中尾美穂「ときの忘れものの本棚から」第6回

魚津章夫『私のめぐりあった版画家たち』と池田満寿夫

ある時から、魚津章夫氏に『実業之富山』のコピーを不定期に送っていただくようになった。すでにコピー一揃いとそれらを再録した著書『私のめぐりあった版画家たち』を私有していたが、願ってもない版画界の大先輩からの好意である。お目にかかる機会も逸したまま、ありがたく受け取っていた。もしかしたら各地に同じような学芸員がいたのだろう。魚津氏が郷里・富山県の朝日町立ふるさと美術館の館長を退任された後のことで、私の場合、2008年頃からだったと思う。ちょうど職場で新旧スタッフとも不在の長い時期が始まり、多くの事業や企画に携わってこられた氏に学ぶところ大だったのである。何度目かには『版画藝術』初出の「長谷川潔のビュランの世界」が届き、「完成の技儞に達する」という文中の言葉を重ねて、ビュランを使ったエングレーヴィングを再び観た。このときには電話も頂戴したような気がする。

202103中尾美穂_私のめぐりあった版画家たち『私のめぐりあった版画家たち』
沖積舎、2000年

『私のめぐりあった版画家たち』には、長谷川潔、笹島喜平、堀井英男、日和崎尊夫、前田常作、小林ドンゲ、清宮質文をはじめ、靉嘔、尼野和三、野田哲也木村光佑黒崎彰、矢柳剛、池田満寿夫オノサト・トシノブ駒井哲郎棟方志功、斎藤清、関野凖一郎、浜口陽三南桂子菅井汲、小作青史、相笠昌義、萩原英雄、浜田知明、北岡文雄、深沢幸雄、吉原英雄ら、現代版画を牽引した作家との出会いの記録が記されている。なかでも長谷川への情熱は関係者に知られる。そして池田満寿夫の活動に通じていた。
というのも、氏と版画との関わりが、1966年に美術出版社が京王百貨店で開いた「戦後二十年の日本版画展」と、翌1967年に同社主催で行われた池田のヴェネツィア・ビエンナーレ版画部門の国際大賞(グラン・プリ)受賞記念展での助手に始まるからである。当時の同社社長・大下正男の年譜によると、1966年の版画展は社の創業60周年、および事業部を担う美術出版デザインセンター10周年を祝う大催事であり、棟方志功や長谷川潔ら60名に及ぶ出品者のひとりに、国内初の国際展「東京国際版画ビエンナーレ展」で連続受賞を果たし、さらにニューヨーク近代美術館企画で個展が開かれたばかりの池田が選ばれていた。
これらの事業を先導したのが、美術評論家の今泉篤男・久保貞次郎両氏を顧問に美術出版社が組織していた「版画友の会」である。会の機関紙『版画』創刊号の表紙が池田の小品で、デビュー間もない新人作家をも、このように後押しする基盤となって活動していた。さらに1968年、『版画』を一般誌化した、戦後初の版画専門誌『季刊版画』が刊行される。両誌に関わった魚津氏によれば「それが短命であったにしろ、その後の版画ブームを巻き起こす、ひとつの起爆剤となった」。
1969年に「版画友の会」との連動で現代版画のサロンを設けていた京王百貨店が、今度は主催で「池田満寿夫ミニアチュール全作品展」を大々的に開くが、これにも魚津氏が助力している。埋もれた最初期の試刷りをまとめて作品として発表し、受賞記念展でのカタログと合わせて活動を網羅する画期的な内容だった。

202103中尾美穂_1969カレンダー池田満寿夫の初期作品をオリジナルで収めた卓上カレンダー
(魚津章夫氏旧蔵)

ちなみに『季刊版画』の編集方針はポスト・池田であり、池田以後のスター育成だったという。「第6回東京国際版画ビエンナーレ展」で衝撃をもたらした野田哲也らに注目し、版画の課題を積極的にとりあげた。もともと池田の場合、国内外で期待されるのも彼自身が向かうのも新動向の先陣を切ることではなかったから、誌面では保守的な立場もとる。これは魚津氏が1971年に独立して自ら創刊した版画専門誌『プリントアート』でも同様である。両誌の連載と座談会で、むしろ機知に富む文筆家、発言者の顔を印象づけた。また国内外の版画市場について積極的に伝えた。その点では異例の、新しい国内作家のモデルであったろう。現代版画の概念はいつまでも不確定である。ちょうど1970年代のように、版画の裾野が広がれば広がるほど他種業が参入し、市場の混乱を招く。しかしそれは新しい可能性を求めた結果でもあった。

202103中尾美穂_季刊版画3版画とデザインをとりあげた
『季刊版画』第3号
美術出版社、1969年4月

プリントアート創刊号表紙『プリントアート』創刊号
1971年10月1日発行

プリントアート14号『プリントアート』14号
1974年1月25日発行

プリントアート23号『プリントアート』23号
1976年1月1日発行

『プリントアート』は第25号をもって1976年に終刊し、魚津氏は1978年から1997年まで八重洲ブックセンター本店の版画コーナー運営を担当。数々の版画展に携わった。そして2001年には「現代版画の黄金時代」を企画。恩地孝四郎のほか『わたしのめぐりあった版画家たち』に登場する作家をほぼ網羅した展覧会である。各作家のエッセンスを可能な限り紹介すべく練られた作品選定で、華やかで清々しい印象の会場だった。図録表紙とフライヤーのカラー図版はともに池田の作品である。

202103中尾美穂_現代版画の黄金時代開館10周年記念特別展
『現代版画の黄金時代』
朝日町立ふるさと美術館、2001年

『私のめぐりあった版画家たち』は作家以外にも触れていて興味深いが、なかでも「師・田中邦三のこと」は貴重な記録である。田中氏は先に掲げた京王百貨店での二つの版画展や図録制作に尽力し、池田を成功に導いたひとり。魚津氏から送られた略歴の一部を、ここで引用しておきたい。1957年から「版画友の会」の実務や展覧会を手がけ、1969年まで美術出版社に勤めた。1989年に93歳で死去。作家としては、版画集『聖書物語』『東京名所百景』がある。
なかお みほ

■中尾美穂
1965年 長野市生まれ。
1997年から2017年まで池田満寿夫美術館学芸員。
201603_collection池田満寿夫研究をライフワークとする中尾美穂さんの連載エッセイ「ときの忘れものの本棚から」奇数月の19日に掲載します。
次回は2021年5月19日の予定です。


*画廊亭主敬白
中尾さんのように現代版画の歴史に通暁している方に会うと亭主はついつい自分の経験を相手も同じに体験していると思い込んでしまう(中尾さん、お若いのにごめんなさい)。
読んでいて、大先輩の魚津さんと初めてあった日のことなどを懐かしく思いだしました。
突如現れたド素人が「版画の普及」などと言うものだから、呆れたことでしょう。
現代版画の歴史を開拓したのが美術出版社の「版画友の会」でした。その機関誌の編集者たち=お目にかかりご指導を受けることができた田中邦三さん、川合昭三さん、魚津章夫さんの三人には感謝の言葉もありません。
『追悼 魚津章夫さん』に掲載した魚津さんの「株式会社プリントアートセンターの設立挨拶文」を再掲して、その志を偲びたいと思います。
プリントアート創刊挨拶文


塩見允枝子のエッセイ「フルクサスの回想」第4回を掲載しました。合わせて連載記念の特別頒布会を開催しています。
Ready to Blend Expressions塩見允枝子先生には11月から2021年4月までの6回にわたりエッセイをご執筆いただきます。2月28日には第4回目の特別頒布会を開催しました。お気軽にお問い合わせください。


名古屋市美術館で『「写真の都」物語─ 名古屋写真運動史: 1911-1972』展が3月28日(日)まで開催されています。

宮崎県立美術館で「コレクション展第4期 瑛九抄」が 4月 6日(火)まで開催され、瑛九の油彩、フォトデッサン、版画など30点近くが展示されています(出品リスト)。

●東京・アーティゾン美術館で「Steps Ahead: Recent Acquisitions 新収蔵作品展示」展が5月9日[日]まで開催され、オノサト・トシノブ、瀧口修造、元永定正、倉俣史朗など現代美術の秀作が多数展示されています。

●東京・天王洲アイルの寺田倉庫 WHAT で「謳う建築」展が5月30日(日)まで開催され、佐藤研吾が出品しています。

●ときの忘れものが青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転して3年が経ちました。もともと住宅だった阿部勤設計の建物LAS CASASを使って、毎月展覧会(Web展)を開催しています。
WEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>の特集も是非ご覧ください。
ときの忘れものはJR及び南北線の駒込駅南口から徒歩約8分です。
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