鈴木素直「瑛九・鈔」第7回(再録)
”必死なる冒険”をすすめた画家 後藤 章
瑛九芸術を語る時、どうしてもふれておきたい人がいる。宮崎市で夭折した画家後藤章 (大分県出身)である。彼は宮崎での「瑛九作品展」を最ものぞんでいた、やらねばならぬと言っていた者の中のひとりであった。
彼の瑛九とのふれあいは、彼が二十年前宮崎を訪れた時、県立図書館ロビーにかけてある遺作シリーズの「田園」Bの前に立った時からである。勿論、その時瑛九は亡くなっている。
前衛画家としての瑛九の作品、また作品からほとばしる瑛九の人間性を見知らぬ土地でさぐり当てて以来、彼は自己探究の底にはいつも南の海への沈潜と共に瑛九の芸術の秘密に学ぶことをおいていたようである。
彼の手紙からの引用であるが、昭和四十二年の二月の手紙の中でつぎのように言っている。
「(前略)夜なか、あなたが児童公園の白鳥を見ていた時、私は子どもの国の鳥カゴを見てたのしんでいました。静かに夜をすごすこいつらに僕は頭がさがる。沈黙の夜をもつ奴は哲学者だ。夜は沈黙であるべきです。夜の闇を犯すことから、人間は弱くなり、ぼうとくの歴史が始まったのです。
夜は沈黙と恐怖とおののきと思考の時間においておくべきです。そうしないと奥行きが生まれないようです。何か、こうスーッとすいこまれてゆく透明感が出てこないのです。
瑛九にはそのスーッというものがあります。こわいことです。日本人に一番弱い空間の無限感があるのです。
カンディンスキーやクレーにはそれがあり ます。今、クレーの画集と瑛九のエッチング を見ています。瑛九の方が一歩進んでいます。これはたいしたことです。『人間』を信じることができるのです。人間のすばらしさを感じることができます。
人間のこわさをかいま見えます。
これからはアイオーの世界を私は生きたい です。アイオーは瑛九のフォトデッサンのみを認めます。それはかつてなかったものを、『誕生』させたことにのみ、瑛九の芸術性を認めたのです。

芸術は延長の仕事ではありません。『誕生』 させることです。生みおとすことです。瑛九 のタブロー、エッチングも延長の仕事です。それは変形、生育、多様化のみです。それは 『誕生』とは全く異った次元です。
このことが今の私には痛いくらいわかるのです。
死の直前は一切を拒否してアトリエにこもり、えがいたことはギリギリの反抗でした。実在でしたのでしょう。もしキャンバスに向うとしたら、そうしたギリギリの思想でなければならないと思います。
絵筆をにぎっているその時間は何もできないのです。他のことは、一粒の種もまけません。(後略)」
今、夭折画家の追悼をのべるつもりはない。わずか四ヵ年の宮崎での生活が、宮崎の芸術活動へ残したものを考えたいだけである。
「宇部の野外彫刻公園を見ました。いいものです。全く。羨しいです。全く。宮崎にこそ創るべきです。こんなことができない宮崎にこそ、いろんな問題がありそうです。.........
つまり、健康な冒険が若い人間の手ではじめられようとしているみたいです。精神の若さと広がりです。冒険の行なわれない空間や時間は全く死を意味するものだと思います。 ......若者を育てることです。宮崎に欠けているのは、その若い精神、若者の悩みが少ない ことです。.........」
いつも延々と書きつづけた彼の手紙の一部である。この最後の旅先から発言した「必死なる冒険のすすめ」が彼自身の創作活動とたえず呼びかけた主張を物語っている。惜しみなく手をさしのべる彼の行動と澄んだ眼に励まされ、自分の道を突き進んだ画家や詩人や市民が幾人かはいる。だが、彼の誠実さと先鋭性を、結果的には避けて自らを崩していった友人知人も多い。そうしたなまぬるい宮崎の美術の側面に言及した彼のことばを、個条書的に記してみよう。
①焼酒を飲んだ勢いのむなしさ
②心底からの歌が歌えぬ不自由さ
③柔軟なしかも爆発力のある精神、若い生命力を理解しようとしないさびしさ
④そんなことが、グループ展、個展での画家たちのよそよそしい会話になり
⑤格づけ、挨拶を保つための小品展、展覧会にしてしまう
現在、若い芽がないわけではないが、十数年前とそう変わっていない。彼が吐きつづけ たことばは生かさねばならないと思う。
「.........やはり私には南の海がいいです。本当にいいです。南の人間であることを痛感します。侵されることなく自己を大きくすることだと思います。もっと宮崎の芸術家には、必死なものが必要な気がします。もっともっと健康になることです。いろんな冒険をすることです。ではまた。一九六七年九月」
前述の手紙はこう結んである。宮崎と東京の間、親子ヒッチの長旅を終えたのが十一月。翌年五月に彼は他界。南の海へのあこがれを作品として十分な結実をすることなく、純粋と野生の健康を消滅させてしまった。まわりにいた友人の一人として、私も悔いの痛みをもっている。いまは彼がまいた一粒の種を大事にしたい。
たとえば、宮崎では誰も指摘しなかった画家瑛九の芸術――何が独創的であり、インターナショナルであり、南の人でありえたかを鋭くかぎわけていた。激しい口調で、またじっくりと多くの人に語り、それをのり越える試みを作品に残した。長崎、名古屋、東京にもねむっているはずである。
日南海岸の一角に残した居宅とそのおかげで破壊されずにすんだ自然、そしてそれを守りぬき、長い沈黙の中で制作しつづける画家がいる。また、後藤が生前たったひとり師と呼んだ画家も、縁あって宮崎市に移住しスケールの大きな仕事をしている。生前の後藤との出会いがあるなしにかかわらず、彼の作品とことばにひかれ、自分の仕事をつづけている若者たちもいる。
南の空に果てた一閃の光芒ではあったが、確かに鮮烈な思想と痛みのやさしさを、彼はこの土地に刻みこんだ。

フォトデッサンに使用する型紙製作中の瑛九

池田満寿夫による瑛九の肖像
(すずき すなお)
*鈴木素直『瑛九・鈔』(1980年、鉱脈社)より再録。
■鈴木素直
1930年5月25日台湾生まれ、1934年(昭和9年)父の故郷宮崎市に帰国、大淀川、一ツ瀬川下流域で育つ。戦後、新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、瑛九が埼玉県浦和に移った後も親交を続け、故郷宮崎にあって、瑛九の顕彰に尽力した。宮崎県内の盲学校、小中学校(主に障害児教育)に長く勤務し、日本野鳥の会会員としても活躍した。2018年4月5日死去。享年87。
瑛九については新聞や雑誌に寄稿され、1980年宮崎の鉱脈社から『瑛九・鈔』を刊行した。ご遺族のご了解を得て、毎月17日に『瑛九・鈔』から再録掲載します。
鈴木素直
『瑛九・鈔』
1980年
鉱脈社 発行
63ページ
9.2x13.1cm
目次:
・出会い
・瑛九への旅 東京・瑛九展を見て
・一枚の写真の現実 二十回忌に思う
・フォトデッサン
・版画に無限の楽しみ
・二人の関係 瑛九・池田満寿夫版画展
・“必死なる冒険”をすすめた画家後藤章
・瑛九―現代美術の父
~~~~
『現代美術の父 瑛九展』図録(小田急)
1979年 瑛九展開催委員会発行
132ページ 24.0×25.0cm
*同図録・銅版入り特装版(限定150部)
~~~~
鈴木素直
『詩集 夏日・一九四八ー一九七四』
1979年
鉱脈社 発行
102ページ
22.0x15.5cm
目次:
・鏡より
鏡
ことば
・夏に向ってより
夏に向って
その時小さいあなたへ
春一番
野鳥 I
野鳥 II
入江 I
入江 II
小さいカゴの中で
病院にて
孟蘭盆
夏草 I
夏草 II
大いなる儀式
ムラから
来歴
・女たちより
秋
雨
夜
川
鳥
・夏日より
春
いつも同じ石
海
・詩集「夏日」によせて 金丸桝一
・覚書
~~~~
鈴木素直
『馬喰者(ばくろう)の話』
1999年
本多企画 発行
114ページ
18.5x14.1cm
目次:
・馬喰者の時間
・馬喰者の話
・馬喰者の煙管(きせる)
・馬喰者問答
・馬喰者の夢
・馬喰者の謎
・馬喰者の庭
・ふくろう
・青葉木莵異聞
・雲雀と鶉
・時鳥がうたう
・夕焼けの中の黒いカラス
・残暑見舞い
・眠っている男
・手術室にて
・残照記
・切り株
・八月の庭
・知念さんの地図
~~~~
鈴木素直
『鳥は人の心で鳴くか みやざき・野鳥民族誌』
2005年
本多企画 発行
265ページ
18.3x13.2cm
目次(抄):
・宮崎の野鳥・俗名考―消える方言とユニークな命名
・ツバメあれこれ
・方言さんぽ
・鳥十話
・日向の鳥ばなし
・宮崎県の鳥類
・自然に関わる伝承と農耕習俗―野鳥にまつわる俗信・俚言を中心に
・野鳥にまつわる民俗文化
・県北を歩く
・県南を歩く
・野鳥の方言・寸感
・後記
~~~~
鈴木素直さん(左)
鈴木素直さんは新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、その後教師となります。瑛九と親交を続け、没後はその顕彰に大きな役割を果たし、詩人、日本野鳥の会会員としても幅広い活躍をなさってきました。
●鈴木素直のエッセイ「瑛九・鈔」(再録)は毎月17日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瑛九です。
瑛九 Q Ei
《風景》
板に油彩
23.7×33.0cm(F4)
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●11月12日のブログで小此木美代子(大川美術館学芸員)さんのエッセイ<「松本竣介 アトリエの時間」について>を掲載しましたが、
明日のNHK Eテレ「日曜美術館」で「静かな闘い~松本竣介のアトリエ~」が放送されます。
大川美術館「松本竣介-アトリエの時間」(10/13~12/2開催中)に展示されている作品ならびに記念展示「竣介のアトリエ」が紹介されます。
放送日時:11月18日(日)午前9:00~9:45
再放送:11月25日(日)午後8:00~8:45
【ゲスト】大川美術館館長・田中淳【出演】建築家 松本竣介次男・松本莞、洋画家・小林俊介、島根県立美術館専門学芸員・柳原一徳、【司会】小野正嗣,高橋美鈴
日曜美術館ホームページ:http://www4.nhk.or.jp/nichibi/
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

”必死なる冒険”をすすめた画家 後藤 章
瑛九芸術を語る時、どうしてもふれておきたい人がいる。宮崎市で夭折した画家後藤章 (大分県出身)である。彼は宮崎での「瑛九作品展」を最ものぞんでいた、やらねばならぬと言っていた者の中のひとりであった。
彼の瑛九とのふれあいは、彼が二十年前宮崎を訪れた時、県立図書館ロビーにかけてある遺作シリーズの「田園」Bの前に立った時からである。勿論、その時瑛九は亡くなっている。
前衛画家としての瑛九の作品、また作品からほとばしる瑛九の人間性を見知らぬ土地でさぐり当てて以来、彼は自己探究の底にはいつも南の海への沈潜と共に瑛九の芸術の秘密に学ぶことをおいていたようである。
彼の手紙からの引用であるが、昭和四十二年の二月の手紙の中でつぎのように言っている。
「(前略)夜なか、あなたが児童公園の白鳥を見ていた時、私は子どもの国の鳥カゴを見てたのしんでいました。静かに夜をすごすこいつらに僕は頭がさがる。沈黙の夜をもつ奴は哲学者だ。夜は沈黙であるべきです。夜の闇を犯すことから、人間は弱くなり、ぼうとくの歴史が始まったのです。
夜は沈黙と恐怖とおののきと思考の時間においておくべきです。そうしないと奥行きが生まれないようです。何か、こうスーッとすいこまれてゆく透明感が出てこないのです。
瑛九にはそのスーッというものがあります。こわいことです。日本人に一番弱い空間の無限感があるのです。
カンディンスキーやクレーにはそれがあり ます。今、クレーの画集と瑛九のエッチング を見ています。瑛九の方が一歩進んでいます。これはたいしたことです。『人間』を信じることができるのです。人間のすばらしさを感じることができます。
人間のこわさをかいま見えます。
これからはアイオーの世界を私は生きたい です。アイオーは瑛九のフォトデッサンのみを認めます。それはかつてなかったものを、『誕生』させたことにのみ、瑛九の芸術性を認めたのです。

芸術は延長の仕事ではありません。『誕生』 させることです。生みおとすことです。瑛九 のタブロー、エッチングも延長の仕事です。それは変形、生育、多様化のみです。それは 『誕生』とは全く異った次元です。
このことが今の私には痛いくらいわかるのです。
死の直前は一切を拒否してアトリエにこもり、えがいたことはギリギリの反抗でした。実在でしたのでしょう。もしキャンバスに向うとしたら、そうしたギリギリの思想でなければならないと思います。
絵筆をにぎっているその時間は何もできないのです。他のことは、一粒の種もまけません。(後略)」
今、夭折画家の追悼をのべるつもりはない。わずか四ヵ年の宮崎での生活が、宮崎の芸術活動へ残したものを考えたいだけである。
「宇部の野外彫刻公園を見ました。いいものです。全く。羨しいです。全く。宮崎にこそ創るべきです。こんなことができない宮崎にこそ、いろんな問題がありそうです。.........
つまり、健康な冒険が若い人間の手ではじめられようとしているみたいです。精神の若さと広がりです。冒険の行なわれない空間や時間は全く死を意味するものだと思います。 ......若者を育てることです。宮崎に欠けているのは、その若い精神、若者の悩みが少ない ことです。.........」
いつも延々と書きつづけた彼の手紙の一部である。この最後の旅先から発言した「必死なる冒険のすすめ」が彼自身の創作活動とたえず呼びかけた主張を物語っている。惜しみなく手をさしのべる彼の行動と澄んだ眼に励まされ、自分の道を突き進んだ画家や詩人や市民が幾人かはいる。だが、彼の誠実さと先鋭性を、結果的には避けて自らを崩していった友人知人も多い。そうしたなまぬるい宮崎の美術の側面に言及した彼のことばを、個条書的に記してみよう。
①焼酒を飲んだ勢いのむなしさ
②心底からの歌が歌えぬ不自由さ
③柔軟なしかも爆発力のある精神、若い生命力を理解しようとしないさびしさ
④そんなことが、グループ展、個展での画家たちのよそよそしい会話になり
⑤格づけ、挨拶を保つための小品展、展覧会にしてしまう
現在、若い芽がないわけではないが、十数年前とそう変わっていない。彼が吐きつづけ たことばは生かさねばならないと思う。
「.........やはり私には南の海がいいです。本当にいいです。南の人間であることを痛感します。侵されることなく自己を大きくすることだと思います。もっと宮崎の芸術家には、必死なものが必要な気がします。もっともっと健康になることです。いろんな冒険をすることです。ではまた。一九六七年九月」
前述の手紙はこう結んである。宮崎と東京の間、親子ヒッチの長旅を終えたのが十一月。翌年五月に彼は他界。南の海へのあこがれを作品として十分な結実をすることなく、純粋と野生の健康を消滅させてしまった。まわりにいた友人の一人として、私も悔いの痛みをもっている。いまは彼がまいた一粒の種を大事にしたい。
たとえば、宮崎では誰も指摘しなかった画家瑛九の芸術――何が独創的であり、インターナショナルであり、南の人でありえたかを鋭くかぎわけていた。激しい口調で、またじっくりと多くの人に語り、それをのり越える試みを作品に残した。長崎、名古屋、東京にもねむっているはずである。
日南海岸の一角に残した居宅とそのおかげで破壊されずにすんだ自然、そしてそれを守りぬき、長い沈黙の中で制作しつづける画家がいる。また、後藤が生前たったひとり師と呼んだ画家も、縁あって宮崎市に移住しスケールの大きな仕事をしている。生前の後藤との出会いがあるなしにかかわらず、彼の作品とことばにひかれ、自分の仕事をつづけている若者たちもいる。
南の空に果てた一閃の光芒ではあったが、確かに鮮烈な思想と痛みのやさしさを、彼はこの土地に刻みこんだ。

フォトデッサンに使用する型紙製作中の瑛九

池田満寿夫による瑛九の肖像
(すずき すなお)
*鈴木素直『瑛九・鈔』(1980年、鉱脈社)より再録。
■鈴木素直
1930年5月25日台湾生まれ、1934年(昭和9年)父の故郷宮崎市に帰国、大淀川、一ツ瀬川下流域で育つ。戦後、新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、瑛九が埼玉県浦和に移った後も親交を続け、故郷宮崎にあって、瑛九の顕彰に尽力した。宮崎県内の盲学校、小中学校(主に障害児教育)に長く勤務し、日本野鳥の会会員としても活躍した。2018年4月5日死去。享年87。
瑛九については新聞や雑誌に寄稿され、1980年宮崎の鉱脈社から『瑛九・鈔』を刊行した。ご遺族のご了解を得て、毎月17日に『瑛九・鈔』から再録掲載します。
鈴木素直『瑛九・鈔』
1980年
鉱脈社 発行
63ページ
9.2x13.1cm
目次:
・出会い
・瑛九への旅 東京・瑛九展を見て
・一枚の写真の現実 二十回忌に思う
・フォトデッサン
・版画に無限の楽しみ
・二人の関係 瑛九・池田満寿夫版画展
・“必死なる冒険”をすすめた画家後藤章
・瑛九―現代美術の父
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『現代美術の父 瑛九展』図録(小田急)1979年 瑛九展開催委員会発行
132ページ 24.0×25.0cm
*同図録・銅版入り特装版(限定150部)
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鈴木素直『詩集 夏日・一九四八ー一九七四』
1979年
鉱脈社 発行
102ページ
22.0x15.5cm
目次:
・鏡より
鏡
ことば
・夏に向ってより
夏に向って
その時小さいあなたへ
春一番
野鳥 I
野鳥 II
入江 I
入江 II
小さいカゴの中で
病院にて
孟蘭盆
夏草 I
夏草 II
大いなる儀式
ムラから
来歴
・女たちより
秋
雨
夜
川
鳥
・夏日より
春
いつも同じ石
海
・詩集「夏日」によせて 金丸桝一
・覚書
~~~~
鈴木素直『馬喰者(ばくろう)の話』
1999年
本多企画 発行
114ページ
18.5x14.1cm
目次:
・馬喰者の時間
・馬喰者の話
・馬喰者の煙管(きせる)
・馬喰者問答
・馬喰者の夢
・馬喰者の謎
・馬喰者の庭
・ふくろう
・青葉木莵異聞
・雲雀と鶉
・時鳥がうたう
・夕焼けの中の黒いカラス
・残暑見舞い
・眠っている男
・手術室にて
・残照記
・切り株
・八月の庭
・知念さんの地図
~~~~
鈴木素直『鳥は人の心で鳴くか みやざき・野鳥民族誌』
2005年
本多企画 発行
265ページ
18.3x13.2cm
目次(抄):
・宮崎の野鳥・俗名考―消える方言とユニークな命名
・ツバメあれこれ
・方言さんぽ
・鳥十話
・日向の鳥ばなし
・宮崎県の鳥類
・自然に関わる伝承と農耕習俗―野鳥にまつわる俗信・俚言を中心に
・野鳥にまつわる民俗文化
・県北を歩く
・県南を歩く
・野鳥の方言・寸感
・後記
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鈴木素直さん(左)鈴木素直さんは新制の大宮高校時代に瑛九からエスペラント語を習い、その後教師となります。瑛九と親交を続け、没後はその顕彰に大きな役割を果たし、詩人、日本野鳥の会会員としても幅広い活躍をなさってきました。
●鈴木素直のエッセイ「瑛九・鈔」(再録)は毎月17日の更新です。
●今日のお勧め作品は、瑛九です。
瑛九 Q Ei《風景》
板に油彩
23.7×33.0cm(F4)
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
※お問合せには、必ず「件名」「お名前」「連絡先(住所)」を明記してください。
●11月12日のブログで小此木美代子(大川美術館学芸員)さんのエッセイ<「松本竣介 アトリエの時間」について>を掲載しましたが、
明日のNHK Eテレ「日曜美術館」で「静かな闘い~松本竣介のアトリエ~」が放送されます。
大川美術館「松本竣介-アトリエの時間」(10/13~12/2開催中)に展示されている作品ならびに記念展示「竣介のアトリエ」が紹介されます。
放送日時:11月18日(日)午前9:00~9:45
再放送:11月25日(日)午後8:00~8:45
【ゲスト】大川美術館館長・田中淳【出演】建築家 松本竣介次男・松本莞、洋画家・小林俊介、島根県立美術館専門学芸員・柳原一徳、【司会】小野正嗣,高橋美鈴
日曜美術館ホームページ:http://www4.nhk.or.jp/nichibi/
●ときの忘れものは昨年〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531
阿部勤設計の新しい空間についてはWEBマガジン<コラージ12月号18~24頁>に特集されています。
2018年から営業時間を19時まで延長します。
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。

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