本日11月30日はオノサト・トシノブ先生の命日です(1912年6月8日-1986年11月30日)。
亡くなられて39年経ちます。
ときの忘れものがメインにしている、瑛九、松本竣介、オノサト・トシノブは同世代です。
瑛九(1911~1960)
松本竣介(1912~1948)
オノサト・トシノブ(1912~1986)
若死にしたにもかかわらず瑛九(48歳)、竣介(36歳)が圧倒的な美術界の評価を受け、全国の美術館で回顧展や展示が頻繁に行われているのに対し、オノサト先生(74歳)は日本を代表する抽象画家でありながらなぜか話題にすらならない(涙)。

オノサト・トシノブ Toshinobu ONOSATO
《作品》
1968年
キャンバスに油彩
53.0×72.8cm
Signed
国内で最大規模、最良のオノサト作品のコレクションは東京都現代美術館にありますが(福原義春氏が油彩、水彩等120点余を寄贈)、なぜかあまり知られていません。
→ 2020年01月20日ブログ/30年ぶりの快挙! 東京都現代美術館でオノサト・トシノブ特集展示~福原義春コレクション
オノサト先生は、1962年に久保貞次郎先生に南画廊の志水楠男さんを紹介され、同年3月南画廊で個展を開催します。
60年代は現代美術界の最良最強のギャラリーだった南画廊の志水さんとの蜜月時代でした。
1964年の第32回ベニス・ビエンナーレ、1966年第33回ベニス・ビエンナーレには久保先生、志水さんたちの尽力で連続出品します。志水さんとしても、世界の舞台に<南画廊のオノサト>をアピールする重要な機会でした。
この二度のベニス・ビエンナーレに出品されたのが「作品100-A」という大作(130×162cm)で現在はPL教団が所蔵していますが、画面いっぱいに描かれた大きな円の中を小さな正方形が埋め尽くすスタイルの最も良質な作品です。

1978年3月15日
桐生のアトリエにて
オノサト・トシノブ先生
晩年の1981年に制作された華麗な大作「銀河」。

オノサト・トシノブ「Galaxy」
1981年 シルクスクリーン(刷り:岡部徳三)
イメージサイズ:43.7×100.0cm
シートサイズ:54.8×111.0cm
Ed.150 サインあり
*桐生・奈良書店と現代版画センターの共同エディション
※レゾネNo.174
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●研究者たちの下記エッセイをお読みください。
・栗田秀法「現代版画の散歩道」第10回 オノサト・トシノブ
・大谷省吾「1955年のオノサト・トシノブ《十二の丸》ができるまで」
・住田常生「オノサト・トシノブ<ここはまったく語らぬもの、そしてそれを聞くことはいったい何であるか>」
・小此木美代子「生誕110年 オノサト・トシノブ展」
・小此木美代子「<オノサト・トシノブと戦後桐生の青春~1950年代を中心に>をめぐって、思うこと」
・瀧口修造「画家の時刻のかなた」
●オノサト版画の多くは名人刷り師・岡部徳三先生によるものです。
■岡部徳三(おかべ・とくぞう 1932~2006)
版画刷り師。東京都出身。1964年岡部版画工房を設立。日本のシルクスクリーン版画刷り師の草分けとして、靉嘔、オノサト・トシノブ、草間彌生、横尾忠則をはじめ、多くの現代作家たちの作品を手がけた。ジョン・ケージやナム・ジュン・パイク、ジョナス・メカスなど版画に縁の無かった作家達にも積極的にアプローチして彼らの版画誕生に寄与し、美学校のシルクスクリーン教室の講師としても石田了一はじめ多くの英才を育てた。
作家の没後の評価は運やら偶然やらに左右されますが、最も強力なのはその作家を愛するコレクターの存在です。少しでもオノサトファンが増えるよう、来年は没後40年にあたるので、ときの忘れものでも記念の展示をしたいと考えています。どうぞご期待ください。
◆「作品集/塩見允枝子×フルクサス」刊行記念展
会期:2025年11月26日(水)~12月20日(土)11:00-19:00 日曜・月曜・祝日休廊
●ときの忘れものの建築は阿部勤先生の設計です。
建築空間についてはWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。
〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 E-mail:info@tokinowasuremono.com
http://www.tokinowasuremono.com/
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。日・月・祝日は休廊。
JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。


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