ときの忘れもの 今月のお勧め
■2009年05月26日(火)  ピーター・ムーア+オノ・ヨーコ
nicky_20090526.jpg 455×600 81Kピーター・ムーア+オノ・ヨーコ
「オノ・ヨーコ モーニング・ピース
ニューヨーク・クリストファー通り87番地の屋上にて、1965年」
1965年(1996年プリント)
ゼラチンシルバープリント
35.0×27.5cm
Ed.60
エステートのスタンプあり(EST.PETER MOORE)
オノ・ヨーコの自筆サイン(5部のみ)

フルクサスのイベントや60年代のパフォーマンスなどを記録し続けたピーター・ムーアが撮影したこの写真はムーアの作品であると同時に、オノ・ヨーコが1965年9月12日に自身のアパート屋上で開催した未来の空を販売するパフォーマンス「モーニング・ピース(1964)ジョージ・マチューナスへ」の重要な記録写真でもあります。
これはムーアの死後エディションされ、裏にエステートのスタンプが押されています。うちの5点のみにオノ・ヨーコがサインを入れました。この写真は、2003年〜2004年にかけて水戸芸術館他で巡回開催された「YES オノ・ヨーコ展」にも出品されました(同図録69ページ所収)。

ピーター・ムーア Peter Moore(1936-1993)
1936年ニューヨーク生まれ。1950年代後半から60年代初期ニューヨークで盛んに行われたフルクサスのイベントやジョン・ケージらの行った前衛パフォーマンスやコンサート、そしてポップ・アーティストのスタジオや展覧会を記録し続けた写真家。当時は様々な場所でパフォーマンスが行われ、一回だけの体験で消えてしまうパフォーマンスにとって、写真で記録することは重要なことでした。
同時期にニューヨークに滞在し、フルクサスの活動に参加した秋山邦晴氏は、<ピーター・ムーアはどんな場所にでも足を運び、写真を撮り、彼の顔を見なかったイベントは無かった>と後にその思い出を語っています。日本では美術手帖や講談社の「アートナウ」シリーズの「行為にかける」の号でムーアの写真を多用し、ニューヨークの前衛美術シーンを魅力的に伝えてくれました。それらは当時の美術状況を知る上で欠かせない記録写真です。1993年、歿。

◆オノ・ヨーコ Yoko ONO(1933-) 
1933年、銀行家小野英輔・磯子の長女として東京で生まれる。1952年、学習院大学哲学科に入学。翌年、アメリカに移住し、サラ・ローレンス大学で作曲と詩を学ぶ。1960年からニューヨークを拠点に、前衛芸術家として本格的な活動を開始。前衛芸術グループ「フルクサス」の活動に参加し、イベント、コンサート、作品展などを行なう。 66年9月には活動の拠点をロンドンに移し、同年11月に個展「未完成の絵画とオブジェ」を開催。その会場でビートルズのジョン・レノンと出会い、1969年結婚。ジョンとともに創作活動や平和活動を行う。1980年のジョンの死後も、創作活動や音楽活動などを通して「愛と平和」のメッセージを世界に向けて発信している。個展は1971年「THIS IS NOT HERE」エバーソン美術館(ニューヨーク)、1989年ホイットニー美術館(ニューヨーク)、1990年「踏み絵」草月美術館(東京)、1997年「HAVE YOU SEEN THE HORIZON LATETY?」オックスフォード近代美術館、2000年「YES YOKO ONO」ジャパン・ソサエティー(ニューヨーク)など多数開催。1993年ヴェネチア・ビエンナーレ、2001年横浜トリエンナーレに出品、2003〜2004年は日本において大規模な回顧展「YES オノ・ヨーコ展」が巡回開催された。

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