ただいま開催中の「銀塩写真の魅力 Ⅵ」展では、奈良原一高福原信三瑛九福田勝治風間健介アジェマン・レイの8人のゼラチン・シルバー・プリント15点を展示しています。

本日ご紹介するのは福原信三です。
20170727130303_00001福原信三
福原信三 Shinzo FUKUHARA 《ヘルン旧居  松江・島根》
1935年撮影(Printed later、ピエール・ガスマンによる)  
ゼラチン・シルバー・プリント
イメージサイズ:34.2x26.2cm
シートサイズ:36.0x28.2cm
*裏面にピエール・ガスマンのサイン
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福原信三は資生堂の創業者・福原有信の息子であり、少年時代は画家を志すが、父の希望に従い薬学の道に進みます。千葉医学専門学校(現・千葉大学医学部)を卒業後、1908年にアメリカに留学。欧米の美術館を訪ね、パリでは多くの日本人画家たちと交友したことが生涯の財産となります。帰国後は家業の資生堂を継ぎ、1919年には日本で最も長い歴史を持つ資生堂ギャラリーを銀座に開設、同ギャラリーは新進作家たちの発表場所として今日のメセナの先駆的空間でした。株式会社資生堂の初代社長をつとめる傍らカメラを手放さず、多くの写真作品を遺し、野島康三とともに大正末から昭和初期の日本近代写真の黎明期の指導者として大きな役割をはたしました。

作品と生涯については、2018年11月18日ブログ・飯沢耕太郎さんのエッセイ「日本の風景写真」を求めて 福原信三をお読みください。

昔話になりますが、亭主は1990~1995年春まで「資生堂ギャラリー史編纂室」の名刺をもらい、1919(大正8)年に開設された資生堂ギャラリーの歴史を調査していました。
足掛け六年かけ1995年に『資生堂ギャラリー七十五年史 1919~1994』(監修・富山秀男京都国立近代美術館長、資生堂企業文化部編、求龍堂)が刊行されました。本文と初代社長の福原信三の詳細な年譜は亭主が担当しました。
A4変型、 736頁、図版約二千五百点、収録展覧会約三千という膨大な資料集(記録)ですが、編纂委員のお一人が飯沢耕太郎さんでした。以来、写真のことについては飯沢さんにご指導いただいてきました。

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◎昨日読まれたブログ(archive)/2014年11月16日|横山正のエッセイ「〈大ガラス〉東京ヴァージョン制作苦労噺」
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臨時ニュース
コロナウイルスの流行対策につきまして、文化庁の判断があり、国立国際美術館は2月29日より3月15日まで閉館することになりました。従って、国立国際美術館で開催中の「インポッシブル・アーキテクチャー」も最終日の会期を繰り上げ、2月28日をもって終了となります。
大阪インポッシブル展●ときの忘れものは大阪の国立国際美術館で始まった「インポッシブル・アーキテクチャー ―建築家たちの夢」に出品協力しています。
安藤忠雄「中之島プロジェクト Ⅱ[アーバンエッグ2]」
詳しくは1月30日の石原輝雄さんのレビューをお読みください。


◆ときの忘れものは銀塩写真の魅力 Ⅵ展を開催しています。
会期:2020年2月19日(水)~3月14日(土)※日・月・祝日休廊
出品:奈良原一高福原信三瑛九福田勝治風間健介菅原一剛アジェマン・レイ
銀塩写真~DM表


●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。