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石山修武 銅版を彫る~世田谷村日記抄
●2016年8月19日

石山修武スケッチ



●2016年8月20日
昨日の日記780に記録した「銅版画」のエスキス、スケッチについて、それを言葉に置き換えておきたい。
「銅版画」は295mm*365mmの銅板2枚を彫り、中途でほうり投げている。このまんま続けようにもどうしても続けられないからだ。[1]はほぼ彫り終わった感があり[2]は彫り始めたばかりである。1から彫り始めたから、ここ数年の不可解な気持ちの中のモヤモヤが全てこの習作(エスキス)状の中に在るのだろう。モヤモヤの最大は「なんでこんな事再開してるんだろう」に尽きる。なんでこんな銅板彫りしようとするのかは実はなんで生きようとするのかにつながる。若いねえと思われるやも知れぬが、突きつめて考えればそうなる。1日1日の人間たちの暮らしだって要約すれば二つの世界しかない。「眠る」と「起きている」である。起きている間に様々な事を成しているようにも思うが考え詰めればやはり「起きている」に尽きてしまう。歩いたり、何やらの目的で動いたりもするのだけれど、それはたいした事ではない。起きているは要するに動いているに同じだ。もっと正確に言えば眼に見えて動かずとも静止して何やら考えようとの状態も含められよう。起きている時の大半のそんな動きは、ようするに眠るための準備の動きでもある。フロイトはそれを無意識あるいは夢と名付けようとした。フロイトよりも夢に対する考えが深く、一見神秘主義者らしきでもあったユング*1はそれを曼荼羅と、呼んだ。ユングの曼荼羅は静的で形而上学の世界に属してもいた。 *1 とされる、付記したほうが良かろう
南方熊楠の曼荼羅はより人間の思考の中の動きが描かれているが、その動きに対する論はない。図像として表現されているそれ等はアニミズム*2の世界である。 *2アニミズムに関しての論考はアニミズム紀行5,6,7,8絶版書房で述べているが、未来に対しての論述を要約すれば、それはアニミズム=想像の秘密である。
「銅版画」彫りは無意識の、深いか浅いかはわからぬが底へと降りてゆく作業であり、その作業の結果としての表現である。
途中でほおりだした[1]の図像について簡潔に述べる。
この山という漢字による表意文字に似た図像は山という表彰文字に似せた「建築世界」の長くなりそうな表現作業の入り口らしきは、どうしても「建築世界」になってしまう。その世界に50年ほども入り込んでジタバタしていたから、謂わば尾骶骨である。
正直に言ってしまえば、この図像は3本の塔と、底に1つの横に長い洞穴が彫られている。スケール(縮尺)はあって、ないが如しである。曼荼羅一般にそれは言える。極大に近く同時に縮小でもある。大きなスケールの、同時に無スケールの観念が実に小さな断片や画に描かれている。
塔と洞穴は考え詰めるに「建築のはじまり」である。東西文化の距離を問わずそうだ。距離ばかりではない。時間も問いはしない。古代と現代との境界だって乗り越えてゆく。
アルタミラやラスコーの壁画と洞穴の関係から説き起こすのは今(現代)は不可能である。なぜなら人間が過去が積み上げ、構築としてきた時間の総量を「近代」以降のそれとは圧倒的な量の開きがある。今、我々が暮らしている地球の表面上の生活圏は巨大に今も拡張し続けている。それが無限に拡張し得ないのに気付いたのは、たかだか1960年代である。地球の水や空気というを含む資源のみならず、世界人口の増大に伴う歴史的な生活空間の変異はその積み上げの積層性をも破壊してしまった。人類の未来は、地球資源の枯渇のみならず自身の空間破壊、更には巨大な消費意欲の結果としての大量のゴミの処理技術の非対称的未発達によっても大きな危機に対面している。最大級の危機は核廃棄物の処理不可能であろう。
その全てを、今ここで述べるのも又不可能である。それ故に我々の地球上の空間について考えようとするに、古代からの純正な時間と物質の変遷が不可能であると考えざるを得ないのである。
それ故、この「銅版画」彫りという「創作論」は今を起点とする「アニミズムの旅」の形をとる。すなわち近現代におけるアニミズム=物質と人間の基本的(底流)としての諸関係をできれば露出させてみたい。
●2016年8月27日
今日は銅版画彫り3点に手をつけた。彫りたいモノが決まったので、アトは手と頭を同時に動かす悦楽の時である。彫りたい大筋のスケッチは手を動かし始めると、その時々のチョットした小さな出来事、例えば鉄筆やノミのスベリ等のミスらしきで、その都度そのミスをカバーする工夫をしてゆかねばならぬので面白い。銅板に一切の下書きはしないから、一本一本の線が未開の荒野を耕すような風があり、それがスリルでもある。
定規を当てたりすれば、たちどころに彫る線から生命力が抜けてしまうので一切それはしない。人間の手は正確な直線をフリーハンドで描ける程には出来ていない。それだからこそ精確に繰り返しを再現できる機械が出現した。絵や素描には定規を定規らしきを使う人もいるのだろうが、わたくしのは銅版を彫るのであるから、何しろスピードが出ない。フリーハンドの直線らしきを描く速力がどおしても得られない。そこのところが銅版彫りの妙である。ジリジリと銅板の抵抗を受けながらの。どんな線も必ずゆがんでしまうのである。そのゆがみや、意図せざる失敗にこそ、人間本来の「手」の仕組みやらが潜んでいるにちがいない。
さらに手の不手際とも言うべきは気持のつまりは脳細胞と直結しているのだろう。
そお考えると深く考えは降下する。
●2016年9月5日
早朝4時に起床。昨夜オーパでなした「銅版画」のスケッチを見直している。小さな手のひらに収まってしまうノートにメモした。更に中途まで進めていた銅板の未完を複写したペーパー5枚程にメモを移した。カラーの複写なので銅版の色合いと光の少しは拾っており、それよりも現寸なので、子のスケッチはすぐにでも彫りこめそうである。だがこんな時は立ちどまって、もう一度再考した方がよい。いくらなんでもまだ夜である。外も暗い。2時間程横になって6時くらいに再び起きて作業に入ることにしたい。昔作った小建築が横になっていたのを助けおこしてタテにしてみたら、これが滅法面白くってキケンと彫り込むことにした。これはチャンスがあれば実現してみたい。猫が足に噛みついてうるさい。
6時再起床してすぐに銅版彫りにかかる。想定したものとはだいぶん異なるモノになったけれども8時に彫りあげた。これで大方の筋道は視えてきたような気もするが、アテにはならぬ。
●2016年9月6日
今朝は乃木神社近くの白井版画工房へ、彫りあげた銅版数点を持ってゆく。それでそれなりにパッキングしたが、かなり重い。まあしかし歩くにこした事はあるまい。白井さんと刷り具合を相談した後に午後は南青山のときの忘れものに綿貫不二夫さんを訪ねる予定である。
予定どおりとはゆかず、ときの忘れものから白井版画工房への逆コースとなり、終日版画工房で過す。一点の試し刷りを得た。
●2016年9月17日
晴れて久し振りに暑い。八時より十時半迄「銅版画彫り」全部で大中小版あわせて、十点程彫り上げてサイン(日付)をいれる。ここまで来ると、達成感のカケラ程がある。設計した建築が実現した時の達成感とはいささか異るのが自分にとってはピンポイントの大事なところである。
恐らくは、これから先、自分には独人でやり切らねばならない事が増えるだろう。時に若い人間と協働せねばならぬ社会的仕事もやらざるを得ないが、基本は独人になるだろう。「銅版彫り」を我ながら異常な位に続けて痛感するのは、何をやっても「建築」から逃げられぬ自分を再び発見してしまった事である。それならば「銅版彫り」のみならず、その事に集中せざるを得ないと、心中覚悟しつつある。
●2016年10月1日
「彫琢論」
銅版を彫る楽しみについて
鉄筆やら、ノミやらで銅版を彫る。
厳密に言えば銅版の表面の極薄の表皮を彫ったり、かきむしったりする。
これが実ニ、わたくしには向いている表現の形式である。あるいは道具でもある。紙の上のスケッチや、絵、そして各種立体らしきでは、こんな風にうまく自分の気持ちらしきを表現することは出来ない。
表現すると言うよりも、自分の内をのぞき込むと言った方がより適確である。
人間の気持ちは揺れ動いて止まない。だからそれを静止の形式にとどめるのは実に困難である。わたくし自身の気持ちのうごき、あるいは思考の速力はそれ程に遠くはない。恐らく、今している如くの肉筆で文字を書くに似た遅さの中に在ると言えるだろう。自分の事はよおやく少しはわかるようになったのである。随分時間がかかったものだ。
自分の気持ちの奥底に蠢くものがどおやら在り続けて止まない。わたくしの我欲と呼ぶには、それは簡単に過ぎる。自身を基とする表現欲らしきは、どんな幼児でも在るモノだが、それとは少し異なる。それを創作欲と呼ぶことにする。これもまだ厳密な言葉ではないが、そお命名しておきたい。それが一番率直である。実態の無い空間、あるいは空虚に近い。しかもモノではある。それを何らかの形に静止させたい。いささか長く「建築物」に関わってきたが、建築物がつくり上げる空間とは似て非なるモノである。建築物は社会的な産物であり、工学の領域中にも在らねばならぬ故に、これは不自由の固まりでもある。そんな不自由と闘うのは面白い事でもあるが、余りにも不自由に過ぎて、とてもわたくし個人の内部の満足が得られぬ。そんな気持ちが満ち満ちてきて、それは正直な自身の欲動とはやはり遠いのである。この内部に蠢き続けるものは創作者たらんとする者の全ての始まりである。と、気付いた。
銅版を彫ることで、銅版の実に薄い皮膜に生まれてくるモノが実に問題の中心である。
●2016年10月20日
九時半、中判の銅版画一点を仕上げる。一ヶ月ほどほおっておいたモノである。一番建築の姿が現われているモノで最後の一彫りがどおしても決断できなかったが、コレも昨夜、光だけを彫り込もうかと考えつめていたが、朝の光の中で、ようやくケリをつけられた。この作品のタイトルだけは「建築」と名付けたい。
十五点程の彫り上げた銅板をチェックして日付の刻印も点検した。十五時世田谷村を発ち、かなり重い銅版群をエッチラドッコイと持ち運びながら白井版画工房へ。
「送ってくれればいいのに。」と白井さんは言ってくれるのだが、そおいうわけにもいかない。「刷師」と「彫り師」の関係だから古めかしくゆきたいのである。京王線と地下鉄二本乗り継いで、なかなかの苦行であった。
●2016年11月3日
早朝銅版画大判一点を仕上げ、日付を刻み込む。陽光が部屋に満ち気持よい。十五時過白井版画工房の白井さんアシスタント来る。八点程彫り上ったモノを渡す。試し刷りを見る。中判のモノ一点に角に刻みを入れようと決める。他はうまく彫り上っていたので、これで本刷りにしようとなった。
新しい大判の銅版、特別に作ってもらった大型の横長銅板数枚、中判二点が持ち込まれる。折角ひと段落着いたなとホッとしていたのが、再びプレシャーがかかる。
「アト、百点以上彫ることになりますね」と言はれてギョッとする。勿論自覚しているけれど他人から言はれると、改めて「出来るのか!」と思ったり、でも、ヤルしか無いのである。
●2016年11月19日
朝から寒く、小雨模様。
白井版画工房より「本刷り」小版、大判合わせて三十数点送られてくる。自分で言うのも笑うが、皆良い。予想以上の刷り上がりで嬉しい。これで四十点近くの作品を手中にした事になる。刷師の白井さんも頑張ってくれた。何度かエッチラオッチラ、ドッコイショと重い銅版を工房に運び込み、相談を重ねたかいがあった。
(石山修武『世田谷村日記』より勝手に抜粋しました)
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*画廊亭主敬白
高みの見物どころではなく、予告もなく冒頭に掲載した「お知らせ」をいただいてから、「ついては後の始末はワタヌキさん、よろしくね」と勝手にボールを投げられてしまいました。
亭主と石山修武先生とははるか昔、飯田橋にあった「憂陀」というバーのカウンターの端からなるべく眼を合わさぬよう飲んでいた頃からだから、もう半世紀近くなります。
磯崎新先生の展覧会やその後の会食でご一緒することはあっても、あの怖い親分と仕事をすることになるとは夢にも思いませんでした。
きっかけは、雑誌『室内』の主宰者山本夏彦さんが亡くなり、唯一の男性編集部員だった塩野哲也さんが独立して事務所を開き、石山先生の画文集をプロデュースしたことでした。石山先生がご自身のブログで日々書き続けている「世田谷村日記」を本にしたい、ついてはそれに入れる銅版画をときの忘れものでエディションしてくれまいか、という塩野さんの提案にうかうかと乗ってしまったのがそもそもの間違いでありました(涙)。
塩野さんの編集で〈石山修武 画文集 世田谷村日記 ここになまみの建築家がいます〉が刊行となり、それに合わせて2004年9月にときの忘れもので「建築家・石山修武展 荒れ地に満ちるものたち」を開催いたしました。
以来、10数年、時に中断はするものの、興にのれば日がな一日銅版に向かう石山先生であります。
その次第はときの忘れもののブログの比ではない膨大な読者を持つ「世田谷村日記」に克明に記されています。
うっかり閲覧をサボると、とんでもない方向から「石山さん、銅版にかかりっきりのようですね。ワタヌキさんがけしかけているんでしょう」などとあらぬ嫌疑をかけられてしまいます。
「いえいえ、あれは石山先生が勝手に」などと言おうものならさらに厳しい紙つぶてが飛んできそうです。
突然呼び出しを受けて「歩かなアカンで」と説教されたのはいつのことか。
あれからどんどん事態は悪化(いや展開)して・・・・・・
まずは、石山先生の日記の抄録をお読みください。
●本日の瑛九情報!
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日本中で瑛九を所蔵している美術館は亭主の把握しているだけでも48館あります。中でも宮崎県美術館、埼玉県立近代美術館、東京国立近代美術館のコレクションが充実しています。
昨日までお正月休みだった埼玉県立近代美術館が本日1月4日(水)から開館しており、「MOMASコレクション 第3期」で瑛九を展示しています。
埼玉県立近代美術館の瑛九コレクションについては、2015年5月2日ブログ「美術館に瑛九を観に行く 第4回」をお読みください。
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<瑛九 1935-1937 闇の中で「レアル」をさがす>展が東京国立近代美術館で開催されています(11月22日~2017年2月12日)。外野応援団のときの忘れものは会期終了まで瑛九について毎日発信します。
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