中尾美穂~ときの忘れものの本棚から第23回
「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」(12)
中尾美穂
難波田史男の没後50年展に際し、ギャラリーときの忘れものへの遺族からの寄託資料を紹介する本連載も最終回となった。最後に作家文献としてとりあげられる機会の少ない資料を紹介したい。


Bob James, Alone, Kaleidoscope by solo piano, Tappan Zee Records, Inc. and Eighty Eight Inc., 2012
CDジャケット(両面)、難波田家蔵
コンテンポラリージャズの名手、ボブ・ジェームス初のソロ・アルバム。国内盤で、そのCDジャケットに難波田史男の《ひとり》(水彩、インク、1972年、早稲田大学會津八一記念博物館蔵)が採用されている。その経緯を、日本を代表するジャズ・プロデューサーの伊藤八十八氏が次のように書き残している。
難波田君と僕は、学生時代(*1)の友人で、彼の仕事部屋にも幾度か行っている。(中略)4月のレコーディングが終わり、タイトル、サブタイトルも決まり、いよいよジャケット選びという段階で、ふと思いついて、難波田君の画集をボブさんに送ってみた。すると、たいそう興奮気味にメールが返ってきた。「素晴らしい画集だね! 中でもAloneという作品に強く惹かれた。出来れば今度の作品のカヴァー・ジャケットに使用できないだろうか?」 そうして、それまで決めていた「Come Back To Me」というタイトルを「Alone」にしたいとまで言ってきたのである。
(伊藤八十八、「Alone」のライナーノーツより)
本の装幀やCDまたはレコード・ジャケット、映画の一場面などに絵画が採用されているのをみると、異ジャンルの作家にどんな接点が?と気になるもの。たいていは経緯がわからない。運よく関係者にたどり着いても、さほどの事情でなかったりもする。「Alone」のようなエピソードは得がたい。
ちなみに本連載でたびたび助言をいただいてきた難波田武男氏(史男の弟で画家・難波田龍起の三男)からは次のコメントをいただいた。「「Alone」は史男作品の題名「ひとり」と、ボブ・ジェームス初の「ソロ・アルバム」の意味が込められていることが容易に理解され、ジャケットからは両者が共演する清澄な音楽が聴こえてくるようだ」。


Jim O‘Rourke, Corona-Tokyo Realization, Colombia Entertainment, 2006
CD盤面、挟み込みのリーフレット、ジャケット(裏面)、難波田家蔵
つづいて現代音楽やジャズ、ロックの愛好者ならご存じだろうか、日本人ミュージシャンたちとの活動でも知られるジム・オルークが発表したCD「コロナー東京リアリゼーション」。敬愛する作曲家・武満徹の図形楽譜(*2)「ピアニストのためのコロナ」を独自の解釈でセルフ・プロデュースしたアルバムで、凝ったジャケットの仕様に史男の作品《無題》(1969年、世田谷美術館蔵)がデザインされている。クレジットに伊藤八十八が立ち上げたレーベルの名があり、また史男作品が観られる東京オペラシティにコンサートホール:タケミツメモリアルがあることからも、成り行きが容易に察せられる。こうしてみると、CDジャケットでは彼の絵画が訴える感情的な側面が緩和され、ユニークな造形感覚が突出していて興味深い。発表年の2006年には、東京オペラシティアートギャラリーで開催された「武満徹|Visions in Time」展に史男作品も展覧された。
なお、2007年2月20日には、世田谷美術館でジム・オルークによる同上の「ピアニストのためのコロナ」が演奏された。会場には史男作品も展示され、3人のアーティストによる共演が現出した(*3)。

武満徹『音楽を呼びさますもの』、新潮社、1985年、難波田家蔵
武満徹は「飛翔をつづける」と題した短文で、難波田史男の遺作展、彼のカタログに一文を寄せた瀧口修造に触れ、作品について
そのどの絵画もが処女作と呼びたいような、つややかさとは羞らいを示している。(中略)難波田史男の絵を見ていると、滲み(ルビ:にじみ)とか、散る(、、)とか、沫る(ルビ:はねる)とか、人間の企みや遺志を超えた動きが、宇宙的なもの(ルビ:コズミック)なものであると想わせる。そして、そこに顕われるのはきわめて祝祭的な空間である。
(武満徹「飛翔をつづける」『音楽を呼びさますもの』新潮社、1985年)
と書いている。宇宙的、祝祭的という表現に対し、連載を始めた2年前にはあまりに広大で途方もない印象を持ったのだが、すぐにそれ以外の言い方がないように感じられた。史男の絵画は今日的で、祝祭というのか、孤独も悲観も夢見がちにあっけらかんとして見えさえする。そしてそれは武満の言うように、紙の上の動きからきているのである。

『画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』青幻舎、2015年、難波田家蔵
同書は展覧会の公式図録を兼ねた一般図書で、当時、かなりの注目を集めた。展覧会は平塚市美術館を皮切りに全国5カ所を巡回した。「戦後から現代へ Ⅰ」の章で津高和一、浅野弥衛、飯田善國、草間彌生、田島征三、芥川麟太郎、藤山ハンに続き、詩文「太陽をデッサンする」とともに《夢の丘》(油彩・インク、1967年)が掲載されている。
![12-09[難波田家とその時代]青幻舎*難波田家蔵](https://www.tokinowasuremono.com/archive-blog/imgs/b/1/b19d9cb0-s.jpg)
青幻舎*難波田家蔵](https://www.tokinowasuremono.com/archive-blog/imgs/6/6/6627a969-s.jpg)
『開館20周年記念 令和3年春季企画展 難波田氏とその時代』(上:表紙・下:裏表紙)
富士見市立難波田城資料館、2021年、難波田家蔵
これまで難波田史男没後50年の個展に向け、難波田家からギャラリーときの忘れものへ寄託された約50冊の書籍をとりあげてきたが、その中でも異色の展覧会図録。南北朝時代に登場した武士の末裔である難波田史男。埼玉県富士見市の難波田城跡での発掘調査や歴史資料をもとに「難波田氏」の系譜をたどり、龍起・史男父子の絵画や人物像も紹介された。現在、東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「特別展示 没後50年 難波田史男」展(4月11日~6月16日)にも、上記の史男油彩《舟》(上記裏表紙下段)が展示されている(*4)。

松永伍一『供華の旅』文化出版局、1982年、難波田家蔵
詩人の松永伍一は1974年他界した史男の生涯を長文のエッセイにまとめた。文中では、同年、兄・紀夫と出かけた九州旅行の帰路、1月29日に瀬戸内海でフェリーから転落した痛ましい出来事のあらましと、その後の龍起夫妻との長い談話も添えられている。
私は「かれは一度だって自分に絶望したことがなかった」と言い切る自信がある。
(松永伍一「太陽への伝言 画家・難波田史男」『供華の旅』より)
「ただ誰もが味わう青春のように、熱くたぎってはいなかった」と続く松永の文章には。当時の、史男の死を悼む人々の割り切れない思いが重なる。しかし没後50年を迎えた今、私にはこの一文が心に残る。時代を超えても繰り返し発見され、共感を得る作家だと思うからである。
註
1)早稲田大学でのこと
2)五線譜でなく、図像による譜面
3)難波田武男氏のご教示による
4)難波田武男氏のご教示による
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」が全12回でひとまず終了しました。中尾さん、ご苦労さまでした。難波田史男の弟・武男さんのご協力なしには、これだけ中身の濃いエッセイは生まれなかったでしょう。難波田家の皆様には心より感謝申し上げます。
●本日のお勧め作品は難波田史男です。
《風のように》
1971年
紙、水彩、インク
イメージサイズ:21.0×32.0cm
シートサイズ:27.0×38.0cm
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
先日開催した「没後50年 難波田史男遺作展」は、50年前の1974年1月瀬戸内海に没した難波田史男が遺した作品を次の世代にバトンタッチしたいと願い、何年も前からご遺族のご協力を得て準備を重ねてきました。
作品ばかりではなく、多数の資料群をご提供いただき、それらを丁寧に渉猟した中尾さんの「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」は見事な難波田史男論となっています。
連載の最後に亭主の恩人である松永伍一先生が登場し、驚きとともに深い感慨に浸っています。
1978年9月18日
難波田龍起銅版画集『街と人』『海辺の詩』発表記念展オープニング
会場:銀座・ギャラリーミキモト
左から綿貫不二夫、松永伍一先生、難波田先生、夫人の澄江さん
亭主は難波田史男さんにはお会いしていませんが、父の難波田龍起先生には現代版画センタ-時代から版画を多数制作していただき、1995年6月のときの忘れものの開廊記念展はじめ幾度も展覧会をしていただきました。
「難波田龍起展」
会期:1995年11月10日~11月19日
会場:青山・ときの忘れもの(一軒家時代)
左から難波田先生、綿貫令子、綿貫不二夫
来年は難波田龍起先生の生誕120年にあたります。
ときの忘れものでは「龍起 × 史男 父子展」を計画していますので、どうぞご期待ください。
●カタログのご案内
『内間安瑆 Forest Byobu』展図録
発行:ときの忘れもの
発行日:2024年5月17日
サイズ他:25.7×18.2cm、カラー/モノクロ38P
図版:内間安瑆作品26点
テキスト執筆:
長谷見雄二(早稲田大学名誉教授)
水沢勉(美術史家・美術評論家)
比嘉良治(N.Y.ロングアイランド大学名誉教授)
編集:Curio Editors Studio
デザイン:柴田卓
価格:1,650円(税込)+送料250円
映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也
●取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログに掲載しました。
ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」(12)
中尾美穂
難波田史男の没後50年展に際し、ギャラリーときの忘れものへの遺族からの寄託資料を紹介する本連載も最終回となった。最後に作家文献としてとりあげられる機会の少ない資料を紹介したい。


Bob James, Alone, Kaleidoscope by solo piano, Tappan Zee Records, Inc. and Eighty Eight Inc., 2012
CDジャケット(両面)、難波田家蔵
コンテンポラリージャズの名手、ボブ・ジェームス初のソロ・アルバム。国内盤で、そのCDジャケットに難波田史男の《ひとり》(水彩、インク、1972年、早稲田大学會津八一記念博物館蔵)が採用されている。その経緯を、日本を代表するジャズ・プロデューサーの伊藤八十八氏が次のように書き残している。
難波田君と僕は、学生時代(*1)の友人で、彼の仕事部屋にも幾度か行っている。(中略)4月のレコーディングが終わり、タイトル、サブタイトルも決まり、いよいよジャケット選びという段階で、ふと思いついて、難波田君の画集をボブさんに送ってみた。すると、たいそう興奮気味にメールが返ってきた。「素晴らしい画集だね! 中でもAloneという作品に強く惹かれた。出来れば今度の作品のカヴァー・ジャケットに使用できないだろうか?」 そうして、それまで決めていた「Come Back To Me」というタイトルを「Alone」にしたいとまで言ってきたのである。
(伊藤八十八、「Alone」のライナーノーツより)
本の装幀やCDまたはレコード・ジャケット、映画の一場面などに絵画が採用されているのをみると、異ジャンルの作家にどんな接点が?と気になるもの。たいていは経緯がわからない。運よく関係者にたどり着いても、さほどの事情でなかったりもする。「Alone」のようなエピソードは得がたい。
ちなみに本連載でたびたび助言をいただいてきた難波田武男氏(史男の弟で画家・難波田龍起の三男)からは次のコメントをいただいた。「「Alone」は史男作品の題名「ひとり」と、ボブ・ジェームス初の「ソロ・アルバム」の意味が込められていることが容易に理解され、ジャケットからは両者が共演する清澄な音楽が聴こえてくるようだ」。


Jim O‘Rourke, Corona-Tokyo Realization, Colombia Entertainment, 2006
CD盤面、挟み込みのリーフレット、ジャケット(裏面)、難波田家蔵
つづいて現代音楽やジャズ、ロックの愛好者ならご存じだろうか、日本人ミュージシャンたちとの活動でも知られるジム・オルークが発表したCD「コロナー東京リアリゼーション」。敬愛する作曲家・武満徹の図形楽譜(*2)「ピアニストのためのコロナ」を独自の解釈でセルフ・プロデュースしたアルバムで、凝ったジャケットの仕様に史男の作品《無題》(1969年、世田谷美術館蔵)がデザインされている。クレジットに伊藤八十八が立ち上げたレーベルの名があり、また史男作品が観られる東京オペラシティにコンサートホール:タケミツメモリアルがあることからも、成り行きが容易に察せられる。こうしてみると、CDジャケットでは彼の絵画が訴える感情的な側面が緩和され、ユニークな造形感覚が突出していて興味深い。発表年の2006年には、東京オペラシティアートギャラリーで開催された「武満徹|Visions in Time」展に史男作品も展覧された。
なお、2007年2月20日には、世田谷美術館でジム・オルークによる同上の「ピアニストのためのコロナ」が演奏された。会場には史男作品も展示され、3人のアーティストによる共演が現出した(*3)。

武満徹『音楽を呼びさますもの』、新潮社、1985年、難波田家蔵
武満徹は「飛翔をつづける」と題した短文で、難波田史男の遺作展、彼のカタログに一文を寄せた瀧口修造に触れ、作品について
そのどの絵画もが処女作と呼びたいような、つややかさとは羞らいを示している。(中略)難波田史男の絵を見ていると、滲み(ルビ:にじみ)とか、散る(、、)とか、沫る(ルビ:はねる)とか、人間の企みや遺志を超えた動きが、宇宙的なもの(ルビ:コズミック)なものであると想わせる。そして、そこに顕われるのはきわめて祝祭的な空間である。
(武満徹「飛翔をつづける」『音楽を呼びさますもの』新潮社、1985年)
と書いている。宇宙的、祝祭的という表現に対し、連載を始めた2年前にはあまりに広大で途方もない印象を持ったのだが、すぐにそれ以外の言い方がないように感じられた。史男の絵画は今日的で、祝祭というのか、孤独も悲観も夢見がちにあっけらかんとして見えさえする。そしてそれは武満の言うように、紙の上の動きからきているのである。

『画家の詩、詩人の絵 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく』青幻舎、2015年、難波田家蔵
同書は展覧会の公式図録を兼ねた一般図書で、当時、かなりの注目を集めた。展覧会は平塚市美術館を皮切りに全国5カ所を巡回した。「戦後から現代へ Ⅰ」の章で津高和一、浅野弥衛、飯田善國、草間彌生、田島征三、芥川麟太郎、藤山ハンに続き、詩文「太陽をデッサンする」とともに《夢の丘》(油彩・インク、1967年)が掲載されている。
![12-09[難波田家とその時代]青幻舎*難波田家蔵](https://www.tokinowasuremono.com/archive-blog/imgs/b/1/b19d9cb0-s.jpg)
青幻舎*難波田家蔵](https://www.tokinowasuremono.com/archive-blog/imgs/6/6/6627a969-s.jpg)
『開館20周年記念 令和3年春季企画展 難波田氏とその時代』(上:表紙・下:裏表紙)
富士見市立難波田城資料館、2021年、難波田家蔵
これまで難波田史男没後50年の個展に向け、難波田家からギャラリーときの忘れものへ寄託された約50冊の書籍をとりあげてきたが、その中でも異色の展覧会図録。南北朝時代に登場した武士の末裔である難波田史男。埼玉県富士見市の難波田城跡での発掘調査や歴史資料をもとに「難波田氏」の系譜をたどり、龍起・史男父子の絵画や人物像も紹介された。現在、東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「特別展示 没後50年 難波田史男」展(4月11日~6月16日)にも、上記の史男油彩《舟》(上記裏表紙下段)が展示されている(*4)。

松永伍一『供華の旅』文化出版局、1982年、難波田家蔵
詩人の松永伍一は1974年他界した史男の生涯を長文のエッセイにまとめた。文中では、同年、兄・紀夫と出かけた九州旅行の帰路、1月29日に瀬戸内海でフェリーから転落した痛ましい出来事のあらましと、その後の龍起夫妻との長い談話も添えられている。
私は「かれは一度だって自分に絶望したことがなかった」と言い切る自信がある。
(松永伍一「太陽への伝言 画家・難波田史男」『供華の旅』より)
「ただ誰もが味わう青春のように、熱くたぎってはいなかった」と続く松永の文章には。当時の、史男の死を悼む人々の割り切れない思いが重なる。しかし没後50年を迎えた今、私にはこの一文が心に残る。時代を超えても繰り返し発見され、共感を得る作家だと思うからである。
註
1)早稲田大学でのこと
2)五線譜でなく、図像による譜面
3)難波田武男氏のご教示による
4)難波田武男氏のご教示による
(なかお みほ)
■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」が全12回でひとまず終了しました。中尾さん、ご苦労さまでした。難波田史男の弟・武男さんのご協力なしには、これだけ中身の濃いエッセイは生まれなかったでしょう。難波田家の皆様には心より感謝申し上げます。●本日のお勧め作品は難波田史男です。
《風のように》1971年
紙、水彩、インク
イメージサイズ:21.0×32.0cm
シートサイズ:27.0×38.0cm
サインあり
作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
*画廊亭主敬白
先日開催した「没後50年 難波田史男遺作展」は、50年前の1974年1月瀬戸内海に没した難波田史男が遺した作品を次の世代にバトンタッチしたいと願い、何年も前からご遺族のご協力を得て準備を重ねてきました。
作品ばかりではなく、多数の資料群をご提供いただき、それらを丁寧に渉猟した中尾さんの「難波田史男:宇宙ステーションへの旅」は見事な難波田史男論となっています。
連載の最後に亭主の恩人である松永伍一先生が登場し、驚きとともに深い感慨に浸っています。
1978年9月18日難波田龍起銅版画集『街と人』『海辺の詩』発表記念展オープニング
会場:銀座・ギャラリーミキモト
左から綿貫不二夫、松永伍一先生、難波田先生、夫人の澄江さん
亭主は難波田史男さんにはお会いしていませんが、父の難波田龍起先生には現代版画センタ-時代から版画を多数制作していただき、1995年6月のときの忘れものの開廊記念展はじめ幾度も展覧会をしていただきました。
「難波田龍起展」会期:1995年11月10日~11月19日
会場:青山・ときの忘れもの(一軒家時代)
左から難波田先生、綿貫令子、綿貫不二夫
来年は難波田龍起先生の生誕120年にあたります。
ときの忘れものでは「龍起 × 史男 父子展」を計画していますので、どうぞご期待ください。
●カタログのご案内
『内間安瑆 Forest Byobu』展図録発行:ときの忘れもの
発行日:2024年5月17日
サイズ他:25.7×18.2cm、カラー/モノクロ38P
図版:内間安瑆作品26点
テキスト執筆:
長谷見雄二(早稲田大学名誉教授)
水沢勉(美術史家・美術評論家)
比嘉良治(N.Y.ロングアイランド大学名誉教授)
編集:Curio Editors Studio
デザイン:柴田卓
価格:1,650円(税込)+送料250円
映像制作:WebマガジンColla:J 塩野哲也
●取り扱い作家たちの展覧会情報(5月ー6月)は5月1日ブログに掲載しました。
ときの忘れものの建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS ときの忘れもの
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
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