Ars longa, Vita brevis
~ギャラリーの壁にアジェと共に掛けられた「夕張」を想う~


原 茂


 日本のアジェこと風間健介さんが亡くなられたのは2017年の6月でした。それからもう3年が経とうとしています。

 その後、2018年の3月に福岡市の不思議博物館・サナトリウムで「風間健介 写真展」が、2019年9月から11月にかけて夕張市石炭博物館で「風間健介が見た景色 写真展」が開催されています。

 模擬坑道の火災といったトラブル(現在は一部再開)のためか、石炭博物館のHPに展覧会の記録がないのは残念ですが、「不思議博物館・サナトリウム」のHP(公式Twitter)には、今でも当時のDMが画像として貼られています。

 キャプションは「凧のように静かに、嵐のように激しく、そして風と共に去っていった孤高の写真家」。

 プロフィールは「風間健介 1960年生。全国を放浪した後、夕張に16年間住み、炭鉱遺産を撮り続けて出した写真集『夕張』が大賞を3つ受賞。その後、独自の発想と技法で斬新なアート作品を作り続け、著名な写真誌等に数多く発表し続け、注目、称賛された。2017年6月、千葉の自宅で逝去。享年56才。
KensukeKazama_Yubari_Shimizusawa1風間健介「夕張 清水沢発電所(1)」
1991年 ゼラチンシルバープリント 23.6x30.0cm サインあり


 また、風間さんの古くからのご友人であり、この間一貫して風間さんの作品を継承し、保管、展示、販売してくださっている沖縄在住のアーティスト、宮田けいさんの活動にはどれだけ感謝しても感謝しきれません。

 風間さんについては、すでにグラフィックデザイナーの伊勢功治さんが2010年刊の『写真の孤独 「死」と「記憶」のはざまに』(青弓社)の中で一章(「写真、〈場〉へのオマージュ-写真集『夕張』と『風知草』をめぐって)を割いて松井洋子さん(1969~)と共に10頁にわたって論じてくださっていましたが、その後、飯沢耕太郎さんの「ときの忘れもの」の人気エッセイ 「日本の写真家たち」(全16回・完結)の第14回として取りあげられる(ちなみに第13回は奈良原一高さんで第15回は北井一夫さん!)等、すでにその写真家としての地位は確立されたと言ってよいでしょう。

KensukeKazama_YubariMonogatari12風間健介「夕張物語(12)」
ゼラチンシルバープリント  23.8x29.7cm  サインあり

 そして、その風間さんの評価と顕彰には、わが「ときの忘れもの」も一役買ったと言ってしまっては我田引水に過ぎるでしょうか。写真家の評価を決めるのは、写真雑誌への掲載や写真集の出版、評論家の評価だけではなく、展示歴、展覧会歴でもあるからです。どのギャラリーで展示され、取り扱われたかが(特に外国では)決定的な評価の基準になります。

 「ときの忘れもの」による風間作品の紹介は、青山時代に不肖原が企画させていただいた「第4回写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」(2010年12月17日)が最初だったのではと思います。
当時のスタッフだった三浦次郎さんのレポートを引用すれば、

 まず「夕張」シリーズの作品を見せていただきました。出稼ぎで生活費を稼いで夕張の家に戻るといつも家の中が荒らされていて、むなしい思いをしなければならなかったことや、熊に注意しながらの撮影、凍てつく夜の暗闇の中での撮影など、様々なエピソードを独特の語り口で、ユーモアを 交えながらお話しいただきました。他にも、夜の石神井公園を撮った「夜想曲」シリーズや井の頭公園の「風を映した街」シリーズ、東京の風景を裏焼きした「東京裏がえし」シリーズなど多彩な作品も解説とともに見せていただきました。

中盤の画像
「第4回 写真を買おう!! ときの忘れものフォトビューイング」会場写真

 ということになります。この時お持ちいただいた作品のいくつかがギャラリーコレクションとなり、その後、風間さんは「ときの忘れもの」の取り扱い作家としてHPに名前と作品が載ることになります。それは風間さんにとってどれほどの励みになったことでしょうか。

 その意味で、風間さんが今回第6回を数える「ときの忘れもの」の企画展「銀塩写真の魅力」の出展作家として「奈良原一高福原信三福田勝治風間健介菅原一剛アジェマン・レイら20世紀の写真芸術を担った7名」の一人として、画廊の看板作家「瑛九」のフォトデッサンと並んで、その代表作が展示されることの意味は限りなく重いと言うべきでしょう。

KensukeKazama_Yasokyoku4風間健介「夜想曲(4)」
1982年 ゼラチンシルバープリント 23.7x29.9cm  サインあり

 なぜなら、それはギャラリストがギャラリーの名前にかけて、風間健介という写真家の評価を世に問うということだからです。そして、その評価は、ギャラリストの評価を是として身銭を切って購入するコレクターによって証印を捺されることになります。評価するということは値段を付けることであり、買うことだからです。

 そしてそれは、「自分は写真家だから、写真を売って生きていく」との覚悟に殉じたシリアスフォトグラファー(芸術写真家)、風間健介さんにとって何よりの喜びに違いありません。

 タイトルにさせていただいた「アルス ロンガ、ヴィタ ブレビス、芸術は長く人生は短い」ということわざは実は誤訳だそうです。オリジナルのギリシャ語では、医学生に向けて医術の習得の困難さを諭す、「少年老い易く学成り難し」と同じような意味だったのが、ラテン語に訳され、「技術」が「芸術」と混用されたことから意味が転じたとされています。

 であれば誤訳ついでにもう一押ししてみてもよいでしょう。Ars longa, Vita brevis.その人生は短かったが、残した作品は永遠であると。

 風間さん、あなたの作品はギャラリーでアジェと同じ壁に掛かって売られています。

最後の画像風間さんが最後にご自身のFacebookに投稿された写真
はら しげる

■原茂(はら しげる)
1961年福島県生まれ。東京在住。「小」コレクター。
「写真時代」に掲載された赤瀬川原平さんの「トマソン」で写真に目覚める。
中古カメラおじさんを経て田中長徳さんの著作からアジェの名前を知る。
東京写真美術館の「アジェ」展を経て「イル・テンポ」でガスマンプリントを購入してから月3万円の小遣いを遣り繰りする小コレクターとして歩み始める。
最近は収穫よりも放流が中心。

*画廊亭主敬白
風間健介さんの美しいプリントが好評です。いずれときの忘れもので「遺作展」を開催できればと考えています。
この時期(俗にニッパチ)は、確定申告などもあり画廊は閑散としているのですが、今年は異例なことに先客万来(!?)、もちろん他に行くところがないから(らしい)。
新型肺炎の感染防止のためとはいえ、学校、美術館、図書館など公共の施設が次々と休校、休館に追い込まれていて、その後の影響がとても心配です。
休校は給食がなくなるということであり、業者はもちろん、子供たちの健康で安全な食生活の危機です。夏休みが終わると困窮家庭の子供たちが痩せて登校してくるという悲しいニュースを思い出します。
親も大変です。ときの忘れものの副社長・尾立も二児の母、昨日は在宅勤務でした。
3月7日に久保貞次郎の会とときの忘れものの共催で「ポーラ美術館に瑛九を見に行く」小ツアーを計画していたのですが、遠方の方や、年配の方からのキャンセルの申し出があり、残念ですが延期となりました。
私たちが期待していたアートバーゼル香港は既に中止となりましたが、同時期のアートフェア東京(3月19日~22日)もどうなることやら(HPには詳しい状況が書いてないので少し心配ですが)。
いろいろ考えると頭が痛くなる、果たしてどうなることやら・・・・

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◎昨日読まれたブログ(archive)/2012年01月15日|閑話休題/三大コレクター集合!!
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銀塩写真の魅力 Ⅵ展
会期:2020年2月19日(水)~3月14日(土)※日・月・祝日休廊
出品:奈良原一高福原信三瑛九福田勝治風間健介菅原一剛アジェマン・レイ
銀塩写真~DM表

●ときの忘れものは青山から〒113-0021 東京都文京区本駒込5丁目4の1 LAS CASAS に移転しました。
阿部勤設計の新しい空間はWEBマガジン<コラージ2017年12月号18~24頁>に特集されています。JR及び南北線の駒込駅南口から約8分です。
TEL: 03-6902-9530、FAX: 03-6902-9531 
E-mail:info@tokinowasuremono.com 
営業時間=火曜~土曜の平日11時~19時。*日・月・祝日は休廊。