<1988年4月、銀座・夢土画廊で開催された「源初展」に出品した一点「詩人は北へ向かい/凍てつく大地に/佇み白鳥の/ごとく聲を発/スル何処から/ともなく鈴の音/が聞こえてくる/三童人識」は、間違いなく、今、外苑前の画廊、ときの忘れもの、に在る。もう一点の「無一物」は、何処に出したものか、印は、自刻の小さい雅号印。う~ん! 美術評論家久保貞次郎さんに、買っていただいていたのをすっかり忘れていた。
嬉しい話だ。綿貫さん、有難う!
脳学者の大島清先生とも聲について、対談を行い、字も一点「HITO」を買っていただいた。昨日、恵比寿の東京都写真美術館ホールで上映されているドキュメンタリー映画「華 いのち 中川幸夫」の2回目の上映後のミニトークで、話してみて、改めて、17年間で24回開催した字展で、多くの事を学んだことを想い出した。また機会が有れば、字のグループ展を組んで、行ってみたいね。>
(天童大人さんのfacebookより)
昨日、天童さんの書を久保貞次郎先生がコレクションしていた話を書き、証拠の2点の作品画像をブログに掲載したところ、早速天童さんから上掲のような反応がありました。
天童さんがすっかり忘れていたのか、それとも久保先生が密かに(?)買っていたのかはわかりませんが、久保先生の買う頻度は半端ではありませんでしたから、いちいち作家になんか連絡しないし、たとえ会っても「キミの作品を買いました」なんて野暮なことは言わなかった。
なにせ人には「あなたは作品を3点持てば立派なコレクターです」とアジっておきながら、一方で「ワタヌキさん、3,000点以下じゃあコレクションとはいえませんね」などと平然と嘯く方でした。
「支持することは買うことだ」
「女房と絵は一ヶ月一緒暮らせばよくわかる」
一昨日、画廊にかつての女学生たち4人が集まり、社長を囲んで「久保先生とリサさんを偲ぶ」という名目で大宴会をしていきました。
いつもは亭主は遠慮するのですが、今回はご相伴にあずかりました。もう時効だからいいわよね、とばかりここでは書けない仰天のエピソードの数々。
いまさらながら日本人離れした久保先生の合理的な考え方、金銭の話をいとわない明るさ、徹底したリベラルな生き方を後の代まで伝えていかなければと思った次第です。
「ほめ言葉」というのはなかなか伝わりません。
それに反して「悪口や批判の言葉」というのはあっという間に広がります。
お金に不自由しない。栃木県きっての旧家で資産も膨大にある(真岡の本宅、東京市谷のお屋敷、旧軽井沢に3000坪の別荘)、金銭感覚に優れ「商売」もうまい、語学に達者で世界中に知己を持ち、大学教授、美術館館長として世間に知られている。
加えて男前で女性にはめちゃめちゃもてる。
これじゃあ、普通の庶民には嫉妬するのもおこがましい。
滝川太郎という稀代の贋作師から大量の泰西名画を買わされ、それを自ら公表し堂々と『芸術新潮』で特集まで組ませるという陽性な方でした。
生前から「久保批判」はあり、没後も「久保さんは絵をわかっていなかった」とか、「作家から安く買い叩いて、大儲けしていた」など、一面的な批判があるときは公然と(テレビで某有名作家がしゃべったこともある)、あるときは密かに語られ、いかにもそれが真実かのように流布していく。
世のならいとはいえ、とても残念です。
話があらぬ方へ飛んでしまいました。
今回の第25回瑛九展では、瑛九と時代を共にし、久保先生が支持した(買った)作家たちの作品を展示しています。
本日ご紹介するのは、桂ゆきです。
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◆久保貞次郎のエッセイ~桂ゆき(1980年執筆)
「桂ゆきの仕事」
久保貞次郎
この画家の作品群のタイトルから拾ってゆくと、「積んだり」(一九五一年)、「こわしたり」(一九五一年)、「抵抗」(一九五二年)、「婦人の日」(一九五三年)、「怒髪天をつく」(一九五三年)、「人が多すぎる」(一九五四年)、「みんな らくじゃない」(一九五四年)、「虎の威を借りる狐」(一九五五年)、「物価高」(一九六七年)など、社会に反抗的な題が並ぶ。実際の作品はこれらのタイトルをはるかに超えて、世相を批判し人権を擁護している。それは深い風刺とまではいかないにしても、鋭い皮肉には十分達しているといえよう。そして、あるものは優雅に、あるものは激しいやゆに貫かれている。
試みにぼくは、かの女の「さるかに合戦」(一九四八年)五十号を前にしていま筆をとってみよう。床に打ち倒されたサルは、この画家の得意な紺がすりの着物をつけている。大きな臼ははち巻きをし、手ぬぐいには紺の小さい丸の模様がかかれ、左手の戸口には古風なのれんが風にはためく。サルの表情やなぎなたをもつ蜂の顔など、かなりどぎつい様相を呈しているが、臼や大きな栗の顔にこっけいさがただよい、全体としてユーモラスな画面である。さらに、おちついて全体を眺めると不思議な詩情がただよっているのに気づく。この詩情はいずこからくるのであろうか。おそらく作者が内心に秘めたまことの感情なのであろう。
えがかれた繊維の模様が画面をやわらげはするが、きわめてドライな調子である。いわゆる感傷性はみられない。センチメンタリズムは日本の美術の主調であるが、桂ゆきの作品には、このセンチメンタリズムの陰はみあたらない。センチメンタリズムは精神の解放にはつながるが、同時に精神の弛緩に流れる。作者はそれを排斥した。この作家のドライさは、わが国では、北川民次の画風の流れをくむといえよう。北川民次は画面が美的になることを避け、画面の装飾性をきらって、つとめてキャンバスを粗くみせるテクニークを駆使し、表面の美を拒み、内部の真の美を掘りおこそうと企てているわが国では、きわめて異端的な画家である。桂ゆきもこの北川民次の精神に共感して、唯美的な態度を早くから放棄した。北川民次が独自なスタイルによる真の巨匠であるにもかかわらず、すでに八十歳を超える高齢に達しても、美術界の評価がそれほど高くないのも、かれのドライな画風に原因があるのである。ドライな調子の桂ゆきもやはり、北川民次と同じ不遇な運命を背負っている。
「虎の威を借りる狐」(一九五五年)三十号は占領軍の威力のかげにかくれて日本国民を圧迫する司法官、役人、政治家をやじったものであろう。かの女はこのテーマが気に入りらしく、一九五七年にかの女としては最初の石版画にこのテーマを選んだ。油彩と石版のちがいは、グロテスクな頭の虎の胴体が、油よりも版画ではずっと細く、長くなり、しっぽも細く長くつき立ち、虎の体に乗る狐が黒いまるのなかに、白く浮き出ている点である。こうして大衆的な石版画では主題の意味をいっそう共感されるようにえがかれている。このオリジナル石版は美術出版社主催の「版画友の会」の第一回頒布目録にのったが、制作にあたっては、利根山光人が石版技法の先輩として、かなりの援助を与えてくれたにもかかわらず、主題と、作品のもつ拒絶性のために、公衆の好むところとならず、ながいあいだ買い手をみつけることが困難であった。公衆の好き嫌いは、公衆の安全感に対する不安からおこる、安全性を少しでも犯すものには嫌悪を示すのが習慣だ。抗議の精神を培ったことのない日本民衆は、プロテストに対してなんと臆病な態度をとりつづけるのであろう。これこそこっけいな日本人の勇気のなさであり、桂ゆきが攻撃してやまない精神であろう。
(くぼ さだじろう)
(一九八〇年 桂ゆき展図録 山口県立美術館)
『久保貞次郎 美術の世界4 時代を生きる日本の画家たち』(「久保貞次郎・美術の世界」刊行会、1987年)より転載
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●第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」出品作品を順次ご紹介します。
出品No.38)
桂ゆき
「虎の威を借る狐」
1956年
リトグラフ
38.8x55.8cm
Ed.100 Signed
左から、桂ゆき、泉茂、靉嘔(2点)
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◆ときの忘れものは2014年6月11日[水]―6月28日[土]「第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」を開催しています(*会期中無休)。

大コレクター久保貞次郎は瑛九の良き理解者であり、瑛九は久保の良き助言者でした。
遺された久保コレクションを中心に、瑛九と時代を共にし、久保が支持した作家たちー北川民次、オノサト・トシノブ、桂ゆき、磯辺行久、靉嘔、瀧口修造、駒井哲郎、細江英公、泉茂、池田満寿夫らの油彩、水彩、オブジェ、写真、フォトデッサン、版画などを出品します。
また5月17日に死去した木村利三郎の作品を追悼の心をこめて特別展示します。
嬉しい話だ。綿貫さん、有難う!
脳学者の大島清先生とも聲について、対談を行い、字も一点「HITO」を買っていただいた。昨日、恵比寿の東京都写真美術館ホールで上映されているドキュメンタリー映画「華 いのち 中川幸夫」の2回目の上映後のミニトークで、話してみて、改めて、17年間で24回開催した字展で、多くの事を学んだことを想い出した。また機会が有れば、字のグループ展を組んで、行ってみたいね。>
(天童大人さんのfacebookより)
昨日、天童さんの書を久保貞次郎先生がコレクションしていた話を書き、証拠の2点の作品画像をブログに掲載したところ、早速天童さんから上掲のような反応がありました。
天童さんがすっかり忘れていたのか、それとも久保先生が密かに(?)買っていたのかはわかりませんが、久保先生の買う頻度は半端ではありませんでしたから、いちいち作家になんか連絡しないし、たとえ会っても「キミの作品を買いました」なんて野暮なことは言わなかった。
なにせ人には「あなたは作品を3点持てば立派なコレクターです」とアジっておきながら、一方で「ワタヌキさん、3,000点以下じゃあコレクションとはいえませんね」などと平然と嘯く方でした。
「支持することは買うことだ」
「女房と絵は一ヶ月一緒暮らせばよくわかる」
一昨日、画廊にかつての女学生たち4人が集まり、社長を囲んで「久保先生とリサさんを偲ぶ」という名目で大宴会をしていきました。
いつもは亭主は遠慮するのですが、今回はご相伴にあずかりました。もう時効だからいいわよね、とばかりここでは書けない仰天のエピソードの数々。
いまさらながら日本人離れした久保先生の合理的な考え方、金銭の話をいとわない明るさ、徹底したリベラルな生き方を後の代まで伝えていかなければと思った次第です。
「ほめ言葉」というのはなかなか伝わりません。
それに反して「悪口や批判の言葉」というのはあっという間に広がります。
お金に不自由しない。栃木県きっての旧家で資産も膨大にある(真岡の本宅、東京市谷のお屋敷、旧軽井沢に3000坪の別荘)、金銭感覚に優れ「商売」もうまい、語学に達者で世界中に知己を持ち、大学教授、美術館館長として世間に知られている。
加えて男前で女性にはめちゃめちゃもてる。
これじゃあ、普通の庶民には嫉妬するのもおこがましい。
滝川太郎という稀代の贋作師から大量の泰西名画を買わされ、それを自ら公表し堂々と『芸術新潮』で特集まで組ませるという陽性な方でした。
生前から「久保批判」はあり、没後も「久保さんは絵をわかっていなかった」とか、「作家から安く買い叩いて、大儲けしていた」など、一面的な批判があるときは公然と(テレビで某有名作家がしゃべったこともある)、あるときは密かに語られ、いかにもそれが真実かのように流布していく。
世のならいとはいえ、とても残念です。
話があらぬ方へ飛んでしまいました。
今回の第25回瑛九展では、瑛九と時代を共にし、久保先生が支持した(買った)作家たちの作品を展示しています。
本日ご紹介するのは、桂ゆきです。
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◆久保貞次郎のエッセイ~桂ゆき(1980年執筆)
「桂ゆきの仕事」
久保貞次郎
この画家の作品群のタイトルから拾ってゆくと、「積んだり」(一九五一年)、「こわしたり」(一九五一年)、「抵抗」(一九五二年)、「婦人の日」(一九五三年)、「怒髪天をつく」(一九五三年)、「人が多すぎる」(一九五四年)、「みんな らくじゃない」(一九五四年)、「虎の威を借りる狐」(一九五五年)、「物価高」(一九六七年)など、社会に反抗的な題が並ぶ。実際の作品はこれらのタイトルをはるかに超えて、世相を批判し人権を擁護している。それは深い風刺とまではいかないにしても、鋭い皮肉には十分達しているといえよう。そして、あるものは優雅に、あるものは激しいやゆに貫かれている。
試みにぼくは、かの女の「さるかに合戦」(一九四八年)五十号を前にしていま筆をとってみよう。床に打ち倒されたサルは、この画家の得意な紺がすりの着物をつけている。大きな臼ははち巻きをし、手ぬぐいには紺の小さい丸の模様がかかれ、左手の戸口には古風なのれんが風にはためく。サルの表情やなぎなたをもつ蜂の顔など、かなりどぎつい様相を呈しているが、臼や大きな栗の顔にこっけいさがただよい、全体としてユーモラスな画面である。さらに、おちついて全体を眺めると不思議な詩情がただよっているのに気づく。この詩情はいずこからくるのであろうか。おそらく作者が内心に秘めたまことの感情なのであろう。
えがかれた繊維の模様が画面をやわらげはするが、きわめてドライな調子である。いわゆる感傷性はみられない。センチメンタリズムは日本の美術の主調であるが、桂ゆきの作品には、このセンチメンタリズムの陰はみあたらない。センチメンタリズムは精神の解放にはつながるが、同時に精神の弛緩に流れる。作者はそれを排斥した。この作家のドライさは、わが国では、北川民次の画風の流れをくむといえよう。北川民次は画面が美的になることを避け、画面の装飾性をきらって、つとめてキャンバスを粗くみせるテクニークを駆使し、表面の美を拒み、内部の真の美を掘りおこそうと企てているわが国では、きわめて異端的な画家である。桂ゆきもこの北川民次の精神に共感して、唯美的な態度を早くから放棄した。北川民次が独自なスタイルによる真の巨匠であるにもかかわらず、すでに八十歳を超える高齢に達しても、美術界の評価がそれほど高くないのも、かれのドライな画風に原因があるのである。ドライな調子の桂ゆきもやはり、北川民次と同じ不遇な運命を背負っている。
「虎の威を借りる狐」(一九五五年)三十号は占領軍の威力のかげにかくれて日本国民を圧迫する司法官、役人、政治家をやじったものであろう。かの女はこのテーマが気に入りらしく、一九五七年にかの女としては最初の石版画にこのテーマを選んだ。油彩と石版のちがいは、グロテスクな頭の虎の胴体が、油よりも版画ではずっと細く、長くなり、しっぽも細く長くつき立ち、虎の体に乗る狐が黒いまるのなかに、白く浮き出ている点である。こうして大衆的な石版画では主題の意味をいっそう共感されるようにえがかれている。このオリジナル石版は美術出版社主催の「版画友の会」の第一回頒布目録にのったが、制作にあたっては、利根山光人が石版技法の先輩として、かなりの援助を与えてくれたにもかかわらず、主題と、作品のもつ拒絶性のために、公衆の好むところとならず、ながいあいだ買い手をみつけることが困難であった。公衆の好き嫌いは、公衆の安全感に対する不安からおこる、安全性を少しでも犯すものには嫌悪を示すのが習慣だ。抗議の精神を培ったことのない日本民衆は、プロテストに対してなんと臆病な態度をとりつづけるのであろう。これこそこっけいな日本人の勇気のなさであり、桂ゆきが攻撃してやまない精神であろう。
(くぼ さだじろう)
(一九八〇年 桂ゆき展図録 山口県立美術館)
『久保貞次郎 美術の世界4 時代を生きる日本の画家たち』(「久保貞次郎・美術の世界」刊行会、1987年)より転載
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●第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」出品作品を順次ご紹介します。
出品No.38)桂ゆき
「虎の威を借る狐」
1956年
リトグラフ
38.8x55.8cm
Ed.100 Signed
左から、桂ゆき、泉茂、靉嘔(2点)こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
◆ときの忘れものは2014年6月11日[水]―6月28日[土]「第25回 瑛九展 瑛九と久保貞次郎」を開催しています(*会期中無休)。

大コレクター久保貞次郎は瑛九の良き理解者であり、瑛九は久保の良き助言者でした。
遺された久保コレクションを中心に、瑛九と時代を共にし、久保が支持した作家たちー北川民次、オノサト・トシノブ、桂ゆき、磯辺行久、靉嘔、瀧口修造、駒井哲郎、細江英公、泉茂、池田満寿夫らの油彩、水彩、オブジェ、写真、フォトデッサン、版画などを出品します。
また5月17日に死去した木村利三郎の作品を追悼の心をこめて特別展示します。
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