
いや驚くというか、面白かったです。
大人の風格というんでしょうか。
その日、現代版画センターのために銅版画をつくっていただくことを了承していただき、その後試刷りまで進んだのですが、結局エディションとして発表するには至りませんでした。
しかし顧問の久保貞次郎先生が民次先生の版画のほぼすべての版元でしたから、北川版画を数多く扱うことができました。
ときの忘れものはほぼ全作品をコレクションしていますので、順次ご紹介してまいります。

北川民次 Tamiji KITAGAWA
《メキシコの浴み》
1941年頃 木口木版
37.5×45.0cm Ed.100 サインあり
※レゾネNo.32 初期を代表する木口木版画です。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■北川民次(1894年1月17日~1989年4月26日)
1894年静岡県生まれ。早稲田大学を中退して1914(大正3)年渡米。ニューヨークのアート・スチューデ ンツ・リーグでジョン・スローンに師事、学友に国吉康雄がいた。1923(大正 12)年メキシコに渡り、シケイロス、リベラ等と交友、メキシコ・ルネサンスを標榜する壁画運動に賛同し、またメキシコ郊外のトラルパムで児童美術教育に携わる。1931(昭和6)年タスコに野外美術学校を移して校長となる。1936(昭和 11)年帰国。翌年の第29回二科展に《タスコの祭》ほかを出品し、土俗的色彩の濃い作風が注目を浴びる。
メキシコの風土や人々を描く独特の画風は多くのファンを集め、二科展、日本国際美術展で活躍した。1979(昭和53)年二科会会長となるも同会を退会、以後、悠々自適の生活を送り、明治、大正、昭和、平成の四代を見事に生き抜き、1989年瀬戸で歿した。享年95。
生涯に400点近い版画(木版、銅版、リトグラフ)を制作しています。
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もう一つ、ご案内が遅くなってしまいましたが、愛知県の清須市はるひ美術館館長の高北幸矢先生による倉俣史朗に関するトークが1月20日に開催されます。
第133回 高北幸矢館長アートトーク
「欧米の追従ではなく、日本の固執でもない、インテリアデザイナー倉俣史朗。」
1月20日(土) 16:00~17:00
参加費無料 定員50名先着順
要予約:TEL052-401-3881
会場/清須市立図書館(美術館隣接)研修室
■高北幸矢 YUKIYA TAKAKITA
アーティスト、デザイナー、プロデューサー
清須市はるひ美術館館長、高北デザイン研究所主宰、ギャラリースペースプリズム主宰、愛知芸術文化協会理事長。
1950 年三重県生まれ。三重大学教育学部美術科卒業。
名古屋造形大学講師、助教授、教授、学長を経て現在名古屋造形大学名誉教授。
1972~2017年名古屋、東京、スペイン(バルセロナ)、台湾(台南)、アメリカ(ボイシー)などで個展57回。
コレクション:ニューヨーク近代美術館、ポーランド・ポズナン美術館、チューリッヒ・造形美術館、ワルシャワ・ポスター美術館、カナダ・ストラッドフォード美術館、ハンブルグ美術工芸博物館、ラハチポスター美術館(フィンランド)、ペ-チガレリア美術館(ハンガリー)、ハリコフ美術館(ウクライナ)、富山県立近代美術館、古川美術館、極小美術館、椿大神社等。
facebook http://www.facebook.com/yukiya.takakita
twitter https://twitter.com/takakitay
お近くの方はぜひご参加ください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

亭主がタミジ先生(北川ファンは皆そう呼んでいました)に初めてお目にかかったのは1974年8月28日らしい。
亭主が29歳のときでした。
えっ もう50年も経ったのか・・・
生誕130年なんて書くと何だか歴史上の人物みたいですが、亭主にとっては実に印象深い記憶を喚起する作家でした。
1974年8月28日と確定できたのは、ブログ担当の井戸沼に1974年の天覧相撲を調べてもらったからです。この年の天覧相撲は二回あり、最初が1月13日、二回目が8月28日でした(昭和天皇が大相撲を愛好されたことはよく知られています)。
名古屋市美術館、世田谷美術館、郡山市立美術館で生誕130年記念回顧展が計画されていると聞いたので、また昔話をします。
亭主が現代版画センターをつくったのは1974年です。
美術界のことはまったく知らない亭主たちを(他のスタッフも全員が美術には無関係だった)久保貞次郎先生をはじめとする創造美育運動(創美)や小コレクター運動の担い手だった尾崎正教先生、高森俊先生、シルクスクリーンの開拓者だった刷り師の岡部徳三先生たちが毎日のように事務局にいらして手取り足取り、美術の世界のこと、版画のことなどを教えてくださった。
「会員制による共同版元をつくり、版画をエディションし、普及活動を全国で繰り広げる」目的のために短期間のうちに全国で普及の拠点をつくり、「版画のエディション」に取り組みました。
といっても作家など誰一人知らないので、上掲の師匠たちの助言と指図を受け、先ずは靉嘔先生とオノサト・トシノブ先生を訪ね最初のエディション作品をつくっていただきました。
次に候補に挙がったのが北川民次先生でした。
瀬戸の近くのお宅には浅川幸男先生(小学校の校長まで勤めながら民次先生に心酔し、退職後は民次先生の秘書兼刷り師になった)に案内してもらい、有沢小百合さんというスタッフと二人で伺いました。
挨拶もそこそこに「ちょっとそこまで出よう」と小料理屋に連れていかれました。
馴染みの店らしく、女将がタミジファンで、テーブルの下には民次先生の写真アルバムが何冊もおいてありました。
さっそくテレビを見ながら酒となったのですが、その日は昭和天皇の天覧相撲の日でした。
当時の横綱は輪島と北の富士ですが、たしか民次先生の贔屓は北海道出身の力士でした。
贔屓の力士の取り組みになると身を乗り出しテレビを食い入るように見るのですが、カメラがしきりに天皇を映す。仕切りをしている両力士の様子がテレビ画面から外れる。
民次先生、それが癪にさわるらしく、「じゃまだ、どけ」とテレビの画面の天皇陛下を手でふりはらおうとするんですね。
いや驚くというか、面白かったです。
大人の風格というんでしょうか。
その日、現代版画センターのために銅版画をつくっていただくことを了承していただき、その後試刷りまで進んだのですが、結局エディションとして発表するには至りませんでした。
しかし顧問の久保貞次郎先生が民次先生の版画のほぼすべての版元でしたから、北川版画を数多く扱うことができました。
ときの忘れものはほぼ全作品をコレクションしていますので、順次ご紹介してまいります。

北川民次 Tamiji KITAGAWA
《メキシコの浴み》
1941年頃 木口木版
37.5×45.0cm Ed.100 サインあり
※レゾネNo.32 初期を代表する木口木版画です。
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
■北川民次(1894年1月17日~1989年4月26日)
1894年静岡県生まれ。早稲田大学を中退して1914(大正3)年渡米。ニューヨークのアート・スチューデ ンツ・リーグでジョン・スローンに師事、学友に国吉康雄がいた。1923(大正 12)年メキシコに渡り、シケイロス、リベラ等と交友、メキシコ・ルネサンスを標榜する壁画運動に賛同し、またメキシコ郊外のトラルパムで児童美術教育に携わる。1931(昭和6)年タスコに野外美術学校を移して校長となる。1936(昭和 11)年帰国。翌年の第29回二科展に《タスコの祭》ほかを出品し、土俗的色彩の濃い作風が注目を浴びる。
メキシコの風土や人々を描く独特の画風は多くのファンを集め、二科展、日本国際美術展で活躍した。1979(昭和53)年二科会会長となるも同会を退会、以後、悠々自適の生活を送り、明治、大正、昭和、平成の四代を見事に生き抜き、1989年瀬戸で歿した。享年95。
生涯に400点近い版画(木版、銅版、リトグラフ)を制作しています。
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もう一つ、ご案内が遅くなってしまいましたが、愛知県の清須市はるひ美術館館長の高北幸矢先生による倉俣史朗に関するトークが1月20日に開催されます。
第133回 高北幸矢館長アートトーク
「欧米の追従ではなく、日本の固執でもない、インテリアデザイナー倉俣史朗。」
1月20日(土) 16:00~17:00
参加費無料 定員50名先着順
要予約:TEL052-401-3881
会場/清須市立図書館(美術館隣接)研修室
■高北幸矢 YUKIYA TAKAKITA
アーティスト、デザイナー、プロデューサー
清須市はるひ美術館館長、高北デザイン研究所主宰、ギャラリースペースプリズム主宰、愛知芸術文化協会理事長。
1950 年三重県生まれ。三重大学教育学部美術科卒業。
名古屋造形大学講師、助教授、教授、学長を経て現在名古屋造形大学名誉教授。
1972~2017年名古屋、東京、スペイン(バルセロナ)、台湾(台南)、アメリカ(ボイシー)などで個展57回。
コレクション:ニューヨーク近代美術館、ポーランド・ポズナン美術館、チューリッヒ・造形美術館、ワルシャワ・ポスター美術館、カナダ・ストラッドフォード美術館、ハンブルグ美術工芸博物館、ラハチポスター美術館(フィンランド)、ペ-チガレリア美術館(ハンガリー)、ハリコフ美術館(ウクライナ)、富山県立近代美術館、古川美術館、極小美術館、椿大神社等。
facebook http://www.facebook.com/yukiya.takakita
twitter https://twitter.com/takakitay
お近くの方はぜひご参加ください。
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
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営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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