ときの忘れものは本日が年内最終日ですので、どうぞお出かけください。
昨日は社長のボディーガードでいくつも銀行をまわり、スタッフ7名の給料はじめ、年末の支払いをすませました。秋の金融危機発生以来、世界の経済情勢が急激に悪化し、小泉構造改革の負の側面が一挙に噴出しつつある毎日ですが、果たしてこの先、美術業界はどうなってしまうのか、いえ、ときの忘れものの明日はいったいどうなるのか。不安に満ちた年末でしたが、スタッフの頑張りとお客様のご贔屓のおかげで何とか無事新年を迎えられそうです。特にヤフーオークションの12月の健闘には目を瞠るものがありました(担当スタッフに拍手!)。
さて、激動の一年間を振り返り、ときの忘れものの2008年10大ニュースをまとめてみました。
1)池田20世紀美術館で小野隆生展開催
イタリアで制作を続ける小野隆生先生はちょっと浮世離れしたところがあって、美術業界などにはとんと関心がない。以前は作品発表にも意欲的ではなくて、展覧会に誘われたり、その絵を雑誌の表紙に使いたいなどという(おいしい)話があっても、にべもなく断ることが多かった。
美術館クラスでの回顧展の計画は以前にもあったのだが、何が気にいらないのかご自身でつぶしてしまった。ところが今回、伊東の池田20世紀美術館から個展の話があると、あの出不精の小野先生がわざわざ伊東まで出かけ、会場を下見して即座に開催を快諾された。どう心境の変化があったのかわかりませんが、とにかく初めての回顧展(とはいえ近年15年間の仕事に絞った)が実現できたことは、ときの忘れものにとっても2008年最大のイベントとなり、嬉しい事件でした。池田20世紀美術館のカタログも私どもで編集させていただき、三ヶ月間の長期開催は、小野隆生の画業を多くの人々の知っていただく良い機会となりました。会期の最終に近い時期にときの忘れもので開催した「小野隆生新作展2008」にもたくさんのお客様にご来廊いただきました。新作展カタログもぜひ手にとってみてください。
2)企画は写真展に激変
瑛九、ジョナス・メカスなど以前から扱ってはきましたが、ときの忘れものが「写真」を営業の中心におきだしたのはここ数年です。写真担当の三浦の熱意に動かされ、時代の風も感じた今年は思い切って企画の中心を写真にきりかえ、柳沢信、細江英公、五味彬、植田正治など日本人写真家の個展を開催し、海外作家もアンドレ・ケルテス、ジョック・スタージス、ヤン・ソーデックを紹介しました。細江先生が「ガウディ」のヴィンテージプリントを出品してくださり、ヴィンテージとは何かという教科書みたいな展示ができたこと、10年ぶりの商業画廊での植田正治展の開催にこぎつけ、作品の素晴らしさはもちろんですが価格も天文学的高値をつけて業界に衝撃(?)を与えたことなど、十二分に手ごたえのあった一年でした。掲示板を舞台に熱心な写真コレクターの皆さんの議論がまきおこったことも、たいへん心強く勉強になりました。
残念だったのは、1月に7年ぶりに個展を開いてくださった柳沢信先生が6月2日に死去されたことでした。これからもっともっと発表していただきたかっただけに惜しまれてなりません。
3)東西のアートフェアに出展
群れることの嫌いな亭主ですが、8)に記した通り権力委譲により実権を奪われ、世間の風に敏感なスタッフたちの熱意と奮闘で7月に大阪の、11月に東京のアートフェアに出展しました。まわりの店が若い作家たちのオンパレードなのに、ときの忘れものは平均年齢70歳という老人力でひとり浮いた展示でした。が捨てる神あれば拾う神あり、東西ともに良きコレクターにめぐり合えたことは大きな収穫でした(少し負け惜しみかも)。頑迷な亭主はこの期に及んでも「クラシック路線」に固執していますが、果たして来年のフェアではどうなることでしょうか。
4)北郷悟先生、7年ぶりの新作展
ときの忘れものは立体(彫刻)作品の扱いは少ないのですが、北郷悟先生は2001年に銀座のギャラリーせいほうと共同企画で個展を開催して以来、版画のエディションとともにテラコッタ作品をずっと扱ってきました。東京芸大教授として後進の指導や校務に忙殺され、なかなか個展を開いていただけなかったのですが、やっと7年ぶりの新作展を前回と同じくギャラリーせいほうと共同で開催することができました。世の中がデジタルに流れる中、手の技で土をこつこつと造形しながら、かたやコンピュータを使って手ではできない造形にも挑むという北郷先生の創作姿勢は新しい時代の作家像を象徴するものだと思います。不易流行という言葉が相応しいかどうかわかりませんが、これからも北郷作品の紹介に努めてまいります。
5)ジャン・ベルト・ヴァンニさん、25年ぶりの個展
今から四半世紀前の1983年は私にとって忘れがたい多くの出来事が一度に起った年でした。生れて初めてパスポートをとりニューヨークでウォーホルに会い、「KIKU」「LOVE」のエディションを実現し、渋谷パルコや宇都宮の大谷石の地下空間などで大規模はウォーホル展を開催しました。そのときジョナス・メカスさんに会って彼のフィルム・アーカイヴスの計画に賛同し大韓航空の格安チケットで日本に招き原美術館で展覧会を開いてもらいました。それと前後してジャン・ベルト・ヴァンニさんというイタリア人画家を招き版画エディションをつくり、当時渋谷にあったギャラリー方寸という私たちの画廊で個展を開催、日本庭園の素晴らしいイタリアン大使館でレセプションを開いていただいたのも1983年です。よくもまああんなにいろいろ出来たものだと我ながら感心します。私たちの人生で最も華やかなときだったかも知れません。ヴァンニさんはそれ以来、すっかり日本びいきになり何度も来日されていたのですが、今年は絵本「loveーラブー」が刊行されたのを機にときの忘れもので25年ぶりの個展を開催しました。ご夫妻で来日され、絵本のサイン会ではたくさんのファンに囲まれ幸せそうでした。私たちにとっても往時を振り返り、感慨深いものがありました。
6)世田谷美術館で石山修武展、「電脳化石神殿」
磯崎新、安藤忠雄、そして石山修武という異能の建築家たちにめぐり合い、多くのエディションを実現してきました。なかでも近年の石山修武先生の版画制作に寄せる情熱は半端なものではありません。ときの忘れものでの個展と同時期に世田谷美術館で開催された大展覧会には、石山先生の建築にかける夢がさまざまな形で展示されましたが、ときの忘れもののエディションである「電脳化石神殿」連作32点が一室を与えられ展示されたことは、版元としてたいへん名誉なことでした。世田谷美術館のカタログはときの忘れもので扱っています(2,500円、三箇所に作家のサインあり)。
7)ときの忘れものアーカイヴス創刊
きっかけは掲示板への皆さんの投稿でした。第5号でストップしたままの『版画掌誌』への催促から逃げ回っていた亭主ですが、やがてアメリカで刊行されている廉価なオリジナル写真入り本が紹介されるや、近くのワタリウムに走った亭主は実物を何冊か買い求め、「これだ!」とひらめいたのですね。何と安易なと思われるでしょうが、きっかけは何でもよろしい。細江先生や五味彬先生などの良き教師たちから夜な夜な講義を受けていた私たちが、写真の素晴らしさを手にとって楽しんでもらうメディアを刊行するのは必然だったのかも知れません。お二人の教師のオルグは見事に成功したわけです。『アーカイヴス』という命名は三浦です。創刊号は五味先生の出血大サービスで実現できました。まだ在庫がありますが、いずれ高価な希少本となること確実です。過剰在庫の悪夢に長年うなされてきた社長の心痛をようやく理解し、経済の原則に忠実になった亭主は、創刊号が売切れるまでは第2号は出さないと殊勝な心がけでいます。
8)権力移譲が進む
某北の国は相変わらずワンマン体制が続き崩壊の危機がささやかれていますが、ときの忘れものではその危機を回避すべく、今年は大幅な権力委譲をはかりました。人望篤い社長のもとで、スタッフたちが企画展、ネット関係、編集とそれぞれの分担が確立し、いまや耳も遠くなり老害寸前の亭主はお飾り的存在にまつりあげられ、仕事はスタッフに丸投げ状態となっています。果たしてそれが吉とでるか凶と出るか、未曾有の経済危機に直面する今が正念場であります。どうぞ未熟なスタッフへの皆さんの厚いご支援とご指導をお願いする次第です。
9)ホームページ活性化、ブログの毎日更新続く
ときの忘れもののホームページは、亭主のできのいい息子たち(ともに理科系)の先見の明で、10年ほど前から営々と構築されてきました。長男はナムコにいただけあって使い勝手と丁寧なリンクだけは当初から完璧でした。これだけは他の画廊さんに比べて誇っていいでしょう。当初はデザイン無視、真っ黒なバック、流行遅れの温泉宿の複雑な迷路のごとき様相で(あれはあれでなかなか趣があって良かったという影の声あり)、つくっていた本人たちも全体がわからなくなるほどの迷宮状態でしたが、数年前に盟友のデザイナー北澤敏彦さんの協力でデザインを一新することができました。さらに今年になって秋葉さんという強力助っ人が加わり、各ページの整備、デザインの統一に辣腕をふるっています。ブログの毎日更新も続き、いまや定期購読者(?)も増え、今年は年間6万アクセスに達しました。
植田実先生、池上ちかこさん、井村治樹さんなどの執筆者の皆さんにもたいへんお世話になりました。「コレクターの声」にも原茂さんなどのコレクター魂のこもったエッセイをお寄せいただきました。厚く感謝申し上げます。
10)金融危機が直撃
秋以降の急激な経済の落ち込みは私たちにも襲い掛かっています。特に海外からの引き合いはぱったりとなくなりました。昨年あたりは、私どものような海外に特別販路も持たない所でさえ、ネットで調べての問い合わせや、直接来廊され買われる海外の方が結構いました。売り上げも増え、少しはバブルの恩恵に浴したかなあと思う間もなく、この有様です。恐らく今期の売り上げは半減するでしょう。業者間の取引も急激に落ち込んでいます。私たちは自らのコレクション(在庫)を丁寧に自分たちのお客様に売っていく以外に道はありません。原点に還れということでしょう。
歴史をひもとけば20世紀はじめの世界恐慌のときも多くの画商が危機に瀕しています。破綻した者もあれば、その苦境を逆手にとって名品を買い叩いて財をなした者もいる。画家とコレクターの信頼に支えられ生き抜いた大画商もある。優勝劣敗は世の常。美術品という不要不急の商品を扱う私たちはここ一番の覚悟を決めてかからねばなりますまい。
戦乱や、自然災害、恐慌、世界が直面した様々な危機の中で、優れた美術品は常に人々を勇気づけ希望を与えてきました。人生はパンのみにて生きるにあらず、芸術は人生の必需品です。こんなときこそ良いものをリーズナブルな価格で。私たちはそのお手伝いをします。
番外)瑛九、海を渡る
ときの忘れものが開廊以来、最も熱心にアピールしてきたのは物故作家では瑛九と駒井哲郎です。1995年以来既に18回の「瑛九展」を開催してきましたし、展覧会は少ないのですが駒井哲郎もときの忘れものの看板として多くの作品を紹介してきました。
今年、嬉しかったのはカナダのナショナル・ギャラリーが瑛九のフォトデッサンを購入してくれたことです。恐らく海外の公立美術館の初のコレクションではないでしょうか。詳しくは9月13日のブログをお読みください。
以上、2008年の重大ニュースでした。
スタッフ一同、心よりこの一年間のご愛顧に感謝申しあげます。
尚、お正月休み中もこのブログはスタッフが交代で書きます。また長らく休載中だった井村治樹さんのイリナ・イオネスコについての連載ですが、数日前に待望の原稿が到着しました。イリナファンの皆さん、おせち料理をいただく合間にでものぞいてください。
どうぞ、皆さん良いお年を!
昨日は社長のボディーガードでいくつも銀行をまわり、スタッフ7名の給料はじめ、年末の支払いをすませました。秋の金融危機発生以来、世界の経済情勢が急激に悪化し、小泉構造改革の負の側面が一挙に噴出しつつある毎日ですが、果たしてこの先、美術業界はどうなってしまうのか、いえ、ときの忘れものの明日はいったいどうなるのか。不安に満ちた年末でしたが、スタッフの頑張りとお客様のご贔屓のおかげで何とか無事新年を迎えられそうです。特にヤフーオークションの12月の健闘には目を瞠るものがありました(担当スタッフに拍手!)。
さて、激動の一年間を振り返り、ときの忘れものの2008年10大ニュースをまとめてみました。
1)池田20世紀美術館で小野隆生展開催
イタリアで制作を続ける小野隆生先生はちょっと浮世離れしたところがあって、美術業界などにはとんと関心がない。以前は作品発表にも意欲的ではなくて、展覧会に誘われたり、その絵を雑誌の表紙に使いたいなどという(おいしい)話があっても、にべもなく断ることが多かった。
美術館クラスでの回顧展の計画は以前にもあったのだが、何が気にいらないのかご自身でつぶしてしまった。ところが今回、伊東の池田20世紀美術館から個展の話があると、あの出不精の小野先生がわざわざ伊東まで出かけ、会場を下見して即座に開催を快諾された。どう心境の変化があったのかわかりませんが、とにかく初めての回顧展(とはいえ近年15年間の仕事に絞った)が実現できたことは、ときの忘れものにとっても2008年最大のイベントとなり、嬉しい事件でした。池田20世紀美術館のカタログも私どもで編集させていただき、三ヶ月間の長期開催は、小野隆生の画業を多くの人々の知っていただく良い機会となりました。会期の最終に近い時期にときの忘れもので開催した「小野隆生新作展2008」にもたくさんのお客様にご来廊いただきました。新作展カタログもぜひ手にとってみてください。
2)企画は写真展に激変
瑛九、ジョナス・メカスなど以前から扱ってはきましたが、ときの忘れものが「写真」を営業の中心におきだしたのはここ数年です。写真担当の三浦の熱意に動かされ、時代の風も感じた今年は思い切って企画の中心を写真にきりかえ、柳沢信、細江英公、五味彬、植田正治など日本人写真家の個展を開催し、海外作家もアンドレ・ケルテス、ジョック・スタージス、ヤン・ソーデックを紹介しました。細江先生が「ガウディ」のヴィンテージプリントを出品してくださり、ヴィンテージとは何かという教科書みたいな展示ができたこと、10年ぶりの商業画廊での植田正治展の開催にこぎつけ、作品の素晴らしさはもちろんですが価格も天文学的高値をつけて業界に衝撃(?)を与えたことなど、十二分に手ごたえのあった一年でした。掲示板を舞台に熱心な写真コレクターの皆さんの議論がまきおこったことも、たいへん心強く勉強になりました。
残念だったのは、1月に7年ぶりに個展を開いてくださった柳沢信先生が6月2日に死去されたことでした。これからもっともっと発表していただきたかっただけに惜しまれてなりません。
3)東西のアートフェアに出展
群れることの嫌いな亭主ですが、8)に記した通り権力委譲により実権を奪われ、世間の風に敏感なスタッフたちの熱意と奮闘で7月に大阪の、11月に東京のアートフェアに出展しました。まわりの店が若い作家たちのオンパレードなのに、ときの忘れものは平均年齢70歳という老人力でひとり浮いた展示でした。が捨てる神あれば拾う神あり、東西ともに良きコレクターにめぐり合えたことは大きな収穫でした(少し負け惜しみかも)。頑迷な亭主はこの期に及んでも「クラシック路線」に固執していますが、果たして来年のフェアではどうなることでしょうか。
4)北郷悟先生、7年ぶりの新作展
ときの忘れものは立体(彫刻)作品の扱いは少ないのですが、北郷悟先生は2001年に銀座のギャラリーせいほうと共同企画で個展を開催して以来、版画のエディションとともにテラコッタ作品をずっと扱ってきました。東京芸大教授として後進の指導や校務に忙殺され、なかなか個展を開いていただけなかったのですが、やっと7年ぶりの新作展を前回と同じくギャラリーせいほうと共同で開催することができました。世の中がデジタルに流れる中、手の技で土をこつこつと造形しながら、かたやコンピュータを使って手ではできない造形にも挑むという北郷先生の創作姿勢は新しい時代の作家像を象徴するものだと思います。不易流行という言葉が相応しいかどうかわかりませんが、これからも北郷作品の紹介に努めてまいります。
5)ジャン・ベルト・ヴァンニさん、25年ぶりの個展
今から四半世紀前の1983年は私にとって忘れがたい多くの出来事が一度に起った年でした。生れて初めてパスポートをとりニューヨークでウォーホルに会い、「KIKU」「LOVE」のエディションを実現し、渋谷パルコや宇都宮の大谷石の地下空間などで大規模はウォーホル展を開催しました。そのときジョナス・メカスさんに会って彼のフィルム・アーカイヴスの計画に賛同し大韓航空の格安チケットで日本に招き原美術館で展覧会を開いてもらいました。それと前後してジャン・ベルト・ヴァンニさんというイタリア人画家を招き版画エディションをつくり、当時渋谷にあったギャラリー方寸という私たちの画廊で個展を開催、日本庭園の素晴らしいイタリアン大使館でレセプションを開いていただいたのも1983年です。よくもまああんなにいろいろ出来たものだと我ながら感心します。私たちの人生で最も華やかなときだったかも知れません。ヴァンニさんはそれ以来、すっかり日本びいきになり何度も来日されていたのですが、今年は絵本「loveーラブー」が刊行されたのを機にときの忘れもので25年ぶりの個展を開催しました。ご夫妻で来日され、絵本のサイン会ではたくさんのファンに囲まれ幸せそうでした。私たちにとっても往時を振り返り、感慨深いものがありました。
6)世田谷美術館で石山修武展、「電脳化石神殿」
磯崎新、安藤忠雄、そして石山修武という異能の建築家たちにめぐり合い、多くのエディションを実現してきました。なかでも近年の石山修武先生の版画制作に寄せる情熱は半端なものではありません。ときの忘れものでの個展と同時期に世田谷美術館で開催された大展覧会には、石山先生の建築にかける夢がさまざまな形で展示されましたが、ときの忘れもののエディションである「電脳化石神殿」連作32点が一室を与えられ展示されたことは、版元としてたいへん名誉なことでした。世田谷美術館のカタログはときの忘れもので扱っています(2,500円、三箇所に作家のサインあり)。
7)ときの忘れものアーカイヴス創刊
きっかけは掲示板への皆さんの投稿でした。第5号でストップしたままの『版画掌誌』への催促から逃げ回っていた亭主ですが、やがてアメリカで刊行されている廉価なオリジナル写真入り本が紹介されるや、近くのワタリウムに走った亭主は実物を何冊か買い求め、「これだ!」とひらめいたのですね。何と安易なと思われるでしょうが、きっかけは何でもよろしい。細江先生や五味彬先生などの良き教師たちから夜な夜な講義を受けていた私たちが、写真の素晴らしさを手にとって楽しんでもらうメディアを刊行するのは必然だったのかも知れません。お二人の教師のオルグは見事に成功したわけです。『アーカイヴス』という命名は三浦です。創刊号は五味先生の出血大サービスで実現できました。まだ在庫がありますが、いずれ高価な希少本となること確実です。過剰在庫の悪夢に長年うなされてきた社長の心痛をようやく理解し、経済の原則に忠実になった亭主は、創刊号が売切れるまでは第2号は出さないと殊勝な心がけでいます。
8)権力移譲が進む
某北の国は相変わらずワンマン体制が続き崩壊の危機がささやかれていますが、ときの忘れものではその危機を回避すべく、今年は大幅な権力委譲をはかりました。人望篤い社長のもとで、スタッフたちが企画展、ネット関係、編集とそれぞれの分担が確立し、いまや耳も遠くなり老害寸前の亭主はお飾り的存在にまつりあげられ、仕事はスタッフに丸投げ状態となっています。果たしてそれが吉とでるか凶と出るか、未曾有の経済危機に直面する今が正念場であります。どうぞ未熟なスタッフへの皆さんの厚いご支援とご指導をお願いする次第です。
9)ホームページ活性化、ブログの毎日更新続く
ときの忘れもののホームページは、亭主のできのいい息子たち(ともに理科系)の先見の明で、10年ほど前から営々と構築されてきました。長男はナムコにいただけあって使い勝手と丁寧なリンクだけは当初から完璧でした。これだけは他の画廊さんに比べて誇っていいでしょう。当初はデザイン無視、真っ黒なバック、流行遅れの温泉宿の複雑な迷路のごとき様相で(あれはあれでなかなか趣があって良かったという影の声あり)、つくっていた本人たちも全体がわからなくなるほどの迷宮状態でしたが、数年前に盟友のデザイナー北澤敏彦さんの協力でデザインを一新することができました。さらに今年になって秋葉さんという強力助っ人が加わり、各ページの整備、デザインの統一に辣腕をふるっています。ブログの毎日更新も続き、いまや定期購読者(?)も増え、今年は年間6万アクセスに達しました。
植田実先生、池上ちかこさん、井村治樹さんなどの執筆者の皆さんにもたいへんお世話になりました。「コレクターの声」にも原茂さんなどのコレクター魂のこもったエッセイをお寄せいただきました。厚く感謝申し上げます。
10)金融危機が直撃
秋以降の急激な経済の落ち込みは私たちにも襲い掛かっています。特に海外からの引き合いはぱったりとなくなりました。昨年あたりは、私どものような海外に特別販路も持たない所でさえ、ネットで調べての問い合わせや、直接来廊され買われる海外の方が結構いました。売り上げも増え、少しはバブルの恩恵に浴したかなあと思う間もなく、この有様です。恐らく今期の売り上げは半減するでしょう。業者間の取引も急激に落ち込んでいます。私たちは自らのコレクション(在庫)を丁寧に自分たちのお客様に売っていく以外に道はありません。原点に還れということでしょう。
歴史をひもとけば20世紀はじめの世界恐慌のときも多くの画商が危機に瀕しています。破綻した者もあれば、その苦境を逆手にとって名品を買い叩いて財をなした者もいる。画家とコレクターの信頼に支えられ生き抜いた大画商もある。優勝劣敗は世の常。美術品という不要不急の商品を扱う私たちはここ一番の覚悟を決めてかからねばなりますまい。
戦乱や、自然災害、恐慌、世界が直面した様々な危機の中で、優れた美術品は常に人々を勇気づけ希望を与えてきました。人生はパンのみにて生きるにあらず、芸術は人生の必需品です。こんなときこそ良いものをリーズナブルな価格で。私たちはそのお手伝いをします。
番外)瑛九、海を渡る
ときの忘れものが開廊以来、最も熱心にアピールしてきたのは物故作家では瑛九と駒井哲郎です。1995年以来既に18回の「瑛九展」を開催してきましたし、展覧会は少ないのですが駒井哲郎もときの忘れものの看板として多くの作品を紹介してきました。
今年、嬉しかったのはカナダのナショナル・ギャラリーが瑛九のフォトデッサンを購入してくれたことです。恐らく海外の公立美術館の初のコレクションではないでしょうか。詳しくは9月13日のブログをお読みください。
以上、2008年の重大ニュースでした。
スタッフ一同、心よりこの一年間のご愛顧に感謝申しあげます。
尚、お正月休み中もこのブログはスタッフが交代で書きます。また長らく休載中だった井村治樹さんのイリナ・イオネスコについての連載ですが、数日前に待望の原稿が到着しました。イリナファンの皆さん、おせち料理をいただく合間にでものぞいてください。
どうぞ、皆さん良いお年を!
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