今日12月24日はクリスマスイブ。
ジョナス・メカスさんの満95歳の誕生日です。
メカスさん、お誕生日おめでとうございます。
亭主が生まれて初めてパスポートをとり、現代版画センターの「アンディ・ウォーホル全国展」の正式契約と「KIKU」「LOVE」の新作エディションのサインをもらいにNYに向かったのは1983年6月でした。
無事ウォーホルとの契約をすませ、時間のできたある夜、英文の書類一切を整えてくれた木下哲夫さんの依頼で、今はシンガポールで大画廊をもつ真田一貫さんに通訳をお願いしてメカスさんのアパートを訪ねたのでした。
メカスさんが60歳、亭主が37歳でした。
赤ワインの瓶を片手にメカスさんは既に酔っ払っていました。小さな赤ちゃんはピーピー泣き喚き、それを不機嫌な奥さんがあやすでもない、そんな情景を今でも覚えています。
自分はフィルム(実験映画)の美術館をつくりたい、旧裁判所の建物をNY市から払い下げてもらい場所は確保してあるが、金がない(フィルムはあるが、金はない)。
じゃあどうしたらお手伝いできるんですかと聞くと、「友人たちが作品を寄付してくれた」と堆く積み上げられた大判のポートフォリオを指さすのでした。
その友人たちの名を聞いて仰天しました。
この酔っ払いがどうしてそんなビッグネームの友達がいるのかと・・・
anthology film archivesの資金集めのためのパンフレットを、先日木下さんがプレゼントしてくれたので、ご紹介します。










いま見ると、涎の出るような豪華メンバーですね。
かくして、日本における「ジョナス・メカス映画美術館建設賛助計画」がスタートし、同年秋に大韓航空の一番安いチケットをメカスさんに送り、初来日が実現しました。
私たちは貧乏だったので世田谷の友人宅を皮切りに、奈良、福岡など現代版画センターの支部・会員や友人宅に泊めてもらい、その間に版画7点を制作し(刷り=岡部徳三)、原美術館で「アメリカ現代版画と写真展-ジョナス・メカスと26人の仲間たち」展を開催したのでした。
メカスさん、一言も文句を言わず、むしろ日本の普通の家庭の生活を楽しんでくれたようです。
実はこの初来日のとき、私たちも木下さんも頭がまわらず、ほとんど写真を撮らなかった。撮ったのもあるはずだが、倒産後のどたばたで行方不明。
それが先日このブログで「金坂健二とその時代 ウォーホル・メカス・金坂」を三回にわたり執筆してくれた森下明彦さんのおかげで、福岡に行ったときの写真を入手することができました。

本邦初公開、初来日したときのメカスさん(60歳)。
1983年12月7日 福岡にて
撮影:福間良夫(写真提供:宮田靖子)
このとき日本で制作した7点の版画(シルクスクリーン)が、その後メカスさんが精力的に発表することになる「フローズン・フィルム・フレームズ=静止した映画」制作のきっかけになりました。
ジョナス・メカス
「枝と葉の影を映し、雨滴に濡れた壁」
1983年 シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
37.5x51.0cm
Ed.75 サインあり
撮影した16mmフィルムから、数コマを抜き出し「版」にするというアイデアは、私たちがシルクスクリーン制作のために提案したのですが、スポンサー役の私が破産してしまったので、梯子を外されたメカスさんは版画のかわりに自分で写真の連作を次々とつくり出すことになりました。
ジョナス・メカス
「ジョナス・メカス」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス
「ピクニック」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス
「料理をする私の母、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス
「エルズビエータ・メカス、わたしの母、リトアニア、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス
「ひまわり」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
あれから34年、亭主も72歳となり、メカスさんは今日95歳を迎えました。
ありがたいことに、埼玉県立近代美術館が新春1月16日~3月25日の会期で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」を開催し、ジョナス・メカスさんの7点の初期版画作品も展示されます。

会員制による共同版元として現代版画センターは1974~1985年に約80作家、700点のエディションを世に送り出しました。海外作家としては、アンディ・ウォーホル、ジョナス・メカス、セバスチャン、ジャンベルト・バンニなどをエディションし、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、上映会、講演会、パネルディスカッション等を頻繁に開きました。
今回の展覧会では、その中から埼玉近美が選んだジョナス・メカスなど45作家、約300点の作品と、11年間に発信された機関誌など資料が一部展示換えをしながら展観されます。
資料の中で埼玉近美の学芸員さんたちが、特に注目してくださったのが、この初来日時に突貫作業で編集したメカスさんのオリジナル版画入りカタログでした。
ジョナス・メカス映画美術館建設賛助計画
オリジナル版画入りカタログ
本カタログはA版及びB版の二種、合計1,000部製作した。
A版:限定500部
ジョナス・メカス、靉嘔、大沢昌助の3作家によるオリジナル・シルクスクリーン3点を挿入。(内、ジョナス・メカス作品のみはB版と共通、従ってメカス作品の限定は1,000部である。)
ジョナス・メカス「Oona Mekas」
靉嘔「Crashed Rainbow」
大沢昌助「茶色」
B版:限定500部
ジョナス・メカスによるオリジナル・シルクスクリーン1点を挿入。(作品はA版と共通)
企画:ジョナス・メカス展実行委員会
編集:ジョナス・メカス展カタログ編集室(現代版画センター企画室内)
執筆:ジョナス・メカス、鈴木志郎康、山口勝弘
翻訳:木下哲夫
デザイン:古谷卓
写真:酒井猛、田中誠一
オリジナル版画制作:
ジョナス・メカス/靉嘔/大沢昌助
シルクスクリーン刷り:岡部徳三
印刷:クリキ企画印刷株式会社
発行日:1983年12月1日
発行人:木下哲夫
発行:ジョナス・メカス展実行委員会
編集協力:イッカン・アート・インターナショナル
ジョナス・メカス展実行委員会:呼びかけ人:
磯崎新(建築家)
かわなかのぶひろ(映像作家)
谷川俊太郎(詩人)
松本俊夫(映像作家)
山口勝弘(造形作家)
事務局長:木下哲夫
協力:R.Y.U. 現代版画センター、イメージフォーラム


このカタログがメカスさん自身にとっても初めてのカタログでした。
メカスさん自筆(タイプ)の序文と略歴が冒頭にあります。
略歴の最初のところだけ引用してみましょう(翻訳:木下哲夫)。
ジョナス・メカス (自)伝記的ノート
誕生 1922年12月24日 夜明け寸前 日曜日
星座 カプリコーン(山羊座)
生地 リトアニアのセメニスキアイ(20家族、約100人の住む村ラトビアとの国境まで20マイル、人口5000の町ビルザイから15マイル)
言葉 リトアニア語(バルト語系、ロシア語とは関わりなし)
両親 エルズビエータ・メカス
婚前の姓/ヤシンスカス
1887年3月19日生、1983年2月12日歿。
ポヴィラス・メカス
1869年生、1951年歿。農夫、大工
兄弟 エルズビエータ 1911年12月19日生、農婦
ポヴィラス 1914年1月14日生、死亡 獣医
ぺトラス 1915年5月15日生 農夫
アドルファス 1925年9月30日生 映画作家/作家
1928-32 野や森で家畜の世話をする。
1932 ラウザディスキスの小学校入学。(4マイルを徒歩で通う)
1933 夏の間、牧童として働く。
冬、ラウザディスキスの小学校に通学。
1934 夏、家畜の世話と野良仕事。
冬、小学校3年。
1935 夏、家畜の世話と野良仕事。
冬、小学校4年。
1936 5月、小学校(4年制)卒業。
夏~秋、近隣の村ネシウナイにて雇人として働く。初めての映画を観る(ディズニー、パットとパタション、そしてメロドラマ)初めて詩を出版。
1937 夏、野良仕事。
冬、パピリスの学校で5学年目に就学(5マイルの距離を専ら自転車で通う)、学校新聞を編集する。
(以下略)
2005年10月14日
ときの忘れものでの「ジョナス・メカス展」のオープニングの夜
左からメカスさんの著書の装丁を担当した植田実さん、
植田さん装丁の「メカスの映画日記」を手にするジョナス・メカスさん、
詩人の吉増剛造さん、
メカスさんの詩集の翻訳者・村田郁夫さん
この夜の宴については原茂さんのエッセイ「天使の謡う夜に」をお読みください。
2005年10月
ときの忘れものにて。
左から、木下哲夫さん、亭主、メカスさん、尾立麗子
ソ連に追われ、ナチスから逃れて、言葉も通じないアメリカに渡った数奇な人生。
20世紀の激動を潜り抜けた95年間、ますますのご健勝を祈る次第です。
◆ときの忘れものは「WARHOL―underground america」を開催しています。
会期=2017年12月12日[火]―12月28日[木] ※日・月・祝日休廊


1960年代を風靡したアングラという言葉は、「アンダーグラウンドシネマ」という映画の動向を指す言葉として使われ始めました。ハリウッドの商業映画とはまったく異なる映像美を目指したジョナス・メカスやアンディ・ウォーホルの映画をいちはやく日本に紹介したのが映画評論家の金坂健二でした。金坂は自身映像作家でもあり、また多くの写真作品も残しました。没後、忘れられつつある金坂ですが、彼の撮影したウォーホルのポートレートを展示するともに、著書や写真集で金坂の疾走した60~70年代を回顧します。
会期中毎日15時、16時、17時の三回メカス映画「this side of paradise」を上映します
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品です。(予約不要、料金500円はメカスさんのNYフィルム・アーカイブスに送金します)。
◆ときの忘れものには小さな庭があります。彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示していますので、どうぞご覧ください。
●書籍のご案内

『版画掌誌第5号』
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別)
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)
ジョナス・メカスさんの満95歳の誕生日です。
メカスさん、お誕生日おめでとうございます。
亭主が生まれて初めてパスポートをとり、現代版画センターの「アンディ・ウォーホル全国展」の正式契約と「KIKU」「LOVE」の新作エディションのサインをもらいにNYに向かったのは1983年6月でした。
無事ウォーホルとの契約をすませ、時間のできたある夜、英文の書類一切を整えてくれた木下哲夫さんの依頼で、今はシンガポールで大画廊をもつ真田一貫さんに通訳をお願いしてメカスさんのアパートを訪ねたのでした。
メカスさんが60歳、亭主が37歳でした。
赤ワインの瓶を片手にメカスさんは既に酔っ払っていました。小さな赤ちゃんはピーピー泣き喚き、それを不機嫌な奥さんがあやすでもない、そんな情景を今でも覚えています。
自分はフィルム(実験映画)の美術館をつくりたい、旧裁判所の建物をNY市から払い下げてもらい場所は確保してあるが、金がない(フィルムはあるが、金はない)。
じゃあどうしたらお手伝いできるんですかと聞くと、「友人たちが作品を寄付してくれた」と堆く積み上げられた大判のポートフォリオを指さすのでした。
その友人たちの名を聞いて仰天しました。
この酔っ払いがどうしてそんなビッグネームの友達がいるのかと・・・
anthology film archivesの資金集めのためのパンフレットを、先日木下さんがプレゼントしてくれたので、ご紹介します。










いま見ると、涎の出るような豪華メンバーですね。
かくして、日本における「ジョナス・メカス映画美術館建設賛助計画」がスタートし、同年秋に大韓航空の一番安いチケットをメカスさんに送り、初来日が実現しました。
私たちは貧乏だったので世田谷の友人宅を皮切りに、奈良、福岡など現代版画センターの支部・会員や友人宅に泊めてもらい、その間に版画7点を制作し(刷り=岡部徳三)、原美術館で「アメリカ現代版画と写真展-ジョナス・メカスと26人の仲間たち」展を開催したのでした。
メカスさん、一言も文句を言わず、むしろ日本の普通の家庭の生活を楽しんでくれたようです。
実はこの初来日のとき、私たちも木下さんも頭がまわらず、ほとんど写真を撮らなかった。撮ったのもあるはずだが、倒産後のどたばたで行方不明。
それが先日このブログで「金坂健二とその時代 ウォーホル・メカス・金坂」を三回にわたり執筆してくれた森下明彦さんのおかげで、福岡に行ったときの写真を入手することができました。

本邦初公開、初来日したときのメカスさん(60歳)。
1983年12月7日 福岡にて
撮影:福間良夫(写真提供:宮田靖子)
このとき日本で制作した7点の版画(シルクスクリーン)が、その後メカスさんが精力的に発表することになる「フローズン・フィルム・フレームズ=静止した映画」制作のきっかけになりました。
ジョナス・メカス「枝と葉の影を映し、雨滴に濡れた壁」
1983年 シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
37.5x51.0cm
Ed.75 サインあり
撮影した16mmフィルムから、数コマを抜き出し「版」にするというアイデアは、私たちがシルクスクリーン制作のために提案したのですが、スポンサー役の私が破産してしまったので、梯子を外されたメカスさんは版画のかわりに自分で写真の連作を次々とつくり出すことになりました。
ジョナス・メカス「ジョナス・メカス」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス「ピクニック」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス「料理をする私の母、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス「エルズビエータ・メカス、わたしの母、リトアニア、1971(リトアニアへの旅の追憶)」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
ジョナス・メカス「ひまわり」
CIBA print
35.4x27.5cm
サインあり
こちらの作品の見積り請求、在庫確認はこちらから
あれから34年、亭主も72歳となり、メカスさんは今日95歳を迎えました。
ありがたいことに、埼玉県立近代美術館が新春1月16日~3月25日の会期で「版画の景色 現代版画センターの軌跡」を開催し、ジョナス・メカスさんの7点の初期版画作品も展示されます。

会員制による共同版元として現代版画センターは1974~1985年に約80作家、700点のエディションを世に送り出しました。海外作家としては、アンディ・ウォーホル、ジョナス・メカス、セバスチャン、ジャンベルト・バンニなどをエディションし、全国各地で展覧会、頒布会、オークション、上映会、講演会、パネルディスカッション等を頻繁に開きました。
今回の展覧会では、その中から埼玉近美が選んだジョナス・メカスなど45作家、約300点の作品と、11年間に発信された機関誌など資料が一部展示換えをしながら展観されます。
資料の中で埼玉近美の学芸員さんたちが、特に注目してくださったのが、この初来日時に突貫作業で編集したメカスさんのオリジナル版画入りカタログでした。
ジョナス・メカス映画美術館建設賛助計画オリジナル版画入りカタログ
本カタログはA版及びB版の二種、合計1,000部製作した。
A版:限定500部
ジョナス・メカス、靉嘔、大沢昌助の3作家によるオリジナル・シルクスクリーン3点を挿入。(内、ジョナス・メカス作品のみはB版と共通、従ってメカス作品の限定は1,000部である。)
ジョナス・メカス「Oona Mekas」
靉嘔「Crashed Rainbow」
大沢昌助「茶色」
B版:限定500部
ジョナス・メカスによるオリジナル・シルクスクリーン1点を挿入。(作品はA版と共通)
企画:ジョナス・メカス展実行委員会
編集:ジョナス・メカス展カタログ編集室(現代版画センター企画室内)
執筆:ジョナス・メカス、鈴木志郎康、山口勝弘
翻訳:木下哲夫
デザイン:古谷卓
写真:酒井猛、田中誠一
オリジナル版画制作:
ジョナス・メカス/靉嘔/大沢昌助
シルクスクリーン刷り:岡部徳三
印刷:クリキ企画印刷株式会社
発行日:1983年12月1日
発行人:木下哲夫
発行:ジョナス・メカス展実行委員会
編集協力:イッカン・アート・インターナショナル
ジョナス・メカス展実行委員会:呼びかけ人:
磯崎新(建築家)
かわなかのぶひろ(映像作家)
谷川俊太郎(詩人)
松本俊夫(映像作家)
山口勝弘(造形作家)
事務局長:木下哲夫
協力:R.Y.U. 現代版画センター、イメージフォーラム


このカタログがメカスさん自身にとっても初めてのカタログでした。
メカスさん自筆(タイプ)の序文と略歴が冒頭にあります。
略歴の最初のところだけ引用してみましょう(翻訳:木下哲夫)。
ジョナス・メカス (自)伝記的ノート
誕生 1922年12月24日 夜明け寸前 日曜日
星座 カプリコーン(山羊座)
生地 リトアニアのセメニスキアイ(20家族、約100人の住む村ラトビアとの国境まで20マイル、人口5000の町ビルザイから15マイル)
言葉 リトアニア語(バルト語系、ロシア語とは関わりなし)
両親 エルズビエータ・メカス
婚前の姓/ヤシンスカス
1887年3月19日生、1983年2月12日歿。
ポヴィラス・メカス
1869年生、1951年歿。農夫、大工
兄弟 エルズビエータ 1911年12月19日生、農婦
ポヴィラス 1914年1月14日生、死亡 獣医
ぺトラス 1915年5月15日生 農夫
アドルファス 1925年9月30日生 映画作家/作家
1928-32 野や森で家畜の世話をする。
1932 ラウザディスキスの小学校入学。(4マイルを徒歩で通う)
1933 夏の間、牧童として働く。
冬、ラウザディスキスの小学校に通学。
1934 夏、家畜の世話と野良仕事。
冬、小学校3年。
1935 夏、家畜の世話と野良仕事。
冬、小学校4年。
1936 5月、小学校(4年制)卒業。
夏~秋、近隣の村ネシウナイにて雇人として働く。初めての映画を観る(ディズニー、パットとパタション、そしてメロドラマ)初めて詩を出版。
1937 夏、野良仕事。
冬、パピリスの学校で5学年目に就学(5マイルの距離を専ら自転車で通う)、学校新聞を編集する。
(以下略)
2005年10月14日ときの忘れものでの「ジョナス・メカス展」のオープニングの夜
左からメカスさんの著書の装丁を担当した植田実さん、
植田さん装丁の「メカスの映画日記」を手にするジョナス・メカスさん、
詩人の吉増剛造さん、
メカスさんの詩集の翻訳者・村田郁夫さん
この夜の宴については原茂さんのエッセイ「天使の謡う夜に」をお読みください。
2005年10月ときの忘れものにて。
左から、木下哲夫さん、亭主、メカスさん、尾立麗子
ソ連に追われ、ナチスから逃れて、言葉も通じないアメリカに渡った数奇な人生。
20世紀の激動を潜り抜けた95年間、ますますのご健勝を祈る次第です。
◆ときの忘れものは「WARHOL―underground america」を開催しています。
会期=2017年12月12日[火]―12月28日[木] ※日・月・祝日休廊


1960年代を風靡したアングラという言葉は、「アンダーグラウンドシネマ」という映画の動向を指す言葉として使われ始めました。ハリウッドの商業映画とはまったく異なる映像美を目指したジョナス・メカスやアンディ・ウォーホルの映画をいちはやく日本に紹介したのが映画評論家の金坂健二でした。金坂は自身映像作家でもあり、また多くの写真作品も残しました。没後、忘れられつつある金坂ですが、彼の撮影したウォーホルのポートレートを展示するともに、著書や写真集で金坂の疾走した60~70年代を回顧します。
会期中毎日15時、16時、17時の三回メカス映画「this side of paradise」を上映します
1960年代末から70年代始め、暗殺された大統領の未亡人ジャッキー・ケネディがモントークのウォーホルの別荘を借り、メカスに子供たちの家庭教師に頼む。週末にはウォーホルやピーター・ビアードが加わり、皆で過ごした夏の日々、ある時間、ある断片が作品には切り取られています。60~70年代のアメリカを象徴する映像作品です。(予約不要、料金500円はメカスさんのNYフィルム・アーカイブスに送金します)。
◆ときの忘れものには小さな庭があります。彫刻家の島根紹さんの作品を2018年1月末まで屋外展示していますので、どうぞご覧ください。
●書籍のご案内

『版画掌誌第5号』
オリジナル版画入り美術誌
ときの忘れもの 発行
特集1/ジョナス・メカス
特集2/日和崎尊夫
B4判変形(32.0×26.0cm) シルクスクリーン刷り
A版ーA : 限定15部 価格:120,000円(税別)
A版ーB : 限定20部 価格:120,000円(税別)
B版 : 限定35部 価格:70,000円(税別)
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